季節とともに死んでいく

時が経てば、付き合う人間は変わるし、それは死と同じだと思っていた。会いたいひとには、また会いたいと思ったら会える限り会いに行くし、もういいかな、と思ったら死んでいく。それは意図していれば殺すと言っても過言ではない。

そうやって誰もが誰かを殺してきて、そうやって付き合うひとは循環していく、それこそ望むとも望まざるともってやつだ。

その中で、あぁ、こうやって自分が殺されていくんだな、と思ったことがあった。あぁ、きっと自分はこのひとに殺される。はじめての体験だった。それまでは殺すも殺されるも紙一重だと思っていた。

あぁ、どうしてこうも自分はつまらないのだろう。視野狭窄、挑戦もない、新しい世界を見ているひとにとってはもういいかな、と思われるだろうな、と思った。

自分は自分を肯定し、生きるように生き、自分の選択に納得して生きている。それでもなりたくなかった自分に少しずつなっているような感覚がある。

思考停止したくなかった。でも自分はいろんな点で思考停止している。最適化といえば聞こえがいいが、思考する部分と思考しない部分をきっかりと差をつけている。

視野を広く持ちたかった。選択と集中と言えば聞こえはいいが、自分の関心以外のことは意識的にシャットアウトしている。


殺せば殺される、当たり前のことなのにな。でも、気づけてよかった。


気づいたからって、自分は結局何も変わらないんだ。自分は一生自分として生きていく。それだけだ。

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