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住宅産業論ノート|ハウスメーカーと戦後日本の家づくり文化 イントロダクション

こんにちは。『住宅産業論ノート』にようこそ。

住宅展示場のモデルハウスにお越しいただいたお客さまには「いらっしゃいませ」ではなくって、「こんにちは」と声かけしましょう、というアドバイスがあります。なぜかというと、「こんにちは」と声かけると、お客さまも「こんにちは」と返しやすい。

「いらっしゃいませ」だと「いらっしゃいました」とは、よほどユーモアとサービス精神の強いオッサンでないと返してはくれません。来場早々に営業マンからの声かけに応える仕掛けを施すことで、そのあとの案内・説明過程で情報を引き出しやすくなる。そんな意図が「こんにちは」には込められています。

「こんにちは」から始まる展示場案内。一通り、モデルハウスのなかを巡りながら、スムーズな聞き出しを行い、来場目的・関心事を把握し、そして着座に導く。まずは、お客さまから「実は・・・」を引き出すのが、住宅営業マンの最初の仕事になります。6年半の住宅営業マン時代に引き出した「実は・・・」で最も衝撃的だったのは「実は先日、家が火事で燃えた」でした。

さて、そんな展示場案内は、資料請求や紹介などと並んで、住宅営業マンにとって最もメジャーな集客手段です。モデルハウスで出会ったさまざまな来場客のなかでも、契約に至ったわけでもなく、ましてや折衝の土俵に上がったわけでもないのに、今でも思い出深い来場客がいます。以下、3組ほどご紹介しようと思います。

既製品ばっかりだな

思い出深いお客さま。一組目は、とある日曜日、モデルハウスに来た3人組のお客様。話しかけても気まずそうにスルーするその御一行様は、明らかに設計士とその施主の夫婦と思われました。

こちらの案内そっちのけで部屋の広さや詳細などを小声で互いに話し合うばかり。遠慮せず正直におっしゃっていただければ、それに資するように説明するなり、奥に引っ込むなりの対応が可能なのに・・・と思いました。

やっぱり先方は先方で引け目があるのでしょう。夫婦は終始遠慮がち。2階に案内し、たまたま設計士(とおぼしき男)と私が二人っきりになったとき、設計士がボソッと、でも軽蔑気味に口にした言葉が「既製品ばっかりだな」。いやいや、それ、CoCo壱番屋に来て「カレーばっかりだな」って言うのと同じでしょうよ・・・となりました。

E大産業で埋め尽くされた建具、建具枠、フローリング、幅木、廻り縁、積層カウンター・・・そりゃあすべて既製品です。でも、既製品(というか新建材)で埋め尽くされた現在の住まいは、そもそもどんな来歴を持っているのでしょうか。さらには反既製品という建築家自体の立ち位置もどうやって形成されたのでしょうか。

設計士とその施主が、これから建てる住まいの打ち合わせのために、ハウスメーカーのモデルハウスを訪れるという絵面は、落ち着いて考えるとなかなか興味深いものがあります。

当たり前ですが、住宅新築は、あらかじめ自らが建てることになる住宅の完成形を確認することができません。それゆえに、この設計士と施主はモデルハウスを訪れたわけですし、同時に、ハウスメーカーはモデルハウスを武器に集客に努めてきました。

このモデルハウス。建っている住宅展示場は、新聞社・テレビ局が主催しているのがほとんどで、行ってみればメディア戦略の一環として家づくりが位置づけられています。

また、そこに建っているモデルハウスもオプションだらけとあって建設費ウン千万。しかも維持費は年間1億円だとか言われます。それだけのコストを費やしても必要なモデルハウスとは何かを考えることは、ハウスメーカーとは何かを考える手掛かりになりそうです。

ホット客は寸借詐欺師

ちなみに、展示場を訪れる来場者は、皆が「家を建てたい」という動機があるわけではありません。週末に展示場事務局が企画するヒーロー・ショーを見に来ただけというケースもありますし、なかには家を建てる気がないどころか、そもそも案内する住宅営業マンを騙すことが目的という寸借詐欺師も来場しました。

先輩のTさんは、ある週末のお昼に来場したその寸借詐欺師と、夕方ごろまでリビングで着座して話し込み、その後も一緒に晩ご飯を食べながらの商談を続けました。そして次回を約して別れたわけですが、教えられた番号に電話してみると「現在つかわれておりません」でした。被害総額は住宅営業にとってのゴールデンタイムである週末日中の時間と、晩ご飯のお代。

寸借詐欺士氏は、公安で働いていてたまたま仕事で来県。合間をぬって家づくりの相談をしたいというなかなか細かな設定でした。

実は私も以前一度だけ寸借詐欺士らしき来場者を応対したことがあります。そのときは住宅雑誌の編集長という設定。確かにいろいろ住宅に詳しいのだけれども、断片的な雑学で嫌な予感がしたので、こちらは着座せずにしばらく話を聞いていました。

編集者長氏のウンチクはなかなかのマニアック度合いで、和室の造りや用いる銘木などについてあれこれ語っていました。たぶん、売る気のある営業マン(というか営業マンは普通、売る気があるのですが)なら騙されるだろうな(笑&泣)。

