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造形をめざして【2】大学名称変更のゴタゴタ劇から

先月27日、学校法人瓜生山学園「京都造形芸術大学」は、「開学30周年『グランドデザイン2030』と『京都芸術大学』への名称変更(2020年4月1日〜)について」と題した発表を行いました。

このグランドなんちゃらはともかく、「京都芸術大学」という大学の新名称が、既に「京都芸大」あるいは「京芸」等の略称で知られる「京都市立芸術大学」と被ってしまうとのことで目下はげしく紛糾中なのはご存じの通りです。

今のタイミングで、そして、よりによって由緒ある公立大学と混同されかねない新名称を採用した思惑については、あれこれカングリー精神発動も含め取りざたされています。とりあえず、そうした議論や指摘については、数多ある記事や投稿にお任せしましょう。

わたしが興味をもったのは、30年間という歳月でそれなりにブランディングされてきた大学名称を変更してまで〈造形〉の文字をはずしたのはなぜだろう?という問いを、「大学経営」云々ではなく「大学教育」という視点にとどまって考えられないのかなぁ、ということ。

とはいえ、そんな大それた考察をできるわけでもないので、以下、今回の大学名称変更を噺のとっかかりに、そもそも〈造形〉ってなんなんでしょう、という以前書いたお話の続きとしてメモしておきたいと思います。


芸術・造形・造形芸術

「京都造形芸術大学」という大学の名前が「京都芸術大学」になるということは、別の言い方をすれば、大学名称から「造形」の語句をとっぱらったということ。きっと「造形」という言葉が、大学での教育方針や内容にはそぐわなくなった(あるいは、当初からズレがあった)ということでしょう。京都造形芸術大学自身が公表した「GRAND DESIGN2030」にも、こう書かれています。

…現在は学科数も17学科に増え、「造形芸術」の枠を超えた、より広義の「芸術」領域の教育・研究に取り組んでいます。「Art」の語源であるラテン語の「Ars」が意味する、「人が生きる術」すべてを表す「芸術」をその名に抱き、「人間とは何か」を問い続け、この京都から「藝術立国」の実現に向けた取り組みを推進してまいります。
(京都造形芸術大学「GRAND DESIGN2030」2019)

教育内容が開学当初の「造形芸術」という枠組みを超えているので、現状に沿って「造形」の語句をはずします。それが名称変更の理由だそうです。この資料には、「造形芸術」と「芸術」それぞれの定義も付記されています。

造形芸術:物質的材料で形象をつくり、もっぱら視覚に訴える芸術。絵画・彫刻・建築の類。
芸術:①技芸と学術。②一定の材料・技術・身体などを駆使して、鑑賞的価値を創出する人間の活動およびその所産。絵画・彫刻・工芸・建築・詩・音楽・舞踊などの総称。
(京都造形芸術大学「GRAND DESIGN2030」2019)

なるほどなるほど。「造形芸術」ってそういう意味なのね。

ただ、妙に簡潔で限定的なその定義は、ちょっと腑に落ちない部分もあります。たとえば、手元にたまたまある『デザイン小辞典』(福井晃一編、ダヴィッド社、1978年)に収録された「造形」の項目は次のように説明されています。

造形 狭義には造形芸術をさすが、今日では、芸術的表現を目的としないもので、なんらかの美術的要素をもつものを包含させた概念として使われている。しかし美的要素の有無にかかわらず、人間の意識的活動により、目に見え、手にふれうる形を作ること、または作られた形象一般をさす、というように最も広く解釈することができる。この場合、子供のらくがきも、鉛筆を削ることも、ピカソの絵画やロダンの彫刻と同様に造形とよばれる。
(福井晃一編『デザイン小辞典』1978年)

ナント!孤鷲拳。「狭義には造形芸術をさすが」とあります。ということは、「造形芸術に収まりきらないので、〈造形〉の語句をはずす」という選択肢があるとともに、それとは全く逆に「造形芸術に収まりきらないので〈芸術〉の語句をはずす」道があるということ。

そういえば、「京都造形芸術大学」が大学名称から「造形」をはずしたのとは真逆に、「芸術」をはずした事例を思い出します。それは「名古屋造形芸術大学」。今の「名古屋造形大学」です。2008年4月、同大学は大学名称と学部名称(造形芸術学部)から「芸術」の語句をはずしました。

