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社会変革は規格化住宅で|プレモス・建物疎開・ネオポリス・casa cube

規格化住宅という言葉を聞いて、皆さんはどんなイメージを持たれるでしょうか。規格化住宅とは、間取りや外観、納まり、仕様・設備などなどを、一定のルールのもとに決めた(=標準化)住宅。

なので、アゲ路線で言えば、プランも構造も最適化されて無駄なコストも抑えられた合理的な住まいだし、サゲ路線で表現すると、お仕着せの間取りや設備・仕様で、融通が利かない画一的な住まいになる。

アゲかサゲか。語り手のお好みによって両極端に評価が分かれるのが規格化住宅ではないでしょうか。

ところで「casa cube」という規格化住宅(「商品住宅」と名付けられている)が登場して10周年になったそう。この「casa cube」を初めて見たとき「なんじゃそりゃ!」と驚きました。真四角のシンプルな外観で、出隅は最少の4箇所、もちろん総二階、軒の出ナシ、そして、建物の側面はスリット窓のみで、主な採光は天窓からという割り切ったデザイン。

図1 casa cubeの施工例(同社HPより)

それって、つまり、もはやこの住宅は、どんな敷地にどんな向きに建っても関係ないということ。家を「買う」とはいえども、住宅はある特定の土地に建つという「縛り」があったがゆえ、「自動車のようにつくられる住宅」になりきれなかったのだけれども、casa cubeはそのハードルを軽々と超えています。

このcasa cubeを提供するcasa projectはズバリ「日本の家を変える。」と謳っています。規格の決まりきった住宅がもたらす変革とはなんでしょう。

住宅の歴史を辿っていくと、規格化住宅でもって「日本の家を変える」、さらにはその延長線上に「日本の社会を変える」といった試みが重ねられてきたことに気づきます(HPにでてくるcasa, or not.にはル・コルビュジエの残響が聞こえる?)。そんなわけで、社会変革の役目を担った規格化住宅について、いくつか事例を見てみたいと思います。

まずは、敗戦直後の日本。1948年にさかのぼってみましょう。クルクルバビンチョパペッピポ、ヒヤヒヤドキッチョのモーグタン!

1948 民主化は規格化住宅で―前川國男

まずはこちらの配置図をご覧ください。

図2 プレモスによる集合住宅案

とある計画地内に並ぶ5つの住宅とクラブハウス。配置された住宅群は、左から順に皇太后、天皇私邸、倶楽部、テニスコートと並び、その下へ秩父宮邸、高松宮邸、三笠宮邸と続いています。そう、この配置図は、白金御料地跡に計画された「皇族方の集合住宅案」なのです。

もちろん、実現はしなかったのですが、これを設計提案したのは建築家・前川國男(1905-1986)。しかも、個々の住宅は「プレモス(PREMOS)」と名付けられた組立住宅。

図3 建ち並ぶプレモス

前川は組立住宅のように説明しています。

組立住宅というのは、つまり組立式方法によって住宅をつくることであって、住宅の各部分―壁・床・天井・屋根・建具等―を予め工場ですべて生産しておき、これを敷地現場に運んで、組立てて完全な住宅とするものである。したがってそれは工場生産住宅ともいわれる。
(前川國男「100万人の住宅プレモス」)

そんなプレモスと「皇族方の集合住宅案」は、なんともミスマッチに思えますが、そこには前川の熱い思いが込められています。それは、日本全体を近代的かつ民主的な社会へと変革するため。前川はこう説明します。

およそ社会の生活様式というものには、その社会の最高の階層の人々のもっている生活様式がお手本になって、順次に階層の下るに応じつつ、多くの人々によって何らかの形で、それが模倣されていくという傾向がある。(中略)したがって国民の『憧れの的』として最高の位置にあられる陛下や皇族の方々の生活様式は国民全般の生活様式に対して、実は深い関係があるのである。
(前川國男「100万人の住宅プレモス」)

戦後復興期の日本社会が直面する深刻な住宅難。それを解決する組立住宅「プレモス」。「合理的な、よい住宅がより安く、より早く、より大量に生産され、供給される」という建築家・前川國男の構想は、てっきり戦火によって焼き出された庶民たちの住まいの復興が眼差されているのかと思ったら、それはそうだけれど、さらに次のステップが目論まれていたのでした。

たとえば、「100万人の住宅プレモス」で提案されるのは、「皇族方の集合住宅案」だけでなく、「市民小住宅」、そして「労働者集合住宅」に及びます。特に労働者向けのそれは、建ち並ぶプレモス群の中央に、託児所、クラブ、図書室があります。

