ライタープロダクション合同会社オフィステイクオー

大阪に拠点を置く編集プロダクションです。得意のジャンルは歴史・昭和歌謡・ミリタリー・都…

ライタープロダクション合同会社オフィステイクオー

大阪に拠点を置く編集プロダクションです。得意のジャンルは歴史・昭和歌謡・ミリタリー・都市伝説・オカルト・ドラマ・関西情報など。noteでは弊社独自の記事をUPしていきます。出版物作成をお待ち申し上げます。お問合せはinfo@take-o.netまで

マガジン

  • 武器を使わない情報戦ープロパガンダ

    情報化社会が到来して久しい昨今、各種情報媒体を通じたプロパガンダも活発に行われています。プロパガンダは政治や軍事だけでなく、企業や有力者による宣伝や世論捜査も含まれ、意外と人々の身近に潜んでいるものでもあります。そうしたプロパガンダの歴史を軍事と政治をメインに紹介。また、ネットを中心としたプロパガンダについても言及します。

  • 太平洋戦争はこうしてはじまった

    現在の日本は「新しい戦前」ともいわれています。ただ、戦争は突然はじまるわけではありません。そこには必ず原因と目的があり、その目的を遂行するための人の考えや動きがあるのです。日本に最大の被害をもたらした戦争は、1941年からはじまった太平洋戦争です。ではなぜ日本は、無謀ともいわれた戦争に突き進んでいったのでしょうか。このマガジンは、大正時代から太平洋戦争勃発までの軌跡をたどり、未曽有の事態を招いた原因を探っていきます。

  • 日本古代天皇史~神武天皇から安徳天皇まで

    2000年以上ともされる天皇家の歴史の中で、伝説の時代から、もっとも権威の強かった飛鳥・奈良・平安時代の動きを紹介。過度に賛美することなく、もちろん卑下することもなく、あくまでも中立的な見解としています。現存する世界最古の王朝「天皇家」への興味を深める一助となれば幸いです。

  • 関西人VS関東人 ここまで違うことばの常識

    KAWADE夢文庫の「関西人VS関東人 ここまで違うことばの常識」(河出書房新社)から、いくつかの記事を抜粋してUPします。お読みになって興味を持たれた方は、ぜひともご購入下さい。

  • 日本人が大切にしてきた伝統のウソ

    年中行事、冠婚葬祭、諸制度など古いようで意外に新しい伝統のルーツを明らかにする弊社執筆の「日本人が大切にしてきた伝統のウソ」(河出書房新社)。その中から一部を抜粋して紹介します。興味を持たれた方は、ぜひお買い求めのほどを!

最近の記事

武器を使わない情報戦ープロパガンダ㉑

プロバガンダ作品の制作に協力したディズニー第二次世界大戦による経営不振  アニメとプロパガンダの親和性は意外と高い。絵を用いた視覚的効果が高く、勧善懲悪の物語を作りやすい構造は、実写以上に相性がよいからだ。第二次世界大戦下では日本をふくめた各国でプロパガンダアニメがつくられており、アメリカも有名なアニメ制作会社に幾度も制作を依頼していた。そのなかの一社がウォルト・ディズニーカンパニー(以下ディズニー)である。  ディズニーは、カリフォルニア州に本社を置く世界最大級のエンター

    • 武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑳

      米国世論を一変させたスローガンの魔力参戦の口実を探っていたアメリカ政府  アメリカ・ハワイの現地時刻1941年12月7日午前7時55分。日本海軍機動部隊は真珠湾で奇襲攻撃を決行する。想定外の事態を招いたアメリカ太平洋艦隊は、第一次攻撃隊183機の攻撃にまったく対応が追いつかなかった。つづく第二次攻撃隊167機の強襲にもなすすべがなく、戦艦5隻を失い戦争序盤の主導権は日本に握られることになる。  世界初の航空機による戦艦撃沈を成したこの作戦は、戦術的には日本の大勝利であった。

      • 武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑲

        政敵を廃したナチスの選挙戦略合法的な選挙で政権を獲得  ナチスの政権掌握に関する、一昔前の通説的な評価に「ナチスは民意の力で国を乗っ取った」というものがある。たしかにナチスは成立直後こそ弱小勢力であり、「ミュンヘン一揆」と呼ばれるクーデター未遂も起こしている。 しかし武力蜂起に失敗すると、合法路線に転換して選挙による政権奪取を目指した。結果として、ナチスがほぼ合法的に政権を掌握したのは、歴史が示すとおりである。  1928年5月、ナチスが占めた議席数は12議席で2.6%。1

