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工務店向け原図資料集の時代|1969年、建築資料研究社・日建学院創立の頃

日建学院の担当者さまが研究室へご来室。いわゆる山吹色のお菓子をちょうだいしました。「おかげさまで50周年」ということで鉄人・坂井宏行監修の「鉄人ぷりん」だそう笑。

「おかげさまで50周年」というのは日建学院開設ではなくって、その母体である建築資料研究社が1969年に創業してより50周年ということだそう。

ちなみに、日建学院と双璧をなす資格試験予備校の雄・総合資格の前身である中部資格協会は、日建学院開設の4年後、1980年に設立されています。

建築資料研究社という社名がなんだか不思議なカンジですが、それは、同社がもともとは工務店向けの原図資料集の製作販売を手掛けた会社であることに由来しています。ちょっと、そのあたりを掘ってみましょう。


「建築資料」の研究社ということ

1970年代前半に雑誌『庭』や『住宅建築』、『積算ポケット手帳』や『建築基準法関連法令集』といった今に続くお馴染みの刊行物を誕生させ、カセットテープによる建築士講座なども試行しつつ、その勢いで1976年に日建学院を開設し、今では全都道府県に学校を開設する一大資格試験予備校となりました。

試しに同社HPから、その沿革の前半部分を拾ってみると。

1969年 株式会社建築資料研究社設立
1970年 工務店向け「原図資料集」制作販売
1972年 出版事業開始、造庭園雑誌「庭」創刊
    建築施工全般「積算ポケット手帳」創刊
1973年 カセットテープによる建築士養成講座発売
1975年 建築雑誌「住宅建築」創刊
    建築基準法関係「法令集」創刊
1976年 日建学院開設
1977年 本社内に映像講義制作スタジオ・編集室設置
1980年 日建学院50校目開校
1982年 建築専門学校「東京日建工科専門学校」開校
1983年 シリーズ書籍「建築設計資料」創刊
1989年 日建学院100校目開校

プリンに添えられたプリント、あ、挨拶文にはこうあります。

昭和44年(1969年)から続く軌跡の中で、弊社をご利用いただいた一級建築士をはじめとする有資格者数は55万人を超えております。資格試験合格率No.1に全社一丸となってこだわり続けることで、建設・不動産のみならず幅広い業界に、多くの人材を送り出すことができました。

なによりもまず、日建学院や日建工科専門学校グループ7校(*1)などによる教育を介した人材育成に重きを置いていることがわかりますが、自分としては、そもそもの会社のスタートが、工務店向けの原図資料集からスタートしてるってところが何ともそそられます。
 
ちょうど1960年代からは進出しはじめた既製服、そして家庭ではミシンが仕舞いこまれるようになり、1970年代には主婦は「衣類の生産者」であるより「消費者」へと変わったといいます(*2)。同じ頃にあたる1972年から建築資料研究社は工務店向けの『既成設計原図集』シリーズを刊行しています。

そのラインナップは以下の通り(すべてメインタイトルは『既成設計原図集』で出版元は建築資料研究社、no.13までは1972年、以降は1973年出版)。各巻のテーマからは、工務店のニーズがどのようなものであったかが伝わってきます。

No.1 二階建小住宅原図集
No.2 平家、二階建住宅原図集(15坪~40坪)
No.3 住宅デザイン
No.4 店舗内外装原図集
No.5 平家、二階建住宅原図集 含農村住宅 その2
No.6 最新住宅と週末の家(セカンドハウス)
No.7 擁壁原図集(積算,計算書付)
No.8 住宅原図集 その2
No.9 店舗内外装原図集 内装編 その2
No.10 造園原図集
No.11 鉄骨構造原図集 その1
No.12 鉄骨構造原図集 その2
No.13 鉄骨構造原図集 その3
No.14 鉄骨構造原図集 その4
No.15 鉄筋コンクリート造原図集
 (4階建共同住宅・店舗付事務所用意匠図・構造図)
No.16 各部評細原図集(工事契約にも利用可)その1
No.17 木造アパート原図集(平家一戸建・併用住宅を含む) 
No.18 墓石デザイン原図集
No.19 造園を考慮した門扉デザイン原図集
No.20 造園原図集(含石組)その2
No.21 入母屋・社寺原図集
No.22 特殊構造原図集(構造計算書)
No.24 建築設備原図集 その1
  (浄化槽・無臭トイレ・給排水・空調設備)
No.25 新店舗外装原図集
No.26 木造住宅家相学による原図集(監修:高嶋悠象)
No.27 住宅外観パース原図集(平面付1000種類)
No.28 鉄骨構造原図集 その1の1
  (構造計算書:軽量・H鋼平家,H鋼2階建,一部クレーン付) 
No.29 鉄骨構造原図集 その2の1
  (構造計算書:1階(H鋼)2階木造鉄骨(軽・H)2階建等) 
No.30 入母屋造り原図集

