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遊びの未来を創ることは未来の全てを造ること|イラストレーター真鍋博の未来都市【3】

遊びの未来を創ることは未来の全てを造ることである。

そんな言葉で締めくくられる、イラストレーター真鍋博(1932-2000)のエッセイ「遊び車の思想を」(1967)。建築専門誌『SD』の1967年5月号に掲載されたもので、同号は「遊びと遊びの空間」特集でした(図1)。

図1 SD 1967年5月号

「いまわれわれの遊びの思想は全く貧しいといわねばならぬようだ。遊びの未来を創ることは未来の全てを造ることである」(真鍋博「遊び車の思想」)と。

高度成長期にたくさん描かれた「未来」の代表格・真鍋博が「未来の全てを造る」行為とイコールだと言う「未来の遊びを創る」とは、一体どんなことだったのでしょうか。

真鍋博と「バラ色の未来」

真鍋博といえば、高度成長期の「バラ色の未来」を連想します。でも実は、真鍋自身はそんな「バラ色の未来」にとても批判的な立場をとっていました。当時横行していたステレオタイプな未来イメージを批判しつつ未来の複数性を次のように表現しています。

未来は可能性をふくんでいる。未来は一つではない。いろいろのビジョンがあっていい。未来は方法やアイデアやパターンではなく考え方であり思想である。
(真鍋博『絵でみる20年後の日本』1966)

真鍋の発想する未来は、中央から周縁へ、文明から文化へ、固定から流動へ、二者択一から多者択三へ、など固定観念を破壊しながら新たな可能性を探るという姿勢が一貫しています。そのための発想法として語呂合わせやダジャレ、アナロジーを多様するのも大きな特徴。

真鍋の描く未来像は、当時の未来ブームに抗するように「のほほんと待っている夢の未来」ではないことを強調します。

経企庁の白書が発表された時もマスコミは、車は一家に一台だとか、米の需要が減り、肉の摂取量がふえるといった“未来未来”した角度ばかりをとりあげた。ぼくはそうした一面だけでなく、老人がふえたりゴミの処理が国家的問題になるといった来たるべき時代の内面まで包括した未来をここで描きたかったのだ。だからこれは早く来い来いとのほほんと待っている夢の未来ではない。待ちのぞむべき未来のために解決していかねばならぬ未来である。そしてあくまで自分の考える日本の未来である。自分で摑みとりたい、実現させたい未来である。
(真鍋博『絵でみる20年後の日本』1966)

真鍋にとっての未来は、ブームと化していた未来像や未来観とは異なるどころか、むしろそうした発想への批判を含んでいたというのは、今となってみてはちょっと意外です。下手をすると、皆がひとりひとり持つべき多様な未来を説いた真鍋の画業が、皆の未来を縛った可能性すらあったのでは中廊下と思ったりもします。

真鍋博の「あそび」論

エッセイ「遊び車の思想を」にて、真鍋は当時の未来ブームに便乗して繰り出されていた「遊び」の未来予測を批判的に紹介しています。遊びと労働を二項対立的に見ることへの疑問です。そこでエッセイのタイトルにも掲げる「遊び車」の比喩が登場するのです。

原動軸から従動軸へベルトをひく車、この距離を縮めたり、二軸が平行でないときはベルトの方向を変え、回転の数を変えたり、緊張力をあたえてベルトがゆるんだりはずれたりしないようにする車、労働軸と睡眠軸をつなぐ生活車、遊びの位置をそこに見出す未来像がなければならぬ。いまわれわれの遊びの思想は全く貧しいといわねばならぬようだ。遊びの未来を創ることは未来の全てを造ることである。
(真鍋博「遊び車の思想を」1967)

そんな真鍋の文章は常に遊び心が込められています。

たとえば、「衣・食・住・遊」と題したエッセイ(『真鍋博の複眼的人間論』1971所収)では、「個人個人が勤労と余暇の二つの時計」を持ち合わせる必要性を説いています。これは「遊び車」の別表現。ここでも真鍋は画一的な余暇のあり方を批判し、多様性・選択性を重視しています。