T先輩が応対した自称公安職員氏は、まさにその営業マンの「売る気」に漬け込んだわけで、なかなかのテクニックです。でも、たかだか晩飯代程度に費やす労力半端ない。

ただ、寸借詐欺士もその都度その都度、異なる設定で臨んでくるわけですし、職歴自体がそもそも嘘なわけですから、そのウンチクは体系的な技術・知識ではなく、ガッツリと雑学武装です。自らが設定したその雑学の土俵に相手を引き込んだ上で騙す寸借詐欺士氏は、実は住宅営業である自分の映し鏡では・・・。あるときそう気づいて、なんとも不思議で複雑な気持ちになりました。

そもそも住宅営業職は、設計担当や工事担当とは異なり「家を建てること」ではなく「家を売ること」が求められます。言い方を換えると、それは相手に印鑑をつかせる「技術なき技能」。

もうちょっとフェアに表現するなら、必ずしも技術を伴わなくとも技能で押し切ることができる仕事です。それゆえ、住宅営業の業務のなかで最も「営業だからこそ」なものはクロージング。つまり、契約する決断を迫ることです。

寸借詐欺士氏という住宅営業の映し鏡は、そもそもハウスメーカー登場に伴って、住宅営業職という仕事が生まれたことの意味や、その功罪について考える手掛かりを与えてくれるものと期待されます。

相見積もりに一生懸命

さて、3組目の思い出深いお客様のお話。ある日、来場したお客さまは、ハウスメーカー各社に自ら手描きした間取り図のコピーを配って、相見積もりを一生懸命とっていました。

さすがに、この間取り図だけでは不確定要素が多すぎて他社と金額を比較なんてできませんし、そもそも敷地を調査させてもらわないと、建てられるかどうか検討できません。そう伝えても、全く聞く耳をもってもらえませんでした。

百歩譲って、相見積もりで各社の価格帯を把握し、検討する業者の絞り込みをするのだとしても、やっぱり同じ条件を指定しきれない相見積もりとったところで意味はない。

でも、そういう感覚は、あくまでこちら側の視界なのであって、はじめて家づくりに臨むお客様にとってみれば、なんだかサッパリわからない価格設定や、どこだってそれなりで優劣つけようのないメーカー各社の各種仕様を目の前にして、やむにやまれぬ振る舞いだったのだろうとも思います。

やはり、それほどまでに家づくりは分かりづらい。この相見積もり氏が示す条件が、間取りだけで立面すらなかったことはご愛敬として、条件を合わせるにしても、ハウスメーカー各社がクローズドかつ独特の工法やオリジナル部材を用い、基礎にせよ外壁にせよ、内部にせよ各種仕様は複雑きわまりないもの。

それゆえ、もしも相見積もり氏の思惑通り、ハウスメーカー各社から相見積もりをとったとしても、指定されていない条件の部分はブラックボックスであって、見え掛かり上の安さを演出したところが勝つという「もっとも不誠実な会社」を選ぶ不毛なゲームに労力を使うことになります。

じゃあ、そんな隘路にハマらないために、他のお客さま方はどうしているのかというと、提案され建設されるであろう「住宅」それ自体の吟味検討ではなくって、なんとなく直感的に「この会社」あるいは「この担当者」だという理由が多い。

結局は、なんとなくの好き嫌いや思い込みが発動して、とはいえ高額な買い物ゆえに、事後的に合理的っぽい理由が見つけ出されることになりがち。

このお話は相見積もりに奔走する来場客を揶揄したいわけではなく、このお客さまの奔走をもたらしている状況が、実はハウスメーカーによる家づくりを象徴しているなぁ、と思うわけです。

車のように家をつくって売ることを夢見てきた住宅産業にとって、詳細見積もりは意味をなさない。自動車の見積もりにネジの本数と単価は書かれていないわけで。それゆえ、なんとなくの好き嫌いが決め手になります。

そして「ハウスメーカーによる家づくりを象徴している」といっても、だからダメだと言いたいわけでも決してありません。

家を建てるという〈普請〉と家を買うという〈商品〉に関する二つの文化がゴチャゴチャになっているがゆえに生じるギャップに注目し、解きほぐす恰好のエピソードだなぁ、と思うのです。

家づくり文化を観察する

さて、住宅展示場で繰り広げられる「こんにちは」のトークから、3組の展示場来場者までご紹介してきました。既製品ばかりだと吐き捨てた設計士らしきお客さまや、住宅についてのウンチクがスゴイけど、実は寸借詐欺師というお客さま、そして、相見積もりに奔走するお客さま。それぞれのケースは、次のような問いを私たちにもたらしてくれます。

つまりは、ハウスメーカーが手がける住まいはなぜ既製品ばかりなのか。なぜ設計士はそれを嫌悪したのか。なぜモデルハウスに注力するのか。なぜ住宅営業は存在し、そして雑学の集積で勝負するのか。なぜ各種仕様はクローズドなのか。なぜ〈普請〉と〈商品〉という二つの文化がごちゃごちゃにあるのか。などなど。

こうした問いを掘り下げていく道程は、ハウスメーカーが牽引してきた戦後日本の「家づくり文化」とも呼べる世界を、より解像度高く把握する下地になるはずです。それは言い換えるならば、住宅産業をめぐるリスクを正しく知り、住宅産業が持つ可能性を探ることに等しいのでは中廊下。そう思います。

『住宅産業論ノート』に収められたいくつかの文章は、ハウスメーカーと戦後日本の家づくり文化をめぐって、あーでもないこーでもないを書き綴りつつ、さきほど掲げた複数の問いについて、暫定的な答えを積み重ねてみようという試みになります。

(おわり)

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