さらに共同のものとして炊事場も設けられる。これによって「家事が共同化され、社会化される」。そして、「団結と組織による近代社会の新しい力」が育まれるというのです。

図4 共同でのプレモス建設

そうした「新しい力」を育むムーブメントを盛り立てるのが「皇族方の集合住宅案」なのでした。プレモスという組立住宅、そして規格が定められることで合理的に建設・供給できる規格化住宅は、近代的で民主的な社会へと変革する装置なのでした。

1944 社会主義化は規格化住宅で―西山夘三

前川國男が夢想した規格化住宅による「民主化」。そんな戦後日本のはじまりに、同じ形をした住まいがどんどんできあがりました。それは駐留米軍の「カマボコ兵舎」です。

文字通りカマボコ型をした半円形状の組立住宅として、「カマボコ兵舎」は駐留米軍の居住空間として、日本のあちこちに建設されました。その後、不要となった「カマボコ兵舎」は民間に払い下げされ、住まいや施設として活用されていったといいます。

図5 図書館に転用されたカマボコ兵舎(相模原市HP)

日本の「民主化」を下支えする駐留米軍の住まいが組立式の規格化住宅「カマボコ兵舎」だったというのは、前川の提案と対をなしているようで、なんだか不思議な気分。そんな「カマボコ兵舎」にソックリな住宅が登場するのが、漫画家・手塚治虫のSFマンガ『0マン』(1959-60)です。

作中、怪人エンマ大王によって首都東京は改造されてしまうのですが、その際に活躍するのが、車や建物といったあらゆるモノを飲み込み、平らにしてしまうタンクと、住宅を大量生産する機械。そうして造られる住宅は、なんと「カマボコ」の形をしているのです。あっというまに、東京は大量生産された規格化カマボコ住宅で埋め尽くされ、「美しく」生まれ変わるのです。

図6 家をつくる機械(手塚治虫『0マン』)

既存建物が飲み込まれ、規格化住宅に生まれ変わるその様を、手塚は駐留米軍の「カマボコ兵舎」から着想を得たのでしょうか。そうかもしれません。でも、米軍が進駐してくる少し前の日本でも、同じような状況に直面しつつありました。それは「建物疎開」。

そういえば、アニメ・実写化もされた『この世界の片隅に』にも登場した。

図7 建物疎開シーン(こうの史代『この世界の片隅に』)

戦時中、日本の都市が木造住宅で埋め尽くされてることに目を付けた米軍は、毒ガスや爆破なんかより、燃えやすい日本の住宅をガンガン延焼させることで、効率的に焼け野原にする作戦に出ました。

そんな空襲への対抗策として実施されたのが「建物疎開」。火災による延焼が広範囲に及ぶことを防ぐため、あらかじめ建物を間引きして、防火帯を設ける何ともやるせない作戦。

あの有名な建築家・堀口捨己のご自宅も、「建物疎開」で壊されました(戦後、それを愚痴っています)。そして、壊した建物の部材は再利用して、必要な施設・住宅がそれで建設されました。そんな「建物疎開」をより合理的なものへと推し進める秘策を、当時、住宅営団の技師だった西山夘三が提案しています。

西山は疎開地での新たな住宅の建設が課題となるなか、解体した住宅の部材を再加工することで、規格化住宅を生産するというプランを提示したのです。

建設物の大量的移動においては、そのままの移築は不可能である。その大量的処理の方法は、全除却建築を要素的構成資材に分解し、これを種類と寸法によって仕分けし、それぞれの部材を最もよく生かす工作設計のもとに分類加工し、これをもって規格化住宅を大量に建設するという方法を最も有利とする。
(西山夘三『国民住居論攷』1944)

なんだか「建物疎開」で更地をつくり、ポコポコと規格化住宅が新たに造られる姿は、なんだかあの『0マン』の東京改造を彷彿させます。手塚の脳裡には、駐留米軍のカマボコ兵舎と建物疎開が混ざり合い、繋がっていたのでは中廊下、なんて思ってしまいます。

それはさておき、庶民の住宅を第一に考え、そして、全ての住宅が国家管理されることを夢見た西山にとって、戦争によるゴタゴタは、危機であると同時に、社会変革へ向けた好機でもあったのです。

一億国民の戦闘配置は、居住の面に於ける戦闘配置にまで貫徹されねばならない。之に対応する住宅経営の面に対する国家管理の機構・居住統制の機構の整備確立が次第に切実な問題となって来ている。
(西山夘三『国民住居論攷』1944)