        • 武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑱

          強制による一体感を目指した「ハイルヒトラー」掛け声による催眠的な洗脳  ナチスドイツの掛け声といえば「ハイルヒトラー」だ。これは、ヒトラーへの忠誠の証として義務づけられた敬礼と挨拶である。背筋を伸ばして右手を水平に曲げ、次に天へと突き上げる党員や群衆は、まさにナチス支配の象徴といってもいい。  ハイルはドイツ語で「万歳」を意味し、直訳すると「ヒトラー総統万歳」となる。ときには「ハイルジーク」と叫ぶこともあり、この場合は「勝利万歳」という意味になる。ただし、これらはナチスのオ

        武器を使わない情報戦ープロパガンダ㉑

        マガジン

        • 武器を使わない情報戦ープロパガンダ
          21本
        • 太平洋戦争はこうしてはじまった
          65本
        • 日本古代天皇史~神武天皇から安徳天皇まで
          13本
        • 関西人VS関東人 ここまで違うことばの常識
          10本
        • 日本人が大切にしてきた伝統のウソ
          11本
        • 知られざる太平洋戦争のドラマ
          20本

        記事

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑰

          神がかり的だったヒトラーの演説演出計算し尽くされたパフォーマンス  ヒトラーの演説シーンを過去の映像などで、ご覧になった人も多いだろう。そのとき印象に残るのは、抑揚のある喋り方に加え、大げさともいえるほどのジェスチャーだ。  身振り手振りで熱弁し、ときには演壇を殴りつけ、腕を振り回し、あるいは陶酔するかのように拳をつくって胸をたたく。このような演劇パフォーマンスのようなジェスチャーの数々も、計算された仕草であった。  派手な動きは聴衆の興味を引き、記憶にも残りやすい。演説の

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑰

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑯

          徹底されたヒトラーによる党大会の演出硬軟を織り交ぜて人心を掌握  集会には退屈なイメージがつきもので、会社の朝礼、学校の全校集会などに嫌気がさした経験を持つ人は多いだろう。しかし、つまらないはずの集会をエンターテイメント会場に変えたのがヒトラーだ。ヒトラーが、ひとたび演説をすれば聴衆は熱狂し、喝采を送る。その様子は、いまも映像に残されている。  たしかにヒトラーは、演説上手でカリスマ性にもあふれていた。それでも、彼が人々を魅了したのは口先だけの賜物ではない。そこには計算され

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑯

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑮

          ナチスの思想映画を任された女性監督最大の娯楽だった映画の活用  女性の社会進出が増している昨今、映画の世界でも女性監督の活躍が目立ちつつある。しかし今から80年ほど前、ナチスドイツが世界に先駆け女性の映画監督を採用していた。目的はプロパガンダ映画の制作である。  映画は当時最大の娯楽であり、ナチスはこれを宣伝目的に利用する。政権獲得前にゲッペルスは、すでに選挙支援の目的でヒトラーの演説風景を各地で上映。ナチス政権が発足すると、映画は宣伝省の管轄下に置かれた。  ナチス崩壊ま

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑮

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑭

          メディアを最大限に活用したラジオ戦略国家が推進したラジオの普及  ナチスの宣伝相ゲッペルスが、プロパガンダの主力としたメディアが3つある。新聞、映画、そしてラジオだ。なかでもラジオは広範囲の国民に迅速かつ直接的にメッセージを送れるため、情報の拡散力は他の媒体とは比較にならない。ナチスの国民操作において、ラジオの役割は最も大きかったといえる。  宣伝大臣就任の直後、はやくもゲッペルスは全国のラジオ関係者を招集して精神的動員の達成を熱弁している。ただし、成功させるには解決すべき

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑭

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑬

          ドイツ国防軍が広報に加担した宣伝部隊「コンパニエン」ゲッペレスによる国防軍との連携  1935年の再軍備宣言と国防法の制定により発足したドイツ国防軍には、対外宣伝用のプロパガンダ部隊があった。それが「プロパガンダ・コンパニエン」、通称「PK部隊」と呼ばれた、軍隊の広報宣伝隊である。  部隊の誕生にかかわった人物といえば、やはりゲッペルスだ。ゲッペレスは宣伝省の長として国内宣伝に影響力を有していたが、軍隊への発言力は弱かった。  だが、戦地の様子をニュースや新聞で伝えるとして

