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輪るムサシコスギ

僕は神奈川県横浜市の北部にある、日吉という学生街に住んでいる。そこから電車で二駅、距離にすると2kmほど離れたところに武蔵小杉という町がある。僕の趣味はランニングで、武蔵小杉駅はお気に入りの目的地の一つだった。家からの距離がちょうど良いというのももちろんだが、それ以上に僕は武蔵小杉という町の異質感が好きだった。

昭和の時代、武蔵小杉駅周辺は京浜工業地帯の一角として巨大な工場が立ち並ぶエリアだった。しかしバブル崩壊と共に工場が他県へ移転し、その空白地帯と都会へのアクセスの良さに目をつけたディベロッパーによって、いくつものタワーマンションとそこに住む人々のためのショッピングモールが一気に建設された。

このような経緯があり、武蔵小杉駅前は都心の一等地に建てられるような高層ビル群が集中的に建ち並び、周りの他の地区からあきらかに浮いた空間になっている。そこでは閑静な住宅街が広がる郊外<武蔵小杉>と、都会を模倣して異様に開発された作り物の町<ムサシコスギ>がゼロ距離で隣接しているのだ。ランニングで武蔵小杉駅方面に向かって走ると、郊外<武蔵小杉>から都会<ムサシコスギ>へ景色が突然移り変わる。そのときの都会の真ん中に急にひとりで投げ出されたような感覚や、明らかに場違いなオフィス街に迷い込んだような感覚が面白かった。

この異質感を楽しみながら何度も走っているうちに、もっと深く武蔵小杉という町に触れたいと思うようになった。僕のランニングの楽しみ方の一つに、コースを決めず知らない道を走るということがある。新しい道を知ることそのものに加え、どこを走っているかわからない時に、突如知っている道に行きつき、自分の頭の中の地図が繋がるときの驚きが好きなのだ。少年時代に経験した、決められた通学路を外れ、遠回りして家に帰っていたときの高揚感に似ている。この感覚を味わうため、未知の道を走りたいという欲が高まってきた。

しかしここで問題が生じた。少年時代と比べ、僕は過度に慎重さを身に付けてしまった。知らない道を走って遠くまで行きすぎてしまうと、体力が尽きて戻れなくなるかもしれないという心配があり、思い切って知らない道を走ることができなかったのだ。調子の良いときについ夢中になってマップを見ずに走った結果、思いのほか遠くまできていたという経験がランナーなら一度はあると思う。一方でマップをみながら走ると新しい道と道のつながりに出会う偶然性が失われるし、なによりいちいち立ち止まって確認していると気持ちよく走れない。

知らない道を走りたいが、手放しに走ることはできない。そんな悩みを抱えながら武蔵小杉に向かって走っているとき、高くそびえる駅前のビルを利用した新しい走り方をふと思いついた。これまでのようにビルを目的地として使うのではなく、ビルを目印として使うことを考えたのだ。周辺のどこからでも見えるその高いビルを見上げ、そのビルを目印に一定の距離を保って走ることで、遠くに行きすぎることなく、知らない道を走ることができると考えた。つまりビルをゴール地点に設定してまっすぐ走るのではなく、ビルを中心に大きな円を描くように「回る」のだ。こうすれば、どんな路地に入っても遠くに行きすぎることはなく、ただビルだけを見上げて走ればいい。

ほどけかかっていた靴紐を結び直し、さっそく「回り」始めてみた。まず、いつもはまっすぐ進む幹線道路を右に曲がり見知らぬ路地に入ってみた。そこは戸建て住宅の立ち並ぶ住宅街が広がっていて、道がかなり入り組んでいたが、目印となるビルのおかげでスピードを落とすことなく軽快に進んでいくことができた。ビルを見上げ、それとの距離だけを頼りに路地の曲がり角を次々と曲がり、普段は全く行かないような小道を颯爽と駆け抜けていった。住宅街を抜けた後、それまで存在にすら気づかなかった細い川にかかる小さな橋を渡り、微かに園児の声が聞こえるこじんまりとした幼稚園の脇を抜けた。すると一気に視界が開け、いつも帰り道に通る走り慣れた幹線道路に出た。こうして自分の頭の中の地図が次々に更新されていく喜びを感じながら、再び住宅街に入っていった。しばらく走っていると突如として変わった神社が現れた。この神社の所有者は工作が好きらしく、ビビットカラーの手作りの稲荷像が無数に飾られていたり、富士山をイメージした巨大なオブジェが置かれていたりした。息を整えつつ簡単なお参りをした後に、さらに住宅街を進んでいると、気がついたときにはちょうど一周して「回り」始めた最初の位置に戻ってきていた。

振り返ってみると、この走り方をしている最中、武蔵小杉のビルが常に視界に入っているので、遠くまで行きすぎていないという安心感を持って走ることができていた。また、「回る」走り方によって、ほとんど人通りのない暗い路地と、視界が開けた幹線道路とを高速で行き来できる。つまり郊外である<武蔵小杉>と作られた都会である<ムサシコスギ>が高速で入れ替わる。この切り替わりが次々に起こることで、これまでよりもそれらのコントラストがより鮮明に感じられた。

さらにビルを中心に「回る」この走り方によって、これまでの「線の走り」から一つ次元の上がった「面の走り」ができるようになっていた。これまでの自分のランニングは、ある開始地点から走りやすい大通りを通って、目的地まで行きそして戻る、2つの地点を往復し町の表面をなぞるだけの一次元の走りだった。それが今回、ビルを中心に円を描いて走ったことで、町の内部まで入り込む「面の走り」、二次元の走りとなったのだ。「面の走り」をすることで、これまで目にしていた幹線道路から一歩踏み込んだ、より人々の生活に近い場所に迫ることができ、その土地の特徴や性格をこれまでより深く理解できた気がした。

そしてこの「面の走り」は一般化して、ランドマークがある全ての町で応用可能ではないだろうか。走る距離の調整も簡単だ。距離を長くしたければ描く円の半径を大きくする、つまりランドマークとの距離を離せばいい。(理系脳の僕はこれぐらいの半径なら走る円周は2πrになる、とか考えたりした。)

このように考えたのは最近、就職を機に新しい町に引越したからだ。これまで大学に近い学生街に住んでいたが、東京の西側、隅田川に近い下町に移り住むことになった。そしてこの場所は日本でも最大のランドマークである東京スカイツリーのふもとにあたる。いざ引越しをするまでは駅からの距離や家賃のことで頭がいっぱいで気がつかなかったが、ふと目を上げると圧倒的な威圧感を持つランドマークがそこに背景として存在していた。その姿をみたとき、これは「面の走り」の中心としてうってつけだと感じた。

引越しのダンボールも片付け終わっていない中、いてもたってもいられずスカイツリーを目指して走り出した。まず町を代表するような幹線道路を走り、「線の走り」をした。しばらくは町の姿を大きく掴むために「線の走り」を続けていくつもりだ。これから始まる新生活と、「面の走り」でこの町の線と線をつなげていく期待感に胸を膨らませながら、スカイツリーを目指し桜並木を走っていた。

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