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大阪の穴場&珍名所③

思っていた以上に魅力のつまった街(平野郷)


南海平野線の平野駅跡をたずねる

 ご存知の方も少なくなったであろうが、かつての南海電鉄には「平野線」という路線があった。大阪市西成区の今池から平野までを結び、その距離は5.9キロ。専用軌道ではなく併用軌道、すなわち路面電車であり、現在の阪神高速松原線にほぼ沿う形で通じていた。廃止となったのは1980年のことである。
 40年以上も前の話なので、その痕跡はほとんど失われているだろう。個人的には、勝手にそう思っていた。だが、いまも停留所の跡地が整備されて残っているという。
 地下鉄谷町線の平野駅を出て、少し北方向へ歩いて右に曲がると、湾曲したレンガタイル舗装の小道が見えてくる。これが旧平野線の路線跡。「プロムナード平野」という遊歩道だ。

レンガタイルのプロムナード平野
線路を模した遊歩道

  道なりに歩くと、線路を模したタイルへと変わり、やがて当時の駅舎をイメージしたベンチやホームの骨組みを利用した藤棚、運行されていた電車のレリーフなどが見えてくる。

八角形だった当時の駅舎をイメージしたベンチと電車のレリーフ
平野線で使用されたモ205型電車のレリーフ

 情報によると、廃止後しばらくは駅舎も保存され、ホームにはモ205型車両が留置されていたらしい。現在は駅舎も車両も解体されてしまったが、この場所が平野線の平野駅だった名残をとどめている。

当時のホームをイメージした跡地

 そんなホームの跡には、小さなモニュメントが設置されていた。「平野郷町西脇口」と刻まれている。

平野郷町西脇口のモニュメント
モニュメントにある江戸時代の平野郷の地図

 平野郷とは、戦国時代に開かれた環濠都市のこと。平野は堺と同じく、周囲を濠で囲んだ自治都市であり、13か所の出入口には門と門番屋敷が設置された。その一つが西脇口なのだ。

 商店街にあるレトロ建築と「おもろい寺」

  平野駅跡を出ると商店街となっていて、名前は「平野南海商店街」(なんかいモール)。

平野南海商店街の外灯

 駅近の商店街として、むかしはにぎわいも見せたであろうが、いまは閑散とした様子だ。

なんかいモールの様子

 なんかいモールを歩くと、アーケード通りと交差する。こちらは「平野中央本通商店街」、愛称は「サンアレイ」。

平野中央本通商店街アーケード入口

 入り口の角には「祭りちょうちんが似合うまちなみ」の看板と祭礼町の町紋などが飾られた店舗があった。

商店街入り口角にある装飾が施された店舗

 平野は夏のだんじり祭りが有名な地域でもある。だんじりの形は「大阪型」に分類され、岸和田のものとは異なる。特徴の違いはいろいろあるが、目を引くのは屋根の最上部にある「獅子噛」だ。商店街のなかにも、獅子噛をモチーフにしたオブジェがぶら下げられていた。

アーケードから吊り下げられた獅子噛を模したオブジェ

 歩を進めると、歴史のありそうなレトロな建物が目に入る。

小林新聞舗店舗兼住宅の建物。2007年には国の有形文化財に登録 

「小林新聞舗店舗兼住宅」で、建てられたのは1929年。新聞販売店は1889年の創業で、大阪市内最古の朝日新聞販売店だとか。
 明治時代や昭和初期の新聞といえば、メディアの雄だ。多くの情報を得ようとすれば、新聞に頼らざるを得ない。そのため、こんなに大きな建物が必要になったのかもしれない。
 そんなことを考えながらビルの前を離れると、今度は赤い提灯が印象的な朱色の門を発見。全興寺の北門だ。聖徳太子が薬師如来像を安置したのがはじまりと伝えられる古刹で、大坂夏の陣で一部を焼失するも1661年には再建されたとする。
 北門から境内に入ると、まずは不動明王がお出迎え。

スモークの中に立つ不動明王像

 池に立つ明王像の下からスモークが立ちのぼるという、にくい演出がなされている。
 さらに境内を進むと、ちょっと目を見張る光景が広がっていた。中央に本堂があるのはもちろんのこと、その周辺にはバラエティに富んだ施設があるのだ。

全興寺本堂

 ネットなどで有名なのは、「地獄体験」ができるという「地獄堂」。

地獄堂入口

 ほかにも、ステンドガラスの曼陀羅におおわれた地下空間「ほとけのくに」、こぢんまりとしたつくりの「小さな駄菓子屋さん博物館」などなど。 
 全興寺には「平野の町づくりを考える会」の事務局があり、住民とともにさまざまな町おこし活動を行っているという。その一環として、これらの施設がおかれていて、その別名は「大阪のおもろい寺」もしくは「寺のディズニーランド」。
 ユニークな試みは、「人が集う場所」「人の心のよりどころ」という、お寺本来の姿を示しているといえよう。 

歩いて気づく平野の魅力と楽しさ
  次に向かったのは、平野郷の氏神である「杭全神社」。夏の祭りは、この神社の祭礼だ。

杭全神社の大鳥居

 創建は平安時代の862年だから、1200年近い歴史を有する。本殿は三社があり、第一本殿は元禄時代、第二本殿と第三本殿は室町時代の建立で、いずれも国の重要文化財である。

杭全神社の拝殿
杭全神社本殿

 神社の脇は公園になっていて、少し大きなモニュメントが建っていた。

平野郷町大阪市編入の記念モニュメント。
左の写真は1995年に撤去されるまで、杭全神社境内にあった記念碑

 説明版によれば、1925年に平野郷町が大阪市に編入したことを記念する碑だとか。 平野という、独自の歴史と文化を持つ町が大阪市に組み入れられるとき、反対の声はあがらなかったのだろうか。
 記念碑から神社の境内に沿って歩くと小川が流れていて、これが環濠の跡だ。

平野環濠跡の石碑
環濠跡とサクラ並木

 サクラ並木が植えられているので、季節になれば彩り豊かな風景が楽しめるに違いない。
 その次に足を伸ばしたのは「大念佛寺」。「融通念仏宗」という宗派の総本山であり、創建は1127年だとする。

大念佛時の山門

 本堂は大阪府下最大の木造建築物であるが、いまは改修工事中だ。

改修工事中の本堂

 ちなみに、施工を請け負っている金剛組は、聖徳太子が四天王寺を建立する際に招聘された工人集団をはじまりとし、現存する世界最古の会社である。
 広い境内には多くの堂宇があり、建物ではないが、インパクトの強いのが境内北側にあるクスノキ。

樹齢800年ともいわれるクスノキ。大阪市指定保存樹

 樹齢800年ともいわれ、幹の太さは約7メートル、高さ約19メートル。隆々とした枝と茂った青葉を見あげれば、ひとつの世界が完結しているような錯覚におちいってしまう。
 現在、平野区の人口は、約18万6000人と大阪市の区の中でもっとも多い。たしかに、マンションや戸建て住居の多い新興住宅地という印象も受ける。しかし、今回散策した平野郷界隈は、古刹や古社もあり、年季の入った建物も少なくない。
「平野区は大阪都心のベッドタウン」と決めつけるのではなく、その歴史を学び、古い建物が残る街並みを楽しんで、いにしえに思いをはせる。しかも、「平野町ぐるみ博物館」という運動も行われていて、あちこちに小さな博物館も点在している。
 歩いてみると、思っていた以上の魅力が感じられる街。それが平野郷だといえよう。

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