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑬

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑫

          情報兵器でもあるナチスドイツの宣伝冊子「シグナル」視覚に訴えかけることを目的としたグラフ誌  第二次大戦時、最先端ビジュアルメディアだったグラフ誌は、写真をふんだんに使うことで読者の視覚に訴えかけることが可能だ。この構図はプロパガンダに打ってつけであり、世界中の国々が宣伝謀略に利用した。そのなかでもっとも成功した戦時宣伝グラフ誌が、ナチスドイツの「シグナル」である。 「ジグナール」とも呼ばれ、最初の発行は1940年4月。編集は宣伝省が中心となり、外務省や国防軍最高司令部も制

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑫

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑪

          国威高揚に利用されたベルリンオリンピックヒトラーも反対したオリンピックの開催  オリンピックといえば、4年に1度開催されるスポーツの世界的祭典だ。ギリシャから開催国へと繋がる聖火リレーから始まり、テレビ・インターネットで放送される選手達の活躍には手に汗握るものがある。  もちろんスポーツ大会なので政治的利用はご法度だが、オリンピックをプロパガンダの場としたのがナチスドイツである。1936年のオリンピックがドイツベルリンに決定したのは、その4年前。ナチスが政権を奪取する1年前

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑪

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑩

          ナチスの宣伝大臣ゲッペレスの栄光と挫折足に障害をかかえつつも優秀な成績  1933年から1945年までのドイツを支配したナチス党(国民社会主義ドイツ労働者党)は、全体主義と優勢思想を是とするナチズムの浸透で国内支配を固めようとした。その結果として、政権の安定化とアドルフ・ヒトラーの神格化が確立されたのだが、それらはけっしてヒトラーだけの所業ではない。国内外のプロパガンダを統括し、ナチズム浸透を主導した人物の名はパウル・ヨーゼフ・ゲッベルス。ナチス政権下の宣伝大臣である。  

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑩

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑨

          捏造報道の代名詞である「大本営発表」とは戦時下に設置された臨時組織の大本営  大本営とは戦時下に設置される日本軍の最高統帥機関のことで、流した戦局報道が大本営発表である。おもに軍部が展開する作戦に関する報道とされ、人事や軍政、重要度の低い作戦報道は「陸・海軍省発表」や現地部隊の名を取り「〇〇軍発表」と呼ばれていた。  1893年5月公布の戦時大本営条例によって設置された大本営は、日清戦争から太平洋戦争までの戦争ごとに設置されては陸海軍を指導。統帥権を持つ天皇を頂点とし、大本

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑨

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑧

          米軍兵士をとりこにした東京ローズNHKが放送したラジオの国際放送  太平洋戦争後期のアメリカ兵の間で一世を風靡した日本人がいた。それは将軍でもなければ芸能人でもない。ラジオ放送の女性アナウンサーである。ニックネームは「東京ローズ」。彼女に会うため日本上陸を心待ちにした兵もいたという。  1935年より日本放送協会(NHK)ではラジオの国際放送をはじめており、太平洋戦争の勃発後は日本軍の対外宣伝に利用されていた。この英語や中国語など約20ヶ国語で放送されたプロパガンダ放送を、

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑧

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑦

          戦時体制強化のための「聖戦博覧会」新聞社によるプロパガンダ目的の博覧会  戦前の日本政府が好んだプロパガンダに「博覧会」がある。戦争や国威をテーマとした展示を大々的に行うことで、政府の正当性を伝えようという試みだ。  日本はすでに幕末のパリ博覧会から欧州の万博に参加しており、ジャポニズムという日本美術ブームを起こしていた。戦争に影響を与えたのは、1893年に開催されたシカゴ万博である。  日清戦争の前年に開かれた万博において、日本は平等院鳳凰堂をモデルとしたパビリオンを建て

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑦

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑥

          映画館で戦意をあおった「日本ニュース」戦況報告一色ではなかったニュース映画  現在、映像のニュースはネットやテレビが主流だが、戦前や戦中、そして戦後のしばらくは映画館でも流されていた。いわゆる「ニュース映画」というもので、娯楽映画の上映前などに短時間上映し、国内外の出来事を国民が知る手段となっていたのだ。  そんなニュース映画の代表格といえるのが、1940年から1951年まで日本ニュース映画社(1941年日本映画社に改称)によって制作された「日本ニュース」だ。日本ニュース映

          武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑥