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大阪府内の各役所・役場をたずねる②

コンパクトに凝縮された町の成り立ち・田尻町

かつては日本でもっとも狭かった町

 大阪府内の市町村のなかで、田尻町は2番目に小さい自治体である。ただ、2006年まではもっとも狭く、全国でも最少だった。広くなった理由は、泉佐野市・田尻町・泉南市にまたがる関西国際空港の建設と、空港の対岸に造成された「りんくうタウン」の埋め立てにともなうものだ。
 現在の田尻町の面積は5.62平方キロメートル、人口は約8000人。埋め立てなどが行なわれる前は3.86平方キロなので、このエリアに住民のほとんどが暮らしていることになる。
 そんな田尻町の唯一の駅は、南海本線の吉見ノ里駅。そこから徒歩約6分で町役場に到着する。

田尻町役場。くちばしを突き出したアヒルやカモに似ていなくもない

 地域には新築らしい一戸建住宅が多いものの、歴史のありそうな古民家も目につく。
 吉見ノ里の駅前には、町内の名所をめぐる観光案内板が設置してある。ポイントは8か所。「これは便利!」と、順番にたずねてみた。

本格的なタマネギ栽培の発祥地

 最初に訪れたのは春日神社だ。田尻町の前身である田尻村は、1889年に吉見村と嘉祥寺村が合併して成立している。春日神社は吉見地区の鎮守社だ。
 神社に入る前に、境内横の巨大な木造倉庫があるのに気づく。吉見地区の「櫓(やぐら)小屋」らしい。

吉見地区の櫓小屋

 櫓とは、大阪府の南西部・泉州地区の南部で見られる祭りの出しもののこと。屋根の部分は岸和田市などの「だんじり」に似ているが、車輪(コマ)が二つしかなく、お公家さんの乗る御所車のような形状が特徴だ。そのため、シーソーのように前後に傾けることができ、一カ所にとどまったまま回転させることも可能。4輪のだんじりとは異なる動きが見どころでもある。

櫓とコマの新調を記念した画像入り説明版

 春日神社は、宝亀年間(770~781年)の創建とされ、吉見小佐治という人物が祖先にあたる春日大明神を勧請したことが創建の由来とされている。また境内には、1870年に近江国三上藩(現滋賀県野洲町)から移ってきた遠藤氏が吉見藩の陣屋を構えた。しかし、翌年の廃藩置県で廃藩。遠藤氏と家臣は近江国に戻り、吉見陣屋の遺構は残されていない。
 

春日神社正面鳥居
春日神社の社殿

 春日神社の次は、「泉州玉葱栽培の祖碑」。そう、田尻町は本格的なタマネギ栽培の発祥の地なのだ。

旧孝子越街道沿いにある泉州玉葱栽培の祖碑

 1871年にアメリカから輸入されたタマネギは翌年頃に北海道で栽培に成功し、1879年には岸和田で実験栽培がおこなわれる。そして1884年、田尻の今井佐治平、大門久三郎、道浦吉平が本格的な栽培を開始。いまでこそタマネギの名産地といえば淡路島や北海道の名が挙がるが、かつては泉州地域こそがタマネギの一大産地だったのだ。

大正時代の歴史館から朝市も開かれる漁港へ

 石碑の前が旧孝子越街道。和歌山と大阪をつなぐ紀州街道の1ルートである。街道筋ということで風格のあるお屋敷も多い。
 やがて到着したのが「田尻歴史館」、愛称は「愛らんどハウス」。

門前の前庭から見た田尻歴史館
田尻歴史館の洋館

 大阪合同紡績を興し、「綿の王」と呼ばれた実業家谷口房蔵の別邸で、建てられたのは1923年。約1000坪もの敷地に、洋風と和風の屋敷、茶室、土蔵、庭園が配されている。すごく手入れの行き届いた庭が印象的で、1993年に田尻町の保有となって一般公開されたという。
 歴史館のすぐそばの、吉見と嘉祥寺の両地区を分ける川を海側に歩くと、田尻の漁港が見えてくる。漁港では朝市も開かれ、「海洋交流センター」という施設には食堂やカフェも入居。2023年12月からはカキ小屋もオープンした。

海側の防波堤から見た田尻漁港

 この漁港から望む巨大な橋が「田尻スカイブリッジ」だ。

田尻漁港から見た田尻スカイブリッジ

 田尻漁港をまたぐ形でりんくうタウンの北地区と中地区を結び、全長338.1メートル、幅26.3メートル、高さ110メートルの斜張橋。遊歩道も設けられているので、徒歩で渡ることも可能だ。スカイブリッジの北側にひろがるのが「りんくう公園マーブルビーチ」で、ここからは関空までの連絡橋が一望でき、遠くには飛行機の離発着する関空も見渡せる。

白い石が敷き詰められたマーブルビーチ。画像中央の右はSiSりんくうタワー(元りんくうゲートタワービル)、左に延びるのが関空への連絡橋

 

マーブルビーチからながめた関西国際空港

 ただ、海岸に敷きつめられているのは、砂利や砂ではなく小ぶりの丸い石。寝転ぶのはもちろん、歩くのにも苦労するのが難点ではある。

秋の祭りは櫓とだんじりの競演が見どころ

 海岸から町中へ戻り、嘉祥寺地区に入る。地区の鎮守社が嘉祥神社だ。

嘉祥神社正面鳥居
嘉祥神社の社殿

 創建は不明で主祭神は食物の神様である保食神。本殿は安土桃山時代の建築で、大阪府の有形文化財に指定されている。
 吉見地区の春日神社の祭礼は櫓が曳き出されるが、嘉祥寺地区はだんじり。神社から3分ほどのところに、嘉祥寺の地車庫がある。

ノスタルジックな造りの嘉祥寺地車庫

 木造に瓦屋根という、年季の入った趣きが郷愁を誘う。
 このコースで、田尻町の大部分を歩いたことになる。所要時間は2時間弱。非常にコンパクトにまとまった町だという印象を受けた。
 町を訪ね歩くということは、その地域の成り立ちや風景、特徴を探ることでもあると思う。田尻町には古代から近代、そして平成の歴史が凝縮されているし、港を楽しみ、海をながめることもできる。ほかでは見られない、秋祭りの櫓とだんじりの競演も興味深い。
「ちょっと歩いて、いろいろ楽しむ」
 田尻町は、そんな思いがかなえられる町なのだ。


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