僕は僕の感性を連れてどこに行こうか

ずっと書きたかったテーマを引っ張り出してきた。

感性とはなんだ。

感じる、性。

何かを受けとって、感じて、感じるもの、感じ方、受け取ったものに対しての自分の解釈。

こと芸術のシーンで、使うことが多い。僕にとっては、もっぱら音楽で。


「たけしくんの感性が、わたしは大好きだし、全信頼を、おいております。正直な言葉をいただけて、、本当に素晴らしい音楽仲間を得たな、と心から感謝してます。」という言葉をもらった。

僕は僕の感性を持ってどこに行こう。そう思った。

大好きな音楽家の、大好きな音楽を、少し前に聴いて、普段ライブは、親交の深い方でもその場は即退散してしまう性格なのだけれど(いろんなファンの相手をしている中、占有するのが申し訳ない)この日は久しぶりだったし、事前に少し話せたらと(社交辞令だとしても)言ってくれたので、最後まで待って、久しぶりに言葉を交わした。


言いたいことを言う、とはなんて贅沢で傲慢な行為なんだろう。この言いたいという気持ちはエゴ以外の何なんだろう。それでも僕は言いたいことは言う人生でありたかった。言いたいこと、というよりは、伝えたいこと、のほうが、わずかにニュアンスが近い。

その「言いたいこと」「伝えたいこと」は、純度100%で自分のことだけ考えてるわけでは、もちろんない。かといって、相手が喜ぶことを、100%考えて言ってるわけでももちろん、ない。自分が思ったことが、できるだけ、誤解なく伝わるように工夫をこらし、同じことだけれど、別の意味として相手に捉えられないように、可能な限り工夫する。それでいて、そういうシーンはたいてい自分の気持ちも高ぶってるものだから、興奮に言葉が濁らないようにしつつ、その興奮すらも伝わればな、と思う。欲張りだ。


僕は僕の感性を持ってどこに行こう。その答えが出ていない。

自分の感性は誰の自分のだって、特別だ。感性は定義ができない。簡単に特別になり得るし、その特別性の説明が困難だ。

それでも、感性に信頼をおけるなんてなかなか言えないさ。

僕も似たように、音楽じゃなくても、言葉、詩、文章、絵、写真、いろんな芸術分野で(本来感性は芸術に閉じる話ではないけれど)この人の感性が好きだな、と思うことも、信頼をおける、何を投げても最高なものが出てくる、そういうひとがいる。


僕の僕でいられなさは、同じ力で、僕を僕にしばりつける。

ここでの僕でいられなさっていうのは、自身への劣等感、自信の無さ、消えたさ、情けなさ、あるいは憧れによる、ある側面での自分でいたくないと思う気持ちのことで、その大きさこそが、自分の自分たる部分になり得る。

究極に自分は個ではありえないし、自分らしさは、感性と同様に、定義できないし、他人と絶対ユニークであると言い切ることはできない。

その僕のいられなさは、同時に僕らしさに近くなり、それは感性とイコールであるかもしれない。


僕は僕の感性を持って、僕でいよう。


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