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RC造建築の語られ方|環境に優しい自然素材としてのコンクリート

木材を使わないで造る、地球環境にやさしい鉄筋コンクリート
コンクリートは国内に無尽蔵にある自然素材ですが工法、施行(ママ)資材の面からも環境配慮を考えています。

愛知県を拠点にして分譲住宅の施工・販売を手掛けるRCハウジングは、自社が手がける鉄筋コンクリート造住宅の魅力をそう語ります。尾張・三河を中心に積極的な展開をみせ、さらに沖縄と北海道にも支店を構えていたRCハウジング。

街中でよく見かけるのは、敷地を細分化して狭小間口に3階建て住宅を分譲するスタイル。同社の主力商品、鉄筋コンクリート分譲住宅シリーズ「ディア・ステージ」(図1)です。

図1 ディア・ステージ(同社HPより)

ちなみに同社は、2018年5月末に民事再生法が受理され、目下、会社再建中です。でも、同社の鉄筋コンクリート造住宅への語りは、木造建築の復権が注目されるなか、いろいろと興味深い視点を与えてくれます。

RCハウジングによる語り

1994(平成6)年に設立されたRCハウジングは、名古屋、豊橋、そして沖縄、北海道に支店を構え、何よりも鉄筋コンクリート造(以下、RC造)に特化して分譲住宅を手がける点に最大の特徴があります。

なぜRC造なのか。同社のホームページではその理由を次のように説明しています。

RCハウジングは、企業理念である「顧客の豊かなライフスタイルを実現する」ために、鉄筋コンクリート住宅に特化して事業を続けてまいりました。なぜ鉄筋コンクリートか。それは、住宅の中で最も優れた耐久性、快適な住環境、長期の資産価値を持っている建物を造ることができるのがこの構造だからです。
(RCハウジング ホームページ)

さらに同社は、冒頭でも紹介したようにコンクリートは自然素材だと言います。これは一般の方々にとっては意外かもしれませんが、建築をお仕事にしている人たちにとっては案外とフツーの主張で、砂と砂利と水であらかた構成されたコンクリートは、木と同じくらいに自然素材です。実は鉄も。

あわせて、RC造建築が地球環境にやさしいこともアピールします(RC造住宅を同社は「コンクリート住宅」と呼ぶので、以下、同社のそれの場合はそのように表記します)。

コンクリート住宅は木材を使わない。ただ、世間一般のそれはコンクリート打設時にたくさんの合板を要するベニヤ型枠を使用、数回の転用を経て廃棄されている。しかも、その合板の材料はほぼ輸入材であり、かつては熱帯雨林産、さらにはロシアやニュージーランドの森林を伐採して入手しているもの。それゆえ、合板をたくさん使用することは、世界各地の森林を枯渇させることになる。

それゆえ、RCハウジングのコンクリート住宅は、ベニヤ型枠を使わないRC-Z工法、つまりは何度も使えるFRP型枠を用いて廃棄物の発生を大幅に抑制しているのだと(図2)。

図2 RC-Z工法(同社HPより)

さらに、かつては木造が主流だった沖縄が、現在ではもっぱらコンクリートやコンクリートブロック造住宅へ転換した例を挙げ、台風の通り道である沖縄だからこそ、災害に強いコンクリート住宅が採用されているのだと説きます。そのほか、シロアリ被害の心配がない、長持ちするなどの利点を挙げて、同社がなぜコンクリート住宅にこだわるのかが丁寧に語られています。

自然素材だとか環境保護といった論点は、むしろ木造住宅が得意とした語り方だったものですし、その一方で長持ち、シロアリ、台風といった話題は、木造住宅批判でよく用いられるものだったことを思うと、RCハウジングによるコンクリート住宅の語りは、木造住宅批判はもちろんのこと、木造住宅讃美をもコンクリート造の利点を語るロジックとして取り込むものだと言えます。

ちなみに、そうしたRC造住宅の語りは、RCハウジングだけではりません。たとえば、スターハウス・インターナショナルとか。

コンクリート、近代批判の藁人形

20世紀はコンクリートの世紀、そして、21世紀は木の世紀。建築家・隈研吾の大活躍で、近代批判の藁人形としてコンクリートはその位置を得たわけですが、そもそも都会を否定的なイメージで表現する際に「コンクリート・ジャングル」と言い古されてきたことからも、受容されやすい言説だとわかります。それこそ「コンクリート・ジャングル」と題した歌も多い。

