見出し画像

家の条件|村上慧『家をせおって歩く:月刊たくさんのふしぎ』を読む

月刊「たくさんのふしぎ」(福音館書店)は小学生向けながらも、ときどき度肝を抜く企画があるので油断できません。

家をせおって歩く

そんな一冊、村上慧『家をせおって歩く』(2016年3月号)は、わたしたちが生きることと住まうことの関係、それが持つ自由と不自由について考えるヒントを怒濤の如く与えてくれる名作(図1)。

図1 家をせおって歩く

美術家・村上慧は「移住を生活する=移動の中に留まる」というコンセプトのもと、発砲スチロールでできた家をセルフビルドし、それを背負って旅に出ます。定住と貯蓄を前提としたこれまでの生活を対象化し、閉じきった生活から脱出することを求めて。

目次
はじめに
家の紹介
持ち物の紹介
土地を探す
間取り図を描く
食べる
眠る
家の絵を描く
歩く
出会う
乗り物を使う
家を守る
家を置いたところ全集
いくつかのできごと
わいちさん
地図
おわりに

『家をせおって歩く』には、家の詳細や、間取り図(土地を探したら、そこの町自体を大きな家に見立てる)、各地の家のスケッチ、土地全180カ所一覧、踏破した土地の地図、家のペーパークラフトなどなどが掲載されており、建築魂をくすぐる内容満載です(村上氏自身、ムサビ建築出身)。

家をせおって歩いた

『家をせおって歩く』刊行から約1年後、村上さんが書きためた369日分の日記『家をせおって歩いた』(夕書房)が刊行されました(図2)。その日記は2014年4月5日から2015年4月29日まで綴られています。

村上さんが家を背負って歩きながら日々考えたこと・感じたことを丹念に追っていくと、『家をせおって歩く』の内容をより深く、多角的に味わうことができます。

図2 家をせおって歩いた

この閉じた生活のすべての元凶は、あの「不動産」とか「家」とか呼ばれるものである。ここからなんとか頭ひとつぶんでもいいから抜け出し、俯瞰するために、「いくつもの家のペン画」と「ペン画から生まれたような家」を使ってみる。
(村上慧『家をせおって歩いた』2017)

家永続の願い

この家を背負って歩くことで、生きることと住まうことが持つ自由と不自由を探る試みに接して、真っ先に連想したのは、柳田国男『明治大正史:世相篇』(1930)に出てくる95歳老人のエピソードでした(第9章:家永続の願い)。

門司では師走なかばの寒い雨の日に、九十五歳になるという老人がただ一人傘一本も持たずにとぼとぼと町を歩いていた。警察署に連れて来て保護を加えると、荷物とては背に負うた風呂敷包みの中に、ただ四十五枚の位牌があるばかりだったという記事が、ちょうど一年前の『朝日新聞』に出て居る。
(柳田国男『明治大正史:世相篇』1930)

この老人を評して、柳田は言います。「こんな年寄りの旅をさまよう者にも、なおどうしても祭らねばならぬ祖霊があったのである」と。旅する老人にとって包みの中身は金銭でも衣類でも食料でもなく、45枚の位牌があるばかり。まさにその風呂敷包みとその中の位牌こそが、老人にとっての「最小限住宅」だったのかもしれません。

興味深いことに、村上さんが企てた「不動産」や「家」からの逃走を、よりラディカルな形で推し進める九十五歳の老人は、もはや家屋の形にも頼ることなく、でもガッツリと「家永続の願い」に絡め取られていたのです。

ところで、『毎日グラフ』(1950.10.10)には、村上さんの「家」とソックリな畳一枚分の「動く家」が掲載されています。題して「狭くて楽しくて動く家」(図3)。

図3 狭くて楽しくて動く家

なんと、この家に住まうのは芸術家でも老人でもなく、洋傘修理を生業とする青山さん夫婦。全国を移動しながら商売をするうちに、動く家に住まうことへと着地します。

金詰りとあって次第に商売も下り坂、宿屋の支払いを済ますとタバコ代も残らぬ日が続くようになった。ここでまたまた一念発起。「いっそ動くわが家をつくろう・・・・・・」ということになった。
(毎日グラフ、1950.10.10)

青山さん曰く「家がないない-とこぼしているうちは家など出来っこないですよ」と。自らの生業に応じて、家も多様なあり方があることを夫妻の生き様は教えてくれます。というか、敗戦後の日本は、そうせざるをえない時代でもありました(図4)。

図4 トロッコ式移動住宅(1950)

**********************

「家」永続の願いを胸に〈家〉も失って彷徨する老人。定住と貯蓄を前提とした〈家〉から脱出すべく【家】を背負って旅する美術家。【家】とソックリな〈家〉を自在に住みこなす夫婦。

柳田が「家はただ幽かにしか永続することができなくなって居るのである」と記した状況の延長線上に、村上が脱出を試みた生活がある。そして、そんな家が幻想であることを動く家の夫婦はアッケラカンと突きつけます。柳田-村上の間に引かれた線を私たちはどう延長していくべきなのか。ジックリ考えたい問題です。

(おわり)

図版出典
図3 毎日グラフ、毎日新聞社、1950.10.10
図4 塚崎進『日本人のすまい・日本人の生活全集3』岩崎書店、1957

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

サポートは資料収集費用として、今後より良い記事を書くために大切に使わせていただきます。スキ、コメント、フォローがいただけることも日々の励みになっております。ありがとうございます。