なお、同シリーズは以後も刊行されていたようで、たとえば、No.32は「造園原図集その3」(1974年)だったようですが、ちょっと不明なのでこのへんで。さらに1970年代後半からは『住宅建築設計例集』も出版していきます。

No.1 木造住宅100選、1977年
No.2 山荘・別荘75選、1978年
No.3 和風住宅の構成、1978年
No.4 鉄筋コンクリートの住宅、1978年
No.5 住宅とトップライト・100選、1979年
No.6 住宅の開口部詳細、1981年
No.7 建築細部詳細 高須賀晋作品集、1983年
No.8 床の間廻り詳細 作例177点、1983年
No.9 混構造住宅 宮脇檀建築研究室作品集、1984年

こうした原図集や設計例が求められた1970年代前半の動きは、当然に激増する住宅着工戸数と密接に関係した動きでしょう。高度成長にともなう人口増加・集中、さらに膨大な住宅需要。1950年代には20~40万戸を推移する新設住宅着工戸数は、1965年には80万戸、1970年には148万戸へと増加し、1973年になると190万戸に達します(国土交通省調べ)。

建築資料研究社の設立と隆盛は、こうした時代の動きと一体だったはずです。


「建築資料」の時代

新設住宅の多くを木造・一戸建が占め、願わくば持ち家という「持ち家志向が」が顕著でした。しかもそれら住宅は、住宅営団の「ち型」とか「と型」みたいな規格型だったらともかく、やはり、願わくば新規&オリジナルに設計すべきものとみなされます。

たとえば、理工学社が1960年代から70年代にかけてたくさん出版した実例集の一冊、『すぐに役立つ住宅図集 No.1 実例・間取・つくり方』(理工学社、1960年)に収録された「住宅を建築される方方へ」という文章にはこうあります。

自分の住宅は自分の金で建て、自分が住むということです。自分が責任を持たなければ自分の住まいは建ちません。従ってその場合、自分は建築については素人であるからといって卑下することはおかしいのです。一般の人は、建築家でない限り素人であるのが当然です。自分だけが素人であると考える必要はありません。参考図書を読んで建築家と論争するぐらいの気構えでなくては、自分の好みに合った住宅は建てられません。
(「住宅を建築される方方へ」1960)

この言葉は今からすると、激励であると同時に呪いとしても機能してしまったように思われます。以前であれば、持ち家を持つことがなかった層が住宅を新築し、しかも自らの要望をもとに間取り検討を行うことがブーム化したわけで、それはいわば「日曜大工」ならぬ「日曜旦那普請」とでも言うもの。あれこれ思案して、一生に一度の家づくりに全力投球することが重視されたのです。
 
とはいえ何かしら参考例がないと考えようもありませんし、結局はなるべく自分の敷地や家族構成、要望にマッチした感のある間取りをパクることに。ファッション界でいうところの「スタイルブック」=「間取り集」が家づくりの世界でも流行しました。そのあたりの話は以前も少しふれました。

そうした「間取り集」の需要は、住宅取得者にとって必要なだけでなく、住宅をつくる側=大工・工務店にも同様だったよう。その証左が建築資料研究社の隆盛だというわけです(ようやく話が元に戻ってきました)。
 