この名称変更の理由がちょっとわからないのですが、単純に既存の「名古屋芸術大学」との差別化だとしたら、「京都造形芸術大学」の一件とこれまた真逆なので面白い。ただ、そんなカングリーを我慢して、「造形芸術」ではなく「造形芸術に収まりきらないので〈芸術〉の語句をはずす」選択だとしてみましょう。

名古屋造形大学は、同朋学園の建学の精神である「同朋精神」、言い換えれば、「共なるいのち」を生きることを教育・研究の基本理念として、真に他者と繋がりあう生きた造形力を養い、社会に有為な人を育成します。(中略)造形分野の各領域が越境しながら進展している造形表現の状況を見据え、多様な社会的ニーズに応えるカリキュラムを編成します。
(名古屋造形大学「カリキュラム・ポリシー」)

なるほどたしかに「造形芸術」ではない広義の「造形」で捉えていることがうかがえます(かと思うと、大学ホームページにある学長からのメッセージが「あなたは芸術家です」というタイトルなんですが)。

付記(2019.9.5)
大学名称変更時に学長を務められた高北幸矢先生より、直々に名称変更時の経緯・意図等をご教示いただきました。やはり、確たる理念と意図の上に、「名古屋造形芸術大学」から「名古屋造形大学」へと変更したものでした。ありがとうございます。
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名古屋造形芸術大学→名古屋造形大学
全力を注いで変更した張本人です。
名前だけではなく、教育内容大改革とのセットです。造形と芸術の意味はもちろん確認の上、教育目標全ての再編とともにあった変更です。
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日本の造形大学

京都芸術大学(現・京都造形芸術大学)と名古屋造形大学(旧・名古屋造形芸術大学)について言及しましたが、日本にはそのほかにも、東京造形大学(1966年開学)、長岡造形大学(1994年開学)、成安造形大学(1993年開学)といった、大学名称に「造形芸術」ではなく「造形」を掲げる大学が存在しています。

大学名称には「造形」を含まないものの、「造形学部」をもつ大学としては、武蔵野美術大学、文化学園大学、愛知産業大学、常葉大学などにあります。また、「メディア造形学部」が名古屋学芸大学に、そして「造形芸術学部」が宝塚大学に、そして今はもう存在しませんが、神戸ファッション造形大学ファッション造形学部というのもありました。

「造形大学」を名乗るもっとも老舗は東京造形大学。あの桑澤洋子(1910-1977)率いる孤高の桑沢デザイン研究所からスタートした桑沢学園が、1966年につくった大学。校舎は建築家・浦辺鎮太郎(1909-1991)が設計しました(現存せず)。

でも、それより前の1947年に造型(造形ではなく)美術学園ができます。というか、帝国美術学園からの名称変更。しかもほんの一瞬で、翌1948年には武蔵野美術学校と再度名称変更されます。つまりは現在の武蔵野美術大学の前身です。

そうした経緯の名残でしょうが、1962年に開学した武蔵野美術大学には「造形学部」が開設されました。山脇巌(1898-1987)がこだわったであろう「造型」の語句が「造形」と形を変えて、ここに復活したのでしょう。ということで、「造形学部」の嚆矢は武蔵野美術大学(1962年)で、「造形大学」は東京造形大学が最初(1966年)ということになります。

さて、日本初の「造形大学」である東京造形大学は、どんな経緯や思いで誕生したのでしょうか。開学当初の入学案内にはこう書かれています。

当大学の教育目的は〈デザイン〉および〈美術〉を〈造形〉という広い観点から総合的にとらえ、その理論・応用を教授研究するとともに、深く専門技能をきわめ、個性豊かな人材を育成し、文化の創造、とくに日本の産業の発展、社会の福祉に貢献することを目的とするものであります。
(「東京造形大学入学案内」1966年)

あるいは、こうも語られています。

東京造形大学の教育理念のベースには、やはり桑澤洋子の“概念くだき”の思想が流れている。特定の力や意向に迎合することなく、本質を貫く思想を持ったデザインを提示することこそが、同学の基本構想であった。
設立に際しては、この思想を具現化するために、当時の文部省への大学認可申請では以下の2つの名称を申請している。
「東京造形デザイン大学」と「東京造形大学」である。
(中略)
最終的に後者が文部省の裁可を受けることになったが、デザインや美術を造形という概念から総合的に捉えるという基本理念が、その名称に表されている。
(桑沢文庫出版委員会『SO+ZO ARCHIVES』2010年)

