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【真面目】

「真面目」


この言葉を聞いてどんな事を想像したでしょうか?


人によって感じ方はそれぞれだと思いますが、私自身は余り良いイメージを持っていません(笑)


というのも小さな頃から比較的「真面目だね」と言われる事が多く、自分の中では真面目=堅物 みたいなイメージだったので、どこか「君にはユーモアが足りないよ」と言われているような気がしていたからです。


特に父からは何かある度に「お前は真面目すぎる」と言われ、別に「家族と話す時に、面白くなくてもいいじゃん」と内心、心にモヤモヤとした感情を持っていました。


「真面目」だからユーモアがない訳ではないのに、何故かそこに繋がりを求める周りの言葉に嫌気が差していた時期もありました。


まあ、ユーモアは欲しいんですけども。


ちょっと悪ぶってみたり、「俺、あんまり真面目じゃないから」とか取り繕っても、ふとした瞬間に素の自分が出てしまい、真面目というレッテルを貼られてしまい、真面目と言われるのが嫌になっていました。


(考え方が真面目とか言わないでください。)


何が言いたいかというと、確かに、日常生活からプライベートまで全てにおいて真面目である必要はないと思います。ですが少なくとも自分の好きなこと、興味のあることに対しては真面目で良い。むしろ、真面目であるべきだと思うようになりました。


そもそも「真面目」という言葉自体、適当な人間が熱意を持って真摯に取り組む人間を茶化すような言葉なのではないかと考えるようになりました。


多少極端な発想かもしれませんが、適当な人間には、必死に取り組む人の姿は眩しく映っているはずです。劣等感に近いものを感じて「あいつは真面目だから」という言葉で片付けてしまいたいのではないでしょうか。


例えばサッカーが好きで日頃の練習から全力で取り組み、常に100%の力を出そうとする人は「真面目」という言葉で片付けてしまうのはもったいないくらいその人は可能性を秘めています。


サッカーが好きで、上手くなりたくて、そのために考えて、実行している人の過程を「あいつは性格的に真面目だから頑張っている」と。


「真面目」だから頑張って当たり前ですか?
「真面目」だから出来て当たり前ですか?  

勘違いしてはいけません。彼らは決して真面目だから何かを頑張っているわけではないのです。決して性格的な問題だけではありません。



では、その真面目な人間を茶化す、適当な人間たちには、何かを成し遂げることができるのでしょうか。彼らに何かを任せようと思いますでしょうか。答えは明白でしょう。


何かが好きで、上達したい。そのために、多大なる努力と思考と、時間の犠牲を厭わない。その見栄えが多少不器用であったとしても、その姿を見てくれている人は必ずいます。




周りの言葉に惑わされず、ありのままの姿を貫き続けましょう。私もそんな不器用な人間の1人です。




それでは、また。

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