1949年から1950年にかけて立て続けに成立した建設業法・建築基準法・建築士法、そして住宅金融公庫法は、それまでの「板図」で家をつくる文化を再編(というか駆逐)していったわけで、図面化する技術の不足を代替すべく、「既成設計図」が活躍する余地が生まれたことでしょう。いってみれば、民間版の「標準設計」として。

先に挙げた『既成設計原図集』シリーズの内容に「工事契約にも利用可」と書かれていたり、「積算、計算書」や「構造計算書」が付随していたのにお気づきになった方もおられるかと思います。間取りの事例であることを超えて、設計図や積算、構造計算がパッケージ化されているわけです。

こうした内容の書籍がどの程度売れて、かつ、全国の工務店にどの程度利用され、それらをもとに実際に建設に至ったのかはわかりません。全くもって個人的・局所的なエピソードですが、大学時代の同級生の家が工務店を営んでいて、彼の家には『既成設計原図集』があったのを今も覚えています。

余談ですが(というか全部余談ですが)同じ頃、一般向け住宅雑誌の誌面上で「住宅無料設計」なる企画が流行していて、これもまたプランニング・図面化の技術と、膨大な着工戸数の間に横たわる溝を埋めるものだったのだろうなぁ、と睨んでいます(図1)。無料設計企画に関与されていた某建築家先生に、その頃、わんこそばのようにプランを作っていたというお話を伺っておきたいところ。

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図1 雑誌『住まいの設計』の無料設計企画

しかもスタイルブック的「間取り集」の流行は、旧来の架構と間取りが一体となった大工さんによる合理的なプランをも崩していきます(架構の美しさ・合理性よりも、間取りの面白さや融通性に素人はそそられる)。
 
じゃあ、設計は設計事務所にまかせて、施工を大工・工務店がやればいいじゃないの、と思ってしまいますが、それは現代的な見方であって、もともとは大工さんが全部やったのを「請負契約」の必要性から法人格を獲得したのが「工務店」なのでした(*3)。
 
それゆえ、先日投稿したわたしの実家(1976年着工・竣工)は設計事務所が図面を引いていますが(確認申請・公庫審査)、実際に間取りをつくったのは、家を建てた大工さんだったようです。

このあたりの経緯を知るためにも、建築資料研究社・日建学院の草創期はとっても気になるのですが、残念ながら本にもネットにも情報があまりありません。
 
建築資料研究社には「鉄人ぷりん」もごちそうさまでしたが、ぜひとも当時の経緯なども含め記録した『建築資料研究社・日建学院50年史』を出してほしいなぁ。同社の経営理念はこうあります。

日建学院および専門学校教育により、次期業界を背負って立つ人材の育成をはかる。
専門資料およびコンピュータ業界への普及により、業界の合理化をはかる。
厳しい経済環境に対応できる建設産業界の支援・育成をはかる。
(建築資料研究社・日建学院「経営理念」)

建築資料の提供も、資格取得の学校も、その歩みは、高度成長期の建築界と一体になったものだから。

(おわり)


1)グループ校の卒業者は1万人を超える日建工科専門学校は、東京(実務学園)、宇都宮(日建学園)、水戸(城東学園)、群馬(朋学舎)、新潟(信濃学園)、横浜(実務学園)、浜松(実務学園)の7校からなるそうで、「千葉日建工科専門学校は、上記日建工科専門学校グループとは異なります」とのこと。
2)アンドルー・ゴードン『ミシンと日本の近代:消費者の創出』、みすず書房、2014年
3)藤澤好一「工務店『学』入門」、藤澤好一ほか編『いい工務店との家づくり:本気で家づくりを考える人のために』、雲母書房、2005年

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竹内孝治|元・住宅営業マン

住宅産業や住宅計画、近代住宅史について教育たまに研究しています。noteにはあれこれ思いついたり考えたりしたことをメモ的に書き出しています。建築家・ハウスメーカー・工務店を対立構図ではなく、それぞれの存在意義を尊重しつつ、まずは個々の事例について考えていきたいです。

戦後日本の居住文化

間取り集、家相本、日曜大工・・・。戦後日本の居住文化を紐解くことで、わたしたちにとっての住まいを再考します。
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