このあたりの経緯はややあいまいなようで、桑澤洋子の評伝には、「当初、校名に〈デザイン〉という文字をつけたかったのだが、カタカナ表記を文部省が許可せず、やむなく〈造形〉と謳うことになったという」と書かれています(櫻井朝雄『評伝・桑沢洋子』、桑沢学園、2003年)。

実際、桑澤自身は「東京デザイン大学」を推していたのでは中廊下的推察を、春日明夫は披露しています(『桑沢学園と造形教育運動』、桑沢学園、2010年)。

では、「東京デザイン大学」ではなく「東京造形大学」を推した人物は誰なのか。春日は濃厚な可能性として、勝見勝(1909-1983)の名を挙げています。

勝見の(大学設置構想への)提案書からは、大学設置にかける造形教育の革新的思想とその理想が読み取れる。つまり、東京造形大学設置構想並びに開学に当たっては、勝見勝の造形教育思想が大きく影響したといっても決して過言ではない。
(春日明夫『桑沢学園と造形教育運動』2010)

ちなみに、勝見が戦時中に出版した評論集は、その書名を『手と造形』(教育美術振興会、1944年)といいました。以後、勝見にとって〈造形〉は一生をかけたテーマでありつづけました。


英語訳できない〈造形〉

さきほど引用した櫻井朝雄の文章、「やむなく〈造形〉とうたうことになったという」には、次のようなつづきがあります。

けれど、(文部省としては)英文表記にデザインの文字を採りいれることは差し支えなく、〈Tokyo University of Art and Design〉とした。
(櫻井朝雄『評伝・桑沢洋子』2003)

ちょっとこの指摘はよくわからなくって、少なくとも現在、東京造形大学の英文表記はそうなっていません。美術学科とデザイン学科を置くことから、Art and Designというのもわからなくもないのですが。では、どうなっているのか。それはTokyo Zokei Universityです。つまり〈造形〉は英語訳されていないのです。同大学の英文HPには、かろうじて「Zokei(creating art and design)」とカッコづけで英語表記されてはいますが。。。

実際に、冒頭に紹介した『デザイン小辞典』の「造形」の項にはさきの引用文以外に、こう書かれています。

なお、〈造形〉に該当する外国語は見当たらない。〈造型〉はドイツ語のプラスティーク(Plastik)と同様に、彫塑の意であるが、立体的造形の意に使われていることがある。
(福井晃一編『デザイン小辞典』1978)

なんと「該当する外国語は見当たらない」。だから、東京造形大学は「Zokei」と表記したのでした。となると、他大学はどう訳しているのでしょう。

京都造形芸術大学 Kyoto University of Art and Design
東京造形大学   Tokyo Zokei University
名古屋造形大学  Nagoya Zokei University
長岡造形大学   Nagaoka Institute of Design
成安造形大学   Seian University of Arts and Design

ちなみに、名古屋造形大学の旧名称である名古屋造形芸術大学は、どう英語表記していたのでしょうか。調べてみると、「Nagoya Zokei University of Art and Design」でした。あれ?なんか、頭痛が痛い的な表記じゃない?

なお、武蔵野美術大学の造形学部は「Art and Design」、愛知産業大学の造形学部は「Architecutre and Design(なんじゃそりゃ)」となっています。

どうやら、大学名称における「造形」の英語表記は大別して「Zokei」と「Art and Design」の二派になっているようです(長岡造形大学はちょっとわかりませんが)。こうして見ると、大学名称における「造形」に対してどんな英語訳を与えるのかは、「造形」に対するその大学のスタンスを判定するリトマス紙だといっても過言ではなさそう。そして、まちがいなくZokei派は〈造形〉は「Art and Design」とイコールじゃないよね、と思っていそう。

ようやく話が冒頭のネタに帰ってきます。「造形芸術に収まりきらないので〈造形〉の語句をはずす」という京都造形芸術大学と、逆に「造形芸術に収まりきらないので〈芸術〉の語句をはずした」であろう名古屋造形大学は、それぞれ前者がArt and Design派、後者がZokei派に対応しているということ。


徳山詳直の文藝復興運動

京都造形芸術大学は、「造形」をArt and Designとしていた時点で既に、今回の大学名称変更への萌芽があったのだということ。もう一度、京都造形芸術大学の主張をみてみましょう。

