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「アメリカン梅酒」─バーテンダーの視(め)

 今ではほとんど飲まなくなってしまったが、昔は梅酒にハマっていた時期があった。専門学生あがりのサラリーマンではなかなか手取りも多くはなく、安くて、飲みやすくて、量が多いからという理由で当時住んでいたアパートの冷蔵庫には必ず買い置きしていた。

 これはもう時効だと思っているので笑って聞き流していただきたいのだが、最初に就いた仕事ではあまりの激務ですぐに嫌気が差し、会社へ行くために玄関のドアを開けられなくなってしまった時には、寝起きにグイっと冷えた梅酒を煽り、熱いシャワーを思いきり浴びて、「よし、行けるぞ」と出発するという事も多々あった。僕にとっては”大好きなお酒”には程遠いものの、梅酒はとても思い出深い。

 どのような流れでそうなったのかはもう忘れてしまったけれど、フラっと入った小さな個人経営の呑み屋で店主と常連であろうオジ様方を相手に、そんな話を酔った勢いでポツリとしてしまった事がある。初めての店で身の上話をするなど、とても面倒な若僧だっただろうなと今では猛省している。しかし、それを聞いていた皆々様はそんな僕を一切茶化す事もなく、うんうんとお酒を飲みながら付き合ってくれていた。

 すると一通り話し終わったタイミングで、店主がおもむろにカウンターの下から大きな甕のようなボトルを持ち出すと、何やら茶色い液体をロックグラスに注いでくれる。

「飲んでみて! ぅんまいぞぉ」

 言われるがまま、出されたグラスへくぴりと口をつけてみれば、なんと奥行きのある味な事か。話の流れとそれの香りから察するに、どうやら梅酒のような気もするけれど、どことなく違う気もする。

「すっごく美味しいです。でも、これ何ですか? 梅酒のようなそうでないような……」

「これね。ウイスキーを使って自家製した梅酒なの」

 あぁ、なぁるほど。酔っているとはいえ、飲んだ時に感じた穀物感といいますか、甘味の中にある香ばしさはそういう事でしたか。素晴らしい出会いに、思わず感動した。

 その後、またなんの流れでそんな話になったのかは覚えていないが、ここまでのエピソードをバーテンダーの先輩のお店でポツリとした。すでに辛かった日々などネタに出来るほど消化されていたはずなので、おそらくは自分から笑い話にしたに違いない。するとそれを聞いた先輩がのそりとバックヤードへ入り、何やら茶色い液体の入ったグラスを僕の目の前に置く。

「うちにもあるよ。美味しい”バーボン梅酒”」

「バーボン梅酒?」

 またもや聞きなれない言葉に驚いたが、飲んでみるとこれまた驚いた。思い出のウイスキー梅酒は確かに美味しかったはずだけれど、こちらの芳醇さにはついつい笑みがこぼれてしまう。ブランデー梅酒やジャパニーズウイスキーの樽で寝かせた梅酒など、最近ではそういった製品は珍しくなくなってきていたが、バーボン。ああ、バーボンだったのか。正解は。

「簡単に作れるから君のとこでもやってみたらいいよ。大きめのボトルと、氷砂糖、南高梅。ウイスキーは絶対フォア・ローゼスのブラックね」

「へぇ、それはなかなか贅沢な感じですね。それで、どれくらい漬け込むので?」

「3年」

「へっ?」

「半年くらいでも飲めるようになるけど、その味くらいまで馴染むには3年くらいかな」

 今から帰って仕込んでも、年の瀬にすら飲めやしないのか。せっかく素晴らしいアイデアを拝借出来たと思っていたのに、落胆してしまうではないか。

「まっ、まぁ……、それはそれで仕込むとして、忘年会ですぐに楽しめるようなウイスキーの漬け込みってないんですかねぇ……?」

「あるよ」

 そう言いながらカウンターの下よりまた違うボトルが出てくる。いつぞやに流行ったドラマのワンシーンですかい。

「これも美味しいぞ。響・ジャパニーズハーモニーに日高昆布と厚削り節を浸漬した合わせ出汁ウイスキー。日本食になら何でも合う。2週間くらいで馴染むかな」

 どこからかお叱りの声をいただいてしまいそうな話だが、これはこれでとても美味しかった。美味しいは正義だし、さっそく試して友人達に振る舞ってみよう。しかしどれほど美味しいとしても、貴重なお酒を丸々1本分使ってしまうような勇気は全くない。貧乏性だなぁ。

『バーテンダーの視(め)』はお酒や料理を題材にバーテンダーとして生きる自分の価値観を記したく連載を開始しました。 書籍化を目標にエッセイを書き続けていきますのでよろしくお願いします。