誰かのせいにしてもどこにもいけない

誰かが約束をやぶったとして、その契機で自分の予定が変わったとする。その結果考慮すべきことが増えて、その考慮すべきことを自分が忘れてしまい、不利益を被ったとする。それは誰かのせいと言えるだろうか。

誰かのせいにすると、少し心がらくになる。自分のせいにするのは、少しくるしい。

全部自分のせいにしたほうがいいのだろうか。たまには誰かのせいにしたほうがいいのだろうか。それとも、"せい"にしなければならないことなんで、ないのだろうか。

Everything is in your mindと矢井田瞳が歌っていたし、あるがままの心で生きられぬ弱さを桜井和寿が歌っていた。発生したすべての物事をその事実のまま受け取り、誰かのせいにも、自分のせいにもせず、そのまま受け止めることが、理想なんだろうか。

事実をありのまま受け止めることは、事実に対して感情が動かないということではない。喜んだり、悲しんだりはする。でも、その感情をその感情のまま、誰のせいにもしない。これってとっても難しいんじゃないか。

冷静と情熱の間。感情と事実の間。そういう曖昧なところに、僕らの心はある。

誰のせいにもせず、自分の感情に素直である。そして他人の感情に対して、素直に寄り添う。そんな生き方ができたらいいな。

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