…現在は学科数も17学科に増え、「造形芸術」の枠を超えた、より広義の「芸術」領域の教育・研究に取り組んでいます。「Art」の語源であるラテン語の「Ars」が意味する、「人が生きる術」すべてを表す「芸術」をその名に抱き、「人間とは何か」を問い続け、この京都から「藝術立国」の実現に向けた取り組みを推進してまいります。
(京都造形芸術大学「GRAND DESIGN2030」2019)

ここに出てくる「藝術立国」という言葉は、同大学がその前身である短大開学から30周年にちなんで発信した「藝術立国:平和を希求する大学をめざして」(2007年)というステートメントで登場したもの。その文章は次のようにしめくくられます。

芸術とは何か。
芸術は戦争を抑止できるか。
芸術は地球上から貧困を根絶する力になるか。
芸術は人類の新たな救世主たりえるか。
「平和を希求する大学」としての旗幟を鮮明にし、後に続く世代を信じて、命のある限り闘っていく決意を新たにしています。
(京都造形芸術大学「藝術立国」2007)

何度も繰り返される「芸術」という言葉。それに対して「造形」という言葉は、A4横7頁に及ぶ文章中、大学名称としては登場するものの、それ以外では一切用いられていません。「芸術と文化」という表現が目立ちます。

あと、この文書には東北芸術工科大学についても言及されます。この後、京都造形芸術大学との学園統合話が沸き起こり、すったもんだの上に頓挫したわけですが、この東北芸術工科大学の英語名称が「Tohoku University of Art and Design」。

両大学の名称は、「造形芸術」と「芸術工科」といったように日本語表記では大きく異なっていますが、英語表記だと「Kyoto」と「Tohoku」が異なるだけです。実際、東北芸術工科大学は開学時に瓜生山学園の協力を得ており、同一人物が理事長も務めました。だからこその統合騒ぎでした。

「芸術工科」と代替可能な「造形芸術」なわけで、それはつまりは「芸術」でよいということをも意味するでしょう。実際のところ、両大学が連携して展開中の幼児向け芸術教育は、その名称を「こども芸術大学」といいます。「こども造形芸術大学」でもなければ「こども芸術工科大学」でもなく、「こども芸術大学」なのは、「京都芸術大学」へと地続きでしょう。

さて、この文書「藝術立国」は、先行するテキスト「京都文藝復興」(2000年)と対になっています。学園の創立者・徳山詳直(1930-2014)によるもの(「藝術立国」もそうでしょうが記名がありません)。そこでは大学の使命がこう語られています。

東洋の思想と叡智を基調とする、
人間精神復興の壮大な実験と冒険に挑む勇気と、
芸術文化探求への絶えることなき研鑚が、
人類を希望ある未来へと導くことを信じ、
学問と宗教、芸術と文化の都、
この京都の地から発する文芸復興の鼓動が、
日本の魂を静かに深く揺り動かすことを願って、
ここに新たな出発を誓う。
(徳山詳直「京都文藝復興」2000年)

革命運動により七回投獄。吉田松陰と岡倉天心を敬愛する徳山らしい檄です。

そしてやはり、ここでも造形芸術は語られず、芸術文化が語られています。だからこそ、京都造形芸術大学の前身は、京都芸術短期大学でした(ただし、設置学科名は造形芸術)。それに先行する専門学校時代は、京都造形芸術学院、さらにその前は藤川デザイン学院でした。

ここでもデザイン、芸術、造形芸術と表記が揺れ続けていますが、徳山の理念をダイレクトに据えるとしたら「京都芸術文化大学」あるいは「京都文藝復興大学」だったのかもしれません。ただ、そういった名称がトレンドとは一致しなかっただけで。

だとすると、今回の大学名称変更は、創立者・徳山詳直の理念とも大いに一致するもので、「造形」の語が除かれることは、なんら不自然でない事態だと捉えることも可能かと思います。

そんなこんなで、今回の京都造形芸術大学の名称変更騒動は、東京造形大学の設立や、そこに深く関与した桑澤洋子や勝見勝たちのデザインや造形に対する思想(さらにはその先達たちの偉業)とも響きあうもので、「そもそも〈造形〉ってなんなんでしょう」という問いを深めていくための契機となる話題といえそうです。

「造形芸術に収まりきらないので〈造形〉の語句をはずす」のか「造形芸術に収まりきらないので〈芸術〉の語句をはずす」のか。二つの真逆なスタンスは、実はわたしたちがどう生きるのかという価値判断ともつながっている気がしてきます。〈造形〉とはなんでしょうか。さらに冒険はつづきます。

(つづく)

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