美しくあること

過去との再会

飛行機に乗るとnoteに文章をダラダラ書くという、自分の中で決めたジンクスは期間が空いてもなお思い出すようで、また今も福岡空港へ向かう空路で文章を書いている。こうでもしないと書かないからな、たまにはいいもんだよね。

期間が空いたといっても、2月、3月にそれぞれ結婚式で帰っているので2ヶ月しか空いていないのだけれど。前回はちゃんと書いてたっけな。

GW、デフォルトで9連休だった。特にもともと帰る予定はなく、ゆっくり勉強でもするかな、なんて思っていたけど、数日前に急に地元の友達から「5/3集まるけど来れる?」と連絡が入った。

中学の友人は福岡に残ってるひとが多く、定期的に集まっている。夏と、冬と。GWははじめて聞いたような気がするが、僕は毎回熱心に福岡に帰るわけではなく、「気が向いたら」という態度なので、なかなかタイミングが合わなかった。声かけてくれてるうちが華、いよいよ誘われなくなっちゃうかもな、と思い、「飛行機調べてみるわ(笑)」と返事をした。調べると2万ちょっとで行けたので帰ることにした。

中学時代の友人というのは、過去がそのまま止まったままのような、過去そのもののような、そんな存在だ。これは別に彼らと話すのに生産性がないとか、いつまでも思い出話をしてるとか、いつまでも女の裸の話ばっかりしてるとか(B'zファンにしかわからない表現をしてしまった)そういうニュアンスとは少し違う。外れてもないのだけれど。

出てきてしまった自分にとって、地元という枠で生きている彼らと交わると、不思議な違和感がある。生きている世界が違う、なんて野暮な表現は絶対にしてやらないが、自分とは違うという意味で、自分にはない世界という意味で、時々いいなぁと思ったりもする。単なる、ないものねだりなんだけど。

昔は同じコミュニティで、少なくとも大学生の頃まではくだらない(それこそ女の話で)盛り上がっていたわけだが、いつからか分岐があった。それは良いも悪いもなく、事実として、それがある。そういう意味で、かつて笑いあった仲間とこうして再び笑いあうことは、僕にとって過去になるのだ。過去の自分と再会するような、そういう気分になる。

だからこそ、思い出話は3割まで。思い出に殺されるな。そう言い聞かせるのだった。

美しくあること

美しくなろうと思った。僕の行動はいつでも突然やってくる。人生は思いつき。思いついてしまったら最後、やるしかないのだ。なんでもそうやってきた。

今の僕はとても醜い。ずいぶん長い間自分自身のケアを怠っていた。その結果が見事に現実に具現化されている。これはまずい。

何かを目指すためには、その到達地点を具体化する必要がある。計測可能な目標でないと、達成したかを判定できないし、具体的なイメージがないと現在との差分がわからず、施作が出せないからだ。

しかし、美しくあるとは何か。美しさとは主観に他ならない。主観の集合が美しさという概念になっていて、それが社会通念になっているに過ぎない。美しさは時代によって異なる。さぁどうしたものか。

しぶしぶ数値で評価可能な体重や体脂肪率、BMI等を目標設定し、継続的にモニタリングできる仲間たち(apple watchや自動計測の体重計)を札束で手にいれた。自己投資と思えば安いものだ。

その数値目標を達成すれば僕は今よりは幾分か美しくなるとは思うが、この行為を通して美しさとは何かを考える1年になりそうだ。それは必ずしも見た目だけの話ではないだろう。心か?習慣か?言葉か?生活か?いろんなものが美しくたり得るし、それはまた主観と客観で異なるだろう。

「人生は思いつき」って言葉、とても僕らしくていいな。「人生は死ぬまでの暇つぶしさ!」もなかなか好きだけど、僕は思いつき派で行こうと思う。

過去を赦すことと受け入れること

「過去と和解するための哲学」という本を読んでいる。僕たちが生きているのは今しかない。未来はまだ来ていないし過去は過ぎ去っている。随分言い古された言葉ではあるが、それでも僕たちは過去を意識することなしに生きることは難しい。

他者を、自分を赦すことと、受け入れることは違うのだと、英語「リメンバー・ミー」を見て思った。

作中では、あることを理由に夫は妻や家族を置いていってしまい、妻はそれを赦せずにいた。死後なお、真実が分かってなおも「あなたのことを赦すことはできない」と言いつつ、言葉にしてこそいないが、彼女は受け入れたのだと思った。

人間の認知は、まず文字情報というレベルで理解したあと、それを自分自身の感情と重ね合わせてもう一度理解する。共感と呼ぶかもしれない。赦すことは、受け入れることより、また1つ先の状態のような気がする。

僕は赦せないひとは過去にいないし、そういう意味では過去とは和解している。赦すのに時間がかかった過去もある。「時間がお薬」と歌ったのはaikoだが、一定の効果はあると思う。

受け入れることと赦すことの差はなんだろう。些細な気がするが、やはり一段違う気がするのだ。自分自身が納得しているかどうかか?いや、受け入れるということは納得していることではないのか?

後悔の日々が君にもあったんだろう。

後悔というのは、自分自身を赦せていないんだろうな。それが他者か自分かの違いなだけで。

やはり、過去と人間がどう向き合うかは、興味深い。考えたい。

30代のあそび

4月で29歳になった。

無意識の焦りか分からないが、20代と決別しようとしているようだ。転職もした。美しくなろうともしている。30になったからって、変わらない毎日が、今までと同じように地続きの毎日が起きるだけなのに、なんでこういう節目に弱いかね、人間は。

30代のあそびを、考えたい。

うつくしく、たのしく。でも20代とは少し違う、そんなあそびをしていきたい。

知性とユーモアを持っていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?