義理も捨てたし 人情さえも
捨ててさすらう コンクリート・ジャングル
嘘でかためた 都会の夕日
他人同士に なぜ赤井
(桜木健一「コンクリート・ジャングル」佐々木守作詞、鈴木邦彦作曲、1971)
ビル街につかれた男
ひとりで寝るアパートは淋しかろ(BABY)
あくせく働く毎日 昨日と同じ明日が来る
すぐに去ろうこんなとこ
コンクリート・ジャングル
(萩原健一「コンクリート・ジャングル」速水清司作詞・作曲、1979)

ほかにも、ユニコーン(1987)、久宝瑠璃子(1995)などなどが「コンクリート・ジャングル」と題した曲を歌っているけれども、共通するのは嘘にまみれた都会像です。とはいえ高度成長期には、コンクリートは期待の星だったわけで、それは1962年の放送された「現代の記録:コンクリートのある風景」にもよく表れています。

焦土と化した東京には、何よりも耐震性・不燃性が求められることになり「コンクリートのある風景が充満」。まさに「第二の土、コンクリート」。松村禎三の音楽のせいで、なんか不安感が強い映像になっていますが、RC造は戦後日本の期待を背負った建築だったのでした。

ちなみに、ここでは立ち入りませんが、コンクリートがもつ文化史的な背景については、こちらの本がとても面白いです。

下手をすると、強靱さや重量感といったコンクリートが持つ性質が、旧来の日本人気質に欠けているものであって(さらには、それゆえ愚かな戦争を行うに至ったのであり)、コンクリートによって近代化・民主化されるべき、と考えられたふしもある。

でも、というか、だからこそ、近代批判の文脈のなかで、コンクリートは悪者と見なされていきます。それこそ、伊勢湾台風による甚大な被害を受けて成立した、日本建築学会による「建築防災に関する決議」(1959)、いわゆる「木造禁止決議」とその後の木造建築研究の退潮は、「コンクリート・ジャングル」が歌われた1970年代に入って近代批判の恰好の材料として非難されるようになっていったのでした。

漫画『美味しんぼ』の建築学会批判は、そうした「近代批判としての木造禁止決議」の典型例として挙げられるでしょう。

1970年代の近代批判、江戸ブーム、最後の宮大工・西岡棟梁ブームといった動きを経て、1980年前後には、木造の復権が本格化します。1977年には財団法人・日本住宅・木材技術センター設立。1980年に在来構法懇談会、1986年には木造建築研究フォラムがスタートしています。

そんな動きと並行して、コンクリートの耐久性について疑問を呈する論考が発表、注目されました。書いたのは建築家であり建築構法学の権威・内田祥哉。内田は先の在来構法懇談会や木造建築研究フォラムを主導した人物でもあります。彼が建築専門誌『新建築』に書いた時評(新建築、1982年掲載)は全4回。

①コンクリート建築は歴史的建造物となり得るか、1982.2
②最近のコンクリートは100年耐えられるのか、1982.5
③鉄筋コンクリート建築を歴史的建築物となし得るか、1982.8
④鉄筋コンクリート造と歴史的建造物、1982.11

これらの内容をふまえて、後に「コンクリートに耐久性はあるか」と題した講演を行っています(1982年11月5日)。のちに『やわらかい新都市』(梅棹忠夫ほか編、講談社、1984)に収録された講演録には次のようにあります。

私のところへ電話を下さる方がたくさんありまして、「いまうちでコンクリートを打っているんですけれども、このコンクリートは大丈夫でしょうか」というような電話がかかってまいりました。そういう方には、それは私が「新建築」という雑誌に書いた記事を紹介したもので、コンクリートがいますぐこわれるかどうかという話ではなくて、コンクリートの建築はかつては百年、あるいは永久にもつといわれていたけれども、どうもそんなにはもたないのではないかという話です、と説明をしております。
(内田祥哉「コンクリートに耐久性はあるか」1984)

実際に内田の発言や文章を読んでいくと、彼はコンクリートの耐久性を部分的に疑問視しているのであって、コンクリートに耐久性がないと断定してはいません。だけれども、「永久にもつと思われたコンクリートが実はそんな耐久性はない」という雑な話として流通していく。

