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懺悔します

※注) 東日本大震災に関する話です。津波の具体的描写を含みます。











東日本大震災から12年、私は初めて津波の映像を観ました。
私の住む地域(茨城県内陸部)は震災から10日ほどで電気が復旧しました。その頃のテレビでは福島の原発事故の報道ばかりで、津波に関しては復興の様子や、被害状況の数字でしか知り得ませんでした。
その後、PTSDなどへの配慮としてテレビで津波映像が流れることは減り、また注意喚起の上で短い映像が流されるのみになり、実際の津波映像を観る機会はほとんどなかったのです。
3.11前後にある特番を観ることもありませんでした。怖かったからです。地震の揺れだけであんなに大変だったのに、それ以上の恐ろしさ、厳しさ、悲しみに触れることが、本当に怖かったからです。

今回、これをnoteに書くべきなのか、すごく迷いました。
でも、もし、私のように津波映像を観たことがなかったという人にも伝われば、未来の被害を防げるかもしれないと思い、書くことを決めました。

津波映像を観るキッカケは、12年という月日でした。そして、今現在、無職で時間があるということ。
きちんと観ておこうと思いました。

YouTubeにはたくさんの津波映像がアップロードされています。それを観ていきました。

想像以上でした。

今までもガレキの山や、津波到達地点の映像を観て、凄まじいものだと思ってはいましたが、実際に街が海になっている様子や、津波の速度は、想像を遥かに超えて恐ろしいものでした。

津波は早い所で地震から30分ほどで到達したと聞いています。私は地震から30分、店舗の駐車場にいました。余震が続き、店舗に入ることができなかったからです。そんな状態で海沿いの方は高台への避難を開始された…余震の中、懸命に走って山を登ったり、階段を上がったりされていたのです。
震度6強の揺れを体験してわかりますが、とても歩けるような揺れではありません。ましてや震度7ともなれば立ち上がることさえ困難です。

私は津波というもののイメージが実際とはかなり違うことにも驚きました。
高い波がこう一気にザーッと襲ってくるイメージだったのですが、静かにサーッと波が広がり、次々と積み重なってその高さを増してゆくのですね。(もちろん地形にもよります)
それはほんの2~3分で、底が見えていた湾から数メートルある防波堤を越えてしまうスピード。そして、最初はお風呂で溢れる水のようにザーッと落ちていたのがたちまち海と同じ高さにまで到達してしまう。あんなに広い街が、あっという間に水没してしまうのです。
人間の足では無理で、車でさえも追いつかれてしまうくらいの、ものすごいスピードです。

そして襲ってくるのは水だけではなく、壊れた家屋の木材や家具、ガラス、鉄板、車、それらを大量に含んでいる…呑まれたら終わりだ、ということがよくわかります。
実際に津波に呑まれ、運良く生還した人のお話では、
「流れてきたガラスが身体中に突き刺さり、そこに冷たく泥を含んだ水が流れてくる。凄い痛みと冷たさだった」
といいます。その方は建物の屋根に引っかかり、必死でしがみついて救出されたそうです。
また、電線に運良く引っかかり、近くの住民の方に助けられたという男性の映像では、濁流に翻弄されながら電線に捕まるその手が、冷たさで真っ赤になっていました。

私の昔の知人ですが、宮城県出身の方で、親族の方が津波に呑まれた、という人がいました。運良く生還された方のお話では、
「津波から逃れようと裏山に登っていたら、前から水が来た」
と仰っていたそうです。宮城県のどちらかは聞いていないのですが、おそらく湾と湾に挟まれた地形だったのでしょう。その方は必死で地面の草を掴みましたが草ごと流されたそうです。そして、
「とにかく浮こうとして、浮いているものにしがみついたら、それは人間の脚だった」
とも仰っていました。そのお話を聞いた時、浮いているご遺体の脚を掴んだのかと思っていて、「つまりご遺体だったってこと?」と聞いてしまったのですが、知人は「うん…まあ…」と言葉を濁していました。
これも最近知ったことですが、津波に流されたご遺体は、原形を留めていないお姿で発見される方も多かったそうです。ガレキを含む激流の中で、腕だったり脚だったりが切断されてしまっていたということでした。
おそらくその知人のご親戚が掴んだのは、脚だけの状態だったのでしょう。知人はそれを知っていたから言葉を濁したのだと今更気づきました。
知人はその後、宮城へ戻ってしまい、連絡も途絶えたのですが、他にご親戚のお二人が見つかっていないとのことでした。

津波で亡くなった方の死因は溺死の他に外傷性ショックもかなり多くの割合を占めているそうです。ガレキにぶつかったり、出血多量でのショック死なのです。
何とむごいことか…言葉もありません。

津波映像の多くは高台から街を見下ろす地点のものですが、津波到達前には家々の連なる住宅街だったのに、完全に海になってしまっています。
木造住宅は流され、ぶつかり合い、粉々になって流されていく…引き波の凄まじさも押し波以上で、あんなに速く流れるものなのか、と言葉を失いました。まさに激流です。
あんなもの、人間にはどうすることもできません。

津波が来たらとにかく逃げろ、それしかないのです。

防波堤や防潮堤は、避難する時間稼ぎでしかないということがよくわかります。
今後、大きな地震があったら、とにかく高台へ徒歩で逃げてください。車では渋滞に巻き込まれます。福島のある地域では、踏切の遮断機が地震の影響で下りてしまい、そこを通ることができずに多くの車が流されたそうです。
たまたま仕事などで沿岸部に行く際には、避難所の位置を予め確認しておいてください。地震はいつ起こるかわかりません。

こうした実際の映像を観ることで得られた教訓は多々ありました。
しかし、これらの映像を観てから、喉に違和感を覚えるようになりました。いわゆるヒステリーボールというものです。精神的にはものすごく負担になったのだと思います。
だから、無理にとは言いません。
ただ、実際の映像を観て、人間の予想、想像の遥か上をゆく災害を実体験のように心に留め置くことは大切だと思います。
私は一般的な人より想像力は豊かな方ですが、それでも実際の映像を観るまでは、ここまで津波というものを理解していませんでした。なので、今まで観たことがなければ、無理は禁物ながら観てみることをおすすめします。

実際の映像を観たからといって、実際に体験した方と思いを同じくできるとは到底思えません。しかし、少しでも被害を抑える一助になれば…と思います。
願わくば、このような災害が二度と起こりませんように。

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