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【煙草】百害あって一利なし

5月31日は世界禁煙デーだったらしい。

煙草というのは「百害あって一利なし」と言われていて、実際、健康にも悪いし、無駄にお金がかかるし、イメージも良くない。
良いことはひとつもない。

世界的にも禁煙の流れで、日本でも「健康増進法」ができ、オリンピックを機会に喫煙できる場所は激減した。
今や、飲み屋もカラオケも禁煙である。

ところで私は愛煙家である。
もう四半世紀、煙草と付き合っている。
禁煙したことはない。

四半世紀前は、煙草は大人のアイテムの象徴だった。
駅でもオフィスでも、プカプカ煙草をふかす大人がいたものである。
長距離を走る列車には喫煙車両があったし、道端には必ず灰皿が設置されていた。
今では考えられないことだ。

未成年だった頃は、「あんな臭い煙を吸って何が良いのか、迷惑だ」と思っていたはずなのだが、気がつけば煙草を吸っていた。
今では立派なニコチン中毒者である。

これはイキりたい若者ゆえの憧れと、睡眠時間を削って原稿を描いている間の眠気覚ましであった。
部屋にこもって原稿を描いていると、気分転換や集中が途切れた時の息抜きにもなったのである。

最近では完全禁煙の職場も増え、前職では電子タバコのみ可であったので、電子タバコへの切り替えも試みたのだが、結局紙タバコに戻っている。

煙草に火をつける。
ジリジリと音をたてて火がつく。
深く吸い込んで、煙を吐き出す。

この過程がやはり好きだな、と思う。
電子タバコが美味しくないのもあるけれど、この過程がないのが、また一層味気ないと思えるのだ。

そんな愛煙家である私には、現代の禁煙ブームは肩身が狭い。
ただ、どうしたって他人様に迷惑がかかる行為だという自覚はあるので、昔のようになってほしいとは思わない。
ハッキリと喫煙と禁煙の区画が分けられている方が好ましい。
マナーの悪い喫煙者は、愛煙家にとっても迷惑なのだ。ルールとマナーは守りましょう。

では、そんなに肩身が狭い思いをしながらも、何故やめられないのか。

中毒者だからである。

…と言ってしまえば身も蓋もないのだが、やめようと思うことがない。気分転換にちょうど良いアイテムが煙草以外に見つからない。
ストレスが溜まってイライラしている時、一服することで気持ちを切り替える訳だが、煙を吸い込むことで深く呼吸をしていることが、ちょうど良く気分転換になる。
最近は屋内では喫煙できないので、屋外に出ることも良い気分転換になる。まあ、雨風が酷い時は最悪だが。
コロナのお陰で、屋内ではマスクをしていても深呼吸するのは躊躇われるし。

とか何とか言い訳をしながら喫煙している。
私がごく普通の人であれば、子供のためにと禁煙することもあっただろうが、生憎と若い頃から結婚・出産願望がなかったこともあり、また独り者なら長生きする意味もないので、唯一猫様にだけは配慮しつつ、禁煙することなく生きている。

今でも母には口うるさく禁煙しろと言われているのだが、理由が健康に悪いから、ということなので残念だが響かない。下手に長生きするよりは早く逝きたいものだ。

ただ、無駄金を使っていることに関しては、確かに、と思う。煙草に費やしてきたお金があれば、まあまあハイスペックなPCも買えただろうし、貯金もできただろう。

やはり煙草は百害あって一利なしなのだ。

もし、これを読んでいるお若い方で、煙草に興味があるという方がおられるならば、私はこう言う。

絶対にやめておきなさい。
血液がドロドロになって代謝も悪くなるし、肌もボロボロになる。
小汚いジジイやババアになるんだよ、いいの?
お金だって無駄でしかないし、その分を他に回した方がお得でしょ?
百害あって一利なしって言うじゃない、その通りだよ!

不健康な肌と体型をさらし、臭い煙を吐き出しながら、これ以上なく悪い見本を示すことができるだろう。

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