「建物疎開」をキッカケに、金持ちの大邸宅も貧乏人のボロ屋も全てをミックスし、ガラガラポン!と同一の規格化住宅へ再加工・大量生産する。西山が夢見た社会主義的「住宅産業」化プロジェクトがここにあります。

1962 住宅双六は規格化住宅で―大和ハウス工業

ところで、駐留米軍が建てた「カマボコ兵舎」のインパクトは、意外な影響を戦後日本住宅史に及ぼしています。「カマボコ兵舎」がプレハブ住宅開発者のデザインソースとなったのです。その建物とは、日本初の国産一戸建てプレハブ住宅として有形文化財にも登録される「セキスイハウスA型」(1960、積水ハウス)。

図8 セキスイハウスA型

開発にあたった石本徳三郎は「セキスイハウスA型がまず形ありきだった」という点について、次のように証言しています。

そうですね。(中略)モンサント社のプラスチックハウスのイメージですね。身近なものでは、進駐軍のかまぼこ形の宿舎のイメージもあります。
(松村秀一ほか『箱の産業』2013)

プレファブリケーションによって大量生産される住宅のデザインソースに、大勢の兵隊の居住スペースを効率的に確保するべく開発された「かまぼこ兵舎」があるというのは、なんとも興味深い。「セキスイハウスA型」以後、他の企業もどんどん住宅産業に参入し、日本の住文化を急激に「変革」していったのでした。

規格化住宅がたくさん建ち並ぶ風景。プレハブ住宅草創期の典型的な姿として、大和ハウス工業の「ネオポリス」シリーズが挙げられます。

図9 緑が丘ネオポリス(1971)

もともとパイプハウスと呼ばれる工場や移動教室を手がけていた大和ハウス工業は、1959年に伝説の商品「ミゼットハウス」を販売。以後、住宅産業を牽引する存在へと成長しました。

そんな大和ハウス工業は、民間初のデベロッパー・大和団地を設立したことでも知られます。その開発第1号となる大規模住宅団地が「羽曳野ネオポリス」。その「新しい都市国家」には同社の規格化住宅「ダイワハウスA型」3100戸が97haの土地に延々と建ち並び、そして、団地の一角に社長・石橋信夫みずからが自社のプレハブ住宅に住みました。その後、「学園前ネオポリス」や「阪急北ネオポリス」と続く。

「ネオポリス」の先見性とは。それは「大量生産だけ考えて大量販売は失念」というプレハブ住宅あるあるを乗り越えるため、「自前で宅地を造成して、プレハブ住宅とセットで売る」仕組みをつくったこと。

そのアイデアを聞いた富士製鐵社長・永野重雄は「人が座るのに座布団がいるように、家にも座布団がいる。家を売るなら土地も開発する必要がある。君はスケールの大きいことを考えるね」と石橋を褒めたそう(『大和ハウス工業の60年』2016)。

やはり「財界四天王」とも呼ばれた大人物は褒め方も違います。さらに「羽曳野ネオポリス」がスゴイのは、土地と建物を同時に買うがゆえに難問となる住宅資金の調達方法を新たに編み出したこと。

住宅金融公庫だけでは足りない住宅資金を、これまで個人融資を扱ってこなかった銀行に「住宅ローン」をはじめさせます。それと併せて、施主が死んでも生命保険でローン残債を返せるよう、保険会社も引き込んだのです。

こうして、大和ハウス工業は、プレハブ住宅を造って売るだけでなく、通勤圏ギリギリの土地を造成・提供し、住宅資金調達のお世話も組み込んだ「住宅サービスプラン」を導入しました。

戦後日本社会を牽引した「庭付き郊外一戸建て住宅」への「住宅双六」。マイホームを文字通り命がけで手に入れる仕組み=「パッケージ・サバーブ」を作り上げたのです。

図10 上田篤「現代住宅双六」1973

それは換言するなら、「夢のマイホーム」という幻想のもと、お父さんは会社へ働きに、お母さんは家事と教育ママ業に、子どもはいい大学、いい会社を目指すという「戦後日本型循環モデル」(本田由紀)の完成でもありました。

その後、積水ハウスやミサワホームといった同業他社もこの「座布団一体+ローン仕込み」で規格化住宅をガンガン売る手法を展開しました。言ってみれば、規格化住宅を大量生産・大量販売することで、日本社会の資本主義化という社会変革をなしとげたのでした。

