インフルエンサーは“自分を映す鏡”

「鏡」

そこには、決して偽ることのできない、ありのままの自分が映し出される。

インフルエンサーとは

ウィキペディアによると、インフルエンサーとは「世間に与える影響力が大きい行動を行う人物のこと」という説明がなされている。

発言や行動が多くの人に影響を与える人物のことを指している。世間的なイメージで言うと、多くのフォロワーを抱えていて、SNSで発信すると、多くの反応があり、賛同されることもあれば、批判されることもある。そんな感じの人物だろうか。

この説明を読んで、納得しない人はほぼいないだろう。ぼく自身も正しい説明だと思うし、多くの人がそう考えていると思う。しかし、ここでぼくは、ひとつ、問題定義をしたい。

インフルエンサーは果たして、人物なのだろうか?

人は、自分と向き合って生きていく

もう3年ほど前になるだろうか。地元の岡山を離れ、東京でひとり暮らしをしているぼくの元に、普段は電話なんかしてこない父親から、とつぜん電話がかかってきた。電話越しに聞こえた父親の言葉を聞いて、時が止まった。

「よっちゃんが亡くなった。自分で命を絶った。」

ぼくには父方のいとこが5人いた。その中で1番年齢が近く、小さい頃よく遊んでいたよっちゃんが、自殺した。

ちょうど友達の結婚式で岡山に帰省するところだったぼくは、頭の整理がつかないまま、葬儀に出席した。

葬儀では、よっちゃんの家族が泣いていた。この感情をどこにぶつけたらいいのかという表情をして、みんな泣いていた。そして、家族たちはみんな、口を揃えて言っていた。

「ごめんね。」

後から聞いてわかったんだけど、よっちゃんはどうやら仕事や職場の人間関係に悩んでいたらしい。具体的に、どんなことに悩んでいたのか、どんな苦労をしていたのか、それは、よっちゃんの家族もなんとなくしか知らなかったらしいけど、仕事と職場の人間関係に悩んでいたのが自殺の理由だそうだ。

葬儀の最後、喪主であるよっちゃんのお父さんが発した言葉が忘れられない。

「よしかずは、亡くなってしまいました。とつぜんの出来事で、正直まだ、その事実をしっかりと受け止めることができません。でも、残された家族でしっかりとその事実を受け止めていくしかありません。なんでこんなことになったんだ、とこれから毎日思うかもしれません。でも、後悔しても仕方ないと思います。残された家族みんなで、しっかり自分たちと向き合って、よしかずの分まで生きていこうと思います。」

自ら命を絶ってしまったよっちゃんが1番苦しかったと思う。自分自身と向き合い、今後どうするのか、どうやって生きていくのか、毎日、そんな葛藤をしていたのだと思う。毎日毎日、自分と向き合って闘っていたんだと思う。

そして、残された家族も、悲しみ、怒り、後悔、いろんな感情があったと思う。なんで気付いてあげられなかったんだ、なんで家族に相談してくれなかったんだ、後悔してもしきれない気持ちだったと思う。

仕事や職場の人間関係に悩んで自殺してしまった家族。残された家族たちは、その顔を見て、職場の人に責任を追求したくもなっただろう。どんなひどいことをしたんだ、なんで自殺するまで追い込んだんだ、そんな怒りもあったかもしれない。

しかし、残された家族たちはみんな、よっちゃんの自殺を誰の責任にすることもなかった。自分にできることはなかったのか、なんであの時話を聞いてあげられなかったんだ、想像できないほどの悲しみの中でも、自分自身と向き合っていた。そんな姿を見て、なんて強い家族なんだと思った。

人は自分と向き合って生きていくんだ。

自分以外に責任を求めても、何も解決しないんだ。

よっちゃんと、よっちゃんの家族たちは、そう言っていた気がした。

“自己責任”とはなんなのか

「過労死は自己責任である」

最近とあるインフルエンサーの方が発信したこの言葉が、議論を巻き起こしていた。その発言に対して、いろんな立場の人から、いろんな意見が飛び交っていた。

「間も無く発売する著書の炎上商法だ」

「過去の事例で会社責任という判例があるから間違っている」

「本人に拒否権がない訳じゃないから正しいと思う」

「36協定について知らなかったからこれを機会に調べよう」

「我が子が過労死したらどうするんだ」

「こんな発言をする人がいる会社のモノはもう買わない」

人は立場も違えば、考えも違う。生き方も違えば、物事の捉え方も違う。そこに正解なんてないし、間違いもない。人それぞれの意見があって、どれも正解だと思う。だからいろんな意見があっていいと思うし、それを発信するのもいいと思う。

