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「浪花百景」のいまを訪ねる④

天下茶屋公園と木津川河口(西成区編)

薬店跡とされる天下茶屋公園

 

「天下茶やぜさい」(芳瀧画「浪花百景」より)
是斎屋跡とされる天下茶屋公園

 前回までめぐった浪速区の次は、南に位置する西成区を歩いた。あまり大阪に詳しくない人であれば、「西成」という地名を聞くと眉をひそめる方もいるかもしれない。しかし、西成というのは区の名前であり、特定の場所を指すわけではない。
 悪くイメージされがちなエリアは釜ヶ崎、萩ノ茶屋、山王といった地域で、岸里や玉出、天下茶屋や津守などは、ごく一般的な住宅街であり工場地である。もちろん、危険な雰囲気はまったく感じられない。誤解のないように。
 なお釜ヶ崎というのは1922年まで存在した地名で、現在の萩ノ茶屋の1丁目や2丁目付近の通称。あいりん地区というのは、行政やメディアが名づけた旧釜ヶ崎の通称で、地元の住人はあまり使いたがらないという。
 最初にたずねたのは、天下茶屋の是斎屋(ぜさいや)跡。「浪花百景」では「天下茶やぜさい」となっている。
 是斎屋は江戸時代初期にあった薬屋で、胃痛や頭痛などに効能がある漢方薬「和中散」が評判となる。店は紀州街道沿いにあり、住吉大社の参拝客などに薬湯をふるまい、おおいににぎわったという。
 是斎屋の痕跡は失われているが、店舗の跡地は現在の天下茶屋公園だ。最寄りは天下茶屋駅ではなく、岸里玉出駅のほうが近く所在地も岸里東である。
 結構なスペースがある公園で、まさに近辺住民の憩いの場といった雰囲気だ。そんな中で目についたのが、「明治天皇駐蹕(ちゅうひつ)遺趾」と刻まれた石碑。「駐蹕」とは天皇の乗り物を一時止めることだ。

明治天皇駐蹕遺趾の石碑

 是斎屋は幕末までに廃れ、その店舗や屋敷は人手にわたる。明治時代に入ると、住吉大社に参詣する天皇が屋敷に立ち寄って休憩。石碑は、そのことを示しているのだ。
 さらには、柵に囲まれた平らな石を発見。奈良時代に存在した阿倍寺の礎石だとする、ステンレス製の説明看板が建てられていた。

阿倍寺の礎石

巨大なループ橋と大正区への渡船場


「木津川口千本松」(芳雪画「浪花百景」より)
現在の木津川河口付近

 次に向かったのは、「木津川口千本松」。木津川は中央区の中之島の西端、土佐堀川と堂島川が合流する付近から南に流れる川で、宇治川・桂川と合流して淀川になる京都の木津川とは別である。
 千本松というのは、かつて木津川河口の堤には多くの松が植えられていたことから。いま当時の面影は完全に失われているものの、見るべきものは二つある。一つは千本松大橋だ。

千本松大橋のループ部分
千本松大橋の全景。対岸が大正区

 西成区と大正区をつなぐ全長323.5メートルの橋は、完成当時、橋の下を大型船が航行したことから33メートルという高さとなる。短い距離でこの高さまでのぼる必要があるため、橋の両端はループになっていて「メガネ橋」の異名もある。自動車だけでなく徒歩や自転車での通行も可能だが、高いところが苦手な人にはオススメできない。
 もうひとつは、やはり西成区と大正区をつなぐ「千本松渡船場」だ。

渡船が到着した千本松渡船場の様子

 大阪市には8か所の渡船場があり、千本松渡船場はそのひとつ。千本松大橋ができたときに渡船場は廃止される予定だったが、30メートル以上もある橋を渡るのは大変、という住民の声を反映して存続が決まったといういきさつがある。
 渡船ルートは市道あつかいなので、乗船は無料。住民の足だけではなく、近年は外国人観光客の姿も見られる。乗船時間は短いが、都心の船旅をほんの少しだけ楽しむのも、なかなかオツなものだ。

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