それは、コンクリートに対して否定的な論調が欲望されたからこその反応であったろうし、同時にその話題提供を行ったのが木造再評価を推し進める人物であったという事実は、カングリー精神を刺激せずにはいられません。

いま、近代批判の呪縛から少しばかり自由になり、さらには自然災害(火災や地震だけでなく津浪へも)への危機感が高まり、さらには一時期には隣国からの空襲すら懸念されたことから、RC造住宅があらためて注目されるようになりました。そうして登場したのが、RCハウジングによるRC造建築の語りなのです。

モデルとしての木造建築の語り/騙り

木質構造研究の大家・杉山英男(1925-2005)は「在来木造住宅卓越論」なる言葉をエッセイ「木質住宅と日本人」(ミサワホーム総合研究所『日本人:住まいの文化誌』1983所収)で使っています。

杉山は木でつくる住宅を愛するがゆえに、「日本型木造住宅」だとか「在来木造住宅」といった表現でもって権益を守ろうとする人々が使う、在来木造住宅を讃美したり、その卓越性を謳ったりする論理に疑いの目を向けました。

(現在の木造住宅は)ハードウエアー的に桂離宮や数寄屋建築とかなり異質になってしまっている。文化遺産的なもの、精神的なものが依然残っていると力説する向きもあるが、その論法は、過去と現実を混同した外国向けの在来的日本宣伝法と変わりない。
(杉山英男「木質住宅と日本人」1983)

ほかにも、木造建築は長持ちするという話に出てくる法隆寺も「法隆寺しか残らなかった」の証左だし、「世界中で日本人が最も木材を愛し、最も木材に馴れ親しんでいると自称するのを少しは控えるべき」と忠告しています。杉山はそうした「ですよねぇ~」な指摘の手を緩めません。

在来木造住宅の卓越論や讃美論には、過去と現実の混同、事実と観念の乖離が見られるのであるが、これらは理論武装のほころびと言えよう。ではなぜそうしたとって着けたような理論武装が横行するのであろうか。ずばり言えば、在来木造住宅で家を建てようとする日本人の多くにそれがアピールするからである。恰好の良い建前論が人々の心を擽るからである。
(杉山英男「木質住宅と日本人」1983)

では、建前ではなく、在来木造住宅を好む本音は何なのか。杉山は言いたくない本音を、①安いから、②在来木造住宅しかしらないから、③みんな在来木造で建てるから、の3つだとズバリ言います。

こうやって部分的に引用すると、杉山自身が木造建築が嫌いであるかのように見えてしまうかも知れませんが全く以て逆で、「わけのわからんアピールと変な差別化はするなよ!木造建築の未来のために!」というのが基本姿勢(ちなみに杉山は「木質建築」と表現します)。

ただ、案外とこうした在来木造住宅卓越論・讃美論をする人々にとっては、本気でそうした主張をしている節も多々あります。少なくとも言えるのは、卓越論・讃美論がもはやファンタジーと言わざるを得ないほど、現実に即さない語られ方をする理由のひとつに、木造も鉄骨造も鉄筋コンクリート造も、それぞれに持つ欠点を大幅に克服しつつあり、もはや構法のコモディティ化が進んでいるということ。

コモディティ化が進んだゆえに、価格による比較を脱するためにはファンタジーを語る(騙る)しかない。そして、ファンタジーを語ることにかけては、木造住宅はさんざんにその手法を洗練させてきたきらいがあります。その到達点が建築家・隈研吾による語りなのは言うまでもありません。

木がますますファンタジー化するのにあわせて、コンクリートのファンタジー化も進む。それこそ、約一世紀の歴史をもつ木造愛国論と木造亡国論を統合された地平にRC造建築の語られ方が立ち現れているのは中廊下とも。

RCハウジングによるコンクリート住宅の語りは、環境保全や沖縄のRC・CB造住宅に対する説明だとか、敷地をどんどん細切れにしていく手法に疑問の余地がないわけではありませんが、そんな語りのモデルが実は仮想敵である在来木造住宅なのだと思うと、もはや住宅市場自体がそうした語られ方の主戦場なのだと気づくのです。

(おわり)


※蛇足かもしれませんが、ファンタジー自体を否定するものではありません。

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