「買うレジャー・創るレジャー」(『ぼくの家庭革命』1971所収)では、労働時間との対比で「レジャー自間」が提案されます。「時間」でなく「自間」なのはタイプミスではなくって、時計に支配されない自分だけの時間=「自間」が必要だから。また、遊びは若者だけのものじゃなく、人生の節目ごとにいろんな遊びがあることも指摘します。

他にも「「遊び」を遊ぶ」(『有人島』1972所収)では、“よりイージー”なレジャーの在り方に疑問を投げつけ、「脱オートマティックにこそこれからのレジャーのすべてがあるのだ」と説きます。「パターン化したり普遍化することのないものにこそ遊びのエッセンスがある」のだと。

真鍋の著書・論考においては、1960年代以降、隆盛を極めていたレジャーブームを土壌に形成された画一的な遊びの在り方を批判している点が共通しています。それゆえ、真鍋の遊び観は多様性を重んじるとともに、個人個人の自由な選択性確保を重視しました。

また、遊びと労働、休日と平日、行楽地と勤務地といった線引きへも懐疑的であり、多様な遊びの在り方を、彼独自の造語を交えながら提案しているのが微笑ましく特徴的です。

描かれた「あそび」

真鍋の描くイラストレーションは、遊びをテーマとせずとも遊び心あふれた表現が特徴です。さすが「遊びの未来を創ることは未来の全てを造ること」だけはある。

遊びをテーマとしたイラストレーションは、たとえば『2001年の日本』(1969)に描かれた遊園地や旅行の未来イメージ(図2・3)。

図2 遊園地(2001年の日本)

図3 旅行(2001年の日本)

あるいは、子ども向け雑誌『こどもとしぜん』(1968年4~12月号)の連載にみられる「みらいのゆうえんち」(図4)や「みらいのどうぶつえん」(図5)。

図4 みらいのゆうえんち

図5 みらいのどうぶつえん

さらには少年向け雑誌『少年キング』(1970年1号)のグラビア「未来世界」(図6)。

図6 ムーン・レジャー

エッセイで語られている多様で選択性の高い遊びの未来像が表現豊かに示されています。あと、描かれた内容は、多くの場合が自然のアナロジーで描かれているのもわかります。自然と人工物、人間と動植物、地上と地下、陸上と水中などの境界が曖昧になっているのが特徴的です。

真鍋の「あそび」論は、多様性や選択性を重んじたり、単純な二項対立に抗したりする姿勢が貫かれています。それは彼の独特な未来観とも共通するもの。高度成長期を通過し、科学至上主義や都市文明礼讃の問い直しがおきる1970年代に、真鍋はエッセイ「遊び車の思想を」を発表したのでした。

「絵の中でいろいろなアイディアを提案し続けたら、いつかそれが実現するかもしれない」。そんな思いをこめて真鍋は未来画を描きました。そして、そこで描かれる夢が「現実に拍車をかける」という信念を持っていました。そんな文字通りクリエイティブな態度を真鍋は「視覚的シミュレーション」とか「SF=アセスメント」とか表現しています。

テレビにしろ、ロケットにしろ、ジェット機にしろ、考えてみればSFに描かれたものである。が、原子力発電も、代替エネルギー開発も、古典的SFには描かれていない。ということは夢として語られ、想像されたものは人間はいつか抵抗なく受け入れる。まして絵になるというのはこういうものができてほしいと多くの人が望んだからで、結果的にイメージが浸透し、社会的に認知されていくのである。
(真鍋博『発想交差点』1981)

遊びの未来を創ることは未来の全てを造ること。遊びの未来像をたくさんの文章やイラストレーションを通して世に問うた真鍋博。自ら描く夢が「現実に拍車をかける」という信念に従って。

「未来画家」だからこそ、ぜひとも自分の目で見てみたいと待望した21世紀を、なんとも皮肉なことに翌年に迎えた2000年、真鍋は静かに息を引き取ります。

遊びの未来を託された21世紀のわたしたちは、どんな遊びを創ることができているのでしょうか。その出来具合が未来の全てを造ることに直結するとしたら、はたしてどんな未来を造ることができたのでしょうか。

(おわり)

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