なお、「パッケージ・サバーブ」の成立や影響については、住田昌二『現代日本ハウジング史1914-2006』(2015)がまとまっていますので、ご関心をお持ちの方はぜひ。

2008 ポスト住宅双六は規格化住宅で―casa project

さて、冒頭で紹介した「casa cube」。今年、2018年で10周年を迎えたそう。この「casa cube」を手がけるcasa projectは「日本の家を変える。」を掲げます。そして同社が提供する住宅のことをズバリ「商品住宅」と呼んでいるのです。

この「商品住宅」は、まさに日本の家の変革を目指す規格化住宅なのでした。同プロジェクトを立ち上げた眞木健一氏の著書タイトルは『住宅革命』。革命の対象は、家選び、遺す家、土地と資金、コスト、商品住宅、工務店と多岐にわたります。

そんな「革命」を背負った「casa cube」を見てみると、シンプルな箱型。出隅は最少に抑えられ、総二階で軒の出ナシというローコスト路線。冒頭でも書きましたが、建物側面は換気のためのスリット窓のみで主な採光は天窓からという割り切り。

「casa cube」を紹介する本『新版 四角い家の秘密 casa cube』(2012)には、アピールポイントが次のようにまとめられています。

1 天窓からの採光なので、土地を選ばない
2 経費の徹底削減で、価格がリーズナブル
3 地震、火災などの災害に強い
4 換気、断熱がしっかりしている
5 設備・仕様のグレード、デザイン性も高い
6 犯罪者をよせつけない、「隙のない家」

もはや、どんな敷地に、どんな向きで建っても関係ないヨという設計。プロダクトとして見たとき、「ある特定の場所に建つ」という縛りが邪魔をしてきたわけですが、もはやその縛りからも解放されています。

しかも、「日本の家のデザインを世界レベルにする」という項目も「日本の家を変える。」の一つに含める眞木健一は、建築家・安藤忠雄の「住吉の長屋」(1976)が「casa cube」のデザインソースにあることを隠しません。「casa cube」って実は量産型「住吉の長屋」!

余談ですが「住吉の長屋」は安藤が幼少期の頃、強く印象に残った祖父母の住む長屋だったので、話はさらにねじれてくる。もっとこじれるのは以下の記事。

閑話休題。「日本の家を変える。」というスローガンに沿って、「casa cube」という規格化住宅は、住宅業界の歪みを正す試みを展開して10年を迎えました。その10年の歳月で、「パッケージ・サバーブ」が構築した「庭付き郊外一戸建て住宅」をアガリとする「住宅双六」は見事なまでに破綻しつつあります。

そう考えたとき、「casa cube」は「日本の家」の「住宅革命」であっても、「庭付き郊外一戸建て住宅」という夢のもと駆動してきた「日本の社会」は保留したものなのだと気づきます。住宅では社会を変えられない、という告白だと思うと、妙に納得できたり。

規格化住宅による社会変革。いまとなってはいささかナイーブに思われる試みが仮に有効だとしたら、一体、どんな家づくりを媒介にした社会変革が可能なのでしょうか。というか、住宅が社会や経済、文化などなどなどにどんな関係をもってなのでしょうか。

プレモス  モダンリビングに居住することで近代化・民主化
建物疎開  住宅の解体&規格化・建設を国家管理して平準化
ネオポリス 住宅双六が規範化することで資本主義に組み込み
casa cube  商品化による家づくり改革&社会変革からの撤退

前川の言う「組合による団結」なのか西山の夢想した「平準化と国家管理」なのか、あるいは量産型「住吉の長屋」のさらなる発展なのか。社会や経済、文化の渦なのかで規格化住宅が辿った過去は、いま・ここの住宅を考えるキッカケになります。

参考文献

主婦の友社編『明日の住宅』主婦の友社、1948
西山夘三『國民住居論攷』伊藤書店、1944
手塚治虫『0マン①:手塚治虫漫画全集』講談社、1978
松村秀一ほか編『箱の産業:プレハブ住宅技術者たちの証言』彰国社、2013
大和ハウス工業『大和ハウス工業の60年』大和ハウス工業、2106
住田昌二『現代日本ハウジング史1914-2006』ミネルヴァ書房、2015
casa cubeプロジェクト『新版・四角い家の秘密-casa cube-』書肆侃侃房、2012
眞木健一『住宅革命』WAVE出版、2010

関連note

プレモスについてはこちらも以前書きました。

あと、セキスイハウスA型についてはこちらに。

戦後日本の住宅双六についてはこちら。


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