しかし、ぼくは、どんな意見を持ったとしても、ひとつだけ大事にしたいなと思うことがある。それは、自分自身と向き合うことだ。

反対意見があっていいし、賛成意見があってもいい。ただ、その意見を自分以外の人に責任とともに放り投げない自分でいたいなと思う。

あなたは間違っている。そんな発言をするのはおかしい。これは、意見とともに相手に責任を放り投げている状態ではないかと思う。

ぼくはこう思う、だからこうする。私はこう考える、だから具体的にこんな行動をしようと思う。これが本当の「自己責任」ではないだろうか。

インフルエンサーとは自分を映す鏡である

インフルエンサーというのは人物である。その発言をした人物だ。

しかし、インフルエンサーの発言に対して持つ意見は自分自身の考えであり、それはインフルエンサーではない。

インフルエンサーとは、あくまでひとつの現象であり、そこに対して抱いた感情や意見というのは、自分自身の意見なのだ。

つまり、僕たちは、インフルエンサーという媒体を介することで、結果として、自分自身を見ているのかもしれない。

鏡を見るとそこに自分の姿が映し出されるように、インフルエンサーは、本当の自分を映し出してくれているのではないか。ぼくはそう思う。

もしそうであるならば、ぼくたちが大事にしなければならないのは、自分自身と向き合うことだ。

その考えはおかしい。それは間違っている。批判だけして何も行動しないのはとても簡単だ。でもそれは、意見とともに責任を放り投げている状態なのかもしれない。

その考えはおかしい、だからこうした方がいい。それは間違っている、だから具体的にぼくはこうする。これこそが自分自身と向き合っている状態なのではないだろうか。

ぼく自身、今回の一連の動きを見て、いろんなことを考えた。

インフルエンサーはどんな気持ちで発言したんだろう?そこに対して意見を投げた人はどんな人だったんだろう?どんな思いで意見を投げたんだろう?それを見た人はどんな気持ちになったんだろう?

中には、批判するだけの人もいた。でもその人は、批判するという行動で自分自身と向き合っているようにも見えた。批判するということが、その人にとっての、現時点でのひとつの答えなのかもしれない。

そんなことを考え、ぼくなりの考えを図解にして発信した。

すると、このツイートに対していろんな意見が届いた。

わかりやすい。その通りだと思う。まさにこれ。

個人の解釈が入り過ぎだ。図に弁護士が入ってない。納得できない。

その中でも特に考えさせられたのは「わかってないあなたに本当のことを教えてあげようというスタンスが気持ち悪い。」という言葉だった。

この言葉を見た時、正直、腹が立った。お前は誰だと。批判だけしやがってと。俺の何を知ってるんだと。

でも、その言葉に対して、ただ批判することこそ、ただ責任を放り投げているだけだと思った。そして、自分自身と向き合って考えてみると、これはぼくの本当の姿なのかもしれないと思えてきた。ぼくは自分の考えを多くの人に伝えたかっただけなのかもしれない。なんて弱い人間なんだと気付いた。

人間は弱い、だからこそ強い。

人間は弱い。つい責任を周りに投げてしまいそうになることがある。つい批判だけして正しいことをした気分になってしまうこともある。

しかし、家族の自殺という想像し難い現実に直面し、心がボロボロに弱くなっている時に、自分自身と向き合っている人間を、ぼくは見た。

人間は弱い、だからこそ強い。

人は、自分自身と向き合った時に初めて、本当の意味で、自分の弱さを知り、だからこそ、強くなる。決して、自分の弱さを変える必要はない。弱さを弱さだと認めることができる、それこそが強さだと思う。

よっちゃんとよっちゃんの家族にぼくは大事なことを教えてもらった。そして、インフルエンサーの人も実はそんなことを教えてくれているんじゃないだろうか。

インフルエンサーだって自分と向き合っている。多くの批判を浴びて自分の弱さを知っている。そして自分の弱さを自分で認めている。だからこそ、強い。だからこそ、人には言えない言葉を発することができる。それを決して忘れてはならないと思う。

自分と向き合って自分なりの答えを見つけよう。自分で考えて納得して行動しよう。自分にできることをやろう。人間は弱くていいんだ。だから、弱い自分を認めて、自分なりの納得を見つけ出そう。そして自分の一歩を踏み出そう。

ぼくは、よっちゃんというインフルエンサーから、鏡をもらった。

よしっ。今日も一日、弱い自分と向き合っていこう。

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武内 宏伸

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