雑談のありがたさ

かくかくしかじか、前職の同僚に誘ってもらって、週末時々 among us をやっている。discord にはいくらか知ってるひとや知らないひともいる。

運のいいことに、自分がつなげた縁もあって、レギュラーメンバーの半分以上は自分の大切な友達で、はじめから過ごしやすかった。

ゲームの類は正直今でもめちゃくちゃ好きかというとそうではない。小学校卒業まではゲームをやっていたが、そのあと水泳をはじめてからは絶ってしまった。

好きではないというのは語弊があるかもしれない。うまくできないという思い込みで、得意ではないという自認があるのと、無限に時間を消化してしまうので自制してきた、というのが多分正しい。

もちろん among us はゲーム自体よくできているし、それ自体楽しいし、やっぱり懸念したように時間を溶かしてしまう。それでもコロナ時代、まともに精神を安定させるのが難しい中で、こういった交流ができる仲間がいることは本当にありがたい。

それもきっかけは同僚の結婚式だったわけで、やっぱりひとと出会うと何かが変わるきっかけが得られるのだ。

ゲームも楽しいんだけど、ゲームが終わってさっと解散してしまうのは少し寂しい。僕はひとが好きで、本当はゲームより目の前のあなたそれ自身に興味があるし、あなたの話をしたいし、あなたと話をしたいのだ。

だいたい12時頃に「そろそろ最後にしましょうか」となり、それはそれでみんな生活があるのですごく健全だが、週末でもし話せるひとがいればと思って、ゲームのあと雑談したい!と言ってボイスチャンネルを作ってもらった。

解散したあと4人ぐらい来てくれて、その中でも実はどこのつながりできたひとか知らないひとともちゃんと話すことができて、有意義だった。

最後に残ったのはインターネットで出会った、インターネットとリアルの両方で長い付き合いになる友人だった。お互い重度の Twitter 依存なので、特別に話す機会なんて持たなくても、相手が元気かとか、最近どうしてるとか、何があったかとかはよくわかる。

それでもちゃんと"対話"をするのはいつぶりだろう、本当に久しぶりで、いわんや自分の友人と結婚していることもあってそういえばそうそうそういう機会は減っていた気がする、他意はなくね。

近況を話す、雑談というのかな、特に目的があるわけでもないけど、相手のいまを知る、自分のいまを知ってもらう、この対話にすごく安心感を持ったのはそういう機会が減ったからだろう。

わざわざ話すでもない、なんとなく気にはなっていたけど、みたいなトピックをガッツリと、そういえばあれどうなんとか、実はそうなんよとか、話せる相手がいることがすごく嬉しかった。やっぱりそれって、ある程度の関係性があって、さらに Twitter とかでなんとなく表層での直近を知っていて、かつちゃんと"対話"ができるスキルがないとできないことだから。

こういった生の言葉に飢えてるし、生の、人間の、温度のある関係と、時間に生かされている。いつもありがとう。

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