世代は乗り越えられない


年寄りになってまで気を遣わんといけんの?
そう言われてショックだったような、確かにって納得したような気持ちがした

おばあちゃんは83なんだけど
すごく口うるさくて
隣の家から私たちの家に来ては
あんたらは年寄りに顔も見せん
あんたらはほんまに隣に住んどるんかわからんくなるよ
年寄りを思う気持ちがいっこもない
天気でもよかったらどっか連れていってあげようかなくらいのことは普通言うもんじゃろう、と
数十分にかけてまくしたててくる

実際祖父母のことは
気にかけるべきだし
もっと顔見せに行くべきだしって
認識はしてる

そうするべきだって
わかってる

でも足が向かない

それはもちろん
自分の思いやりの欠如もあるだろうけれど

祖父母に会いに行こうという
気持ちが作り出せないんだ


顔を見たら
マイナスの言葉ばかり
投げかけてくる
正直9割以上は
そういうことばかり


お母さんに思いやりがないのは
私のせいなのは分かっとんじゃ
私の育てかたが悪かった
ほんまにあの子は思いやりないよ
普通ご飯のときとかじゃったら
お皿の1つでも洗って帰ろうかって
言うのが普通じゃろう
それが思いやりじゃろう
そんなんしてもくれんもん

あんたらも忙しいんじゃろうけど
顔も見せんが

年寄りじゃから
迷惑かけんようにと
思っとんよ
じゃけえうちらは必死に生きとるよ
死に物狂いで生きとる

しんどいけど家の周りの草も
死に物狂いで
前抜いたんじゃが

こっちもできるだけ
迷惑かけんようにしとんのに
あんたらは助けてあげようっていう
思いやりの気持ちやこ
いっこもねえが

と顔を合わせている間
いくらでも言葉が出てくる

世間話とかの
何気ない話なんて
おばあちゃんとは
ここ何年もしてないと思う

おばあちゃんの話題は
家の中で起こる
自分がどれだけやったかと
私たちがどれだけやってくれないか
大きく分けると
このことしかない
簡単に言えば悪口だけで
成り立ってる

お母さんは本当に
おばあちゃんと話すのがストレスになってしまって
全く家に行きたがらない
もちろん時々は行ったり
頼まれた時は手伝うが
それ以上のことはしたがらず
顔を見たくないと言っていて

それがまた
おばあちゃんの小言を
増やす結果となっている

会えば非難される
ストレスで会いたくなくなる
足が遠のく
おばあちゃんが
顔を見せにも来ないと非難しに家に来る

これが毎日毎日繰り返されていて
悪循環この上ない


私も2週間前に実家に帰ってきて
すでにこの悪循環の中に
巻き込まれてしまった

無意識的に
足が祖父母の家に向かわない

ネガティブマシンガントークを
避けようとしている自分がいる

しかし
私たちが行かなければ
うちの家に非難しに来るから
関わりがなくなることはないし
どんどんお互いのストレスが溜まっていく


昔からこうなので
今更ということではあるが
お母さんも私も
解決策は見いだせていない

昔は何度もおばあちゃんと対立したり
マイナスなことばかり言われて
気が滅入るからやめてくれと
おばあちゃんに伝えて
おばあちゃんの性格を変えようとした

昔は誠実に伝えれば
人は変わってくれると思って
何回も話し合いをもとうとしていた
誰に対しても

でも今は
他人を変えるのは無理だと分かっている

自分の経験から
他人を変えようなんておこがましい
という考えを持つようになったので
自分がどうにかして
「受け入れる」ようにしないと
だめだと思うようになった

なんとかして
受け入れようと
自分を変えるようにしている

おばあちゃんが色々
言ってくるアレこれを
できるだけ嫌な気持ちばかり持たずに
理解する方向で聞けないかと
考えを巡らす

高齢になり
体も思う通りに動かなくなってきて
色んなやる気も失ってくる中で
今まで養い必死で育てた
子ども、孫が顔を出さないのは
本当に悲しいことだと思うし
それを言いたくなる気持ちも分かる

そう私は
おばあちゃんの気持ちが分かるんだ!

非難されている間
どうにかこうやって
気持ちを落ち着かせようとするのだが
その間にまた違うことについての
非難の言葉を上乗せしてくるので
またそのことについて
違うイライラが生じて
ストレスは積み重なっていくばかりだ

耳がついている限り
聞きたくなくても聞こえてくるし
全てをスルーすることは
私には今のところ出来ず
こうなってくると
心の解決策としては同情

年寄りになって
こういう非難しか頭に浮かばなくて
それをを口に出すことで尚更
子どもと孫に嫌がられて
もっと距離が離れていくこの感じ
かわいそうやなあって
同情することでなんとか
とても嫌な気持ちにストップをかけることができる
事態を深刻にせずに
やり過ごすことが出来る

時々は落ち着いて私から
思うことを言うこともある
もともと思ったことは言うタイプなので
「おばあちゃんの言うことを
否定するつもりはないけど
そういうネガティブなとこを
毎回言われるのは正直しんどいし
おばあちゃんがマイナスなことを
言う度に
私たちの足は遠のいている
お互いに性格は変わらないのだから
どれだけ相手を
嫌な気持ちにさせずに
暮らしていくのかが大事なのではないか」
こういうことを言った

そこで返ってきたのは

年寄りになってまで気を使わんといけんの?

ということだった

自分の心の中を振り返ると
多分結構ショックだったと思う
あ、気にしてないな全然って
私たちを嫌な気持ちにさせてること
全く悪いと思ってないんだなと

変わって欲しいなんて
もう思ってないはずなのに
もうこれから先
この状況は死ぬまで変わることがないのだと
改めて気付かされた
だから
ショックだった

それと同時に
納得もした
年寄りになってまで気を使いたくない
それもわかる気はするし
だよね
だからこういう状況だもんね
と納得、納得


おばあちゃんはよく
死に物狂いで働いてきた
子どもだけでなく
孫を育てる為にも
家のローンとか教育費全て
死に物狂いで働いて
全部出してきた
それは全て記入してある
どんだけあんたらにお金を使ったことか
それで結局は
思いやりのひとつも
返してくれないが
ほんまに辛いよ

お金の話はよく出てくる
どれだけお金を使ったか
あんたらのために自分を犠牲にして
どれだけ働いてきたか

本当にそうだと思う
真面目に働いて
養ってくれたんだと思うし
お金も本当にいっぱい
投資してくれたんだろう

でも言わなくて良くね?て
思ってる自分がいる
言いたくなるんだろうし
私がそれを知ることも必要なのかもしれない
でもそれを悪い雰囲気の途中で
非難されている途中に
恩着せがましく言われたら
本来しなきゃいけない
感謝ができなくなってしまう

お金のことを言われると
心にのしかかる

だから絶対に
祖父母にお金の迷惑だけは
かけないようにやってきた
当たり前のことだとは思うが

なにか迷惑をかけたら
死ぬまで言われ続けるのが
分かっているから

成長する過程で
あんたにお金を使ってきたって言われたら
もうどうしようもない
高校までは働くこともできなかったし
頼るしかない

母にお金が無いのは
私のせいではなかった

だから高校までの教育費を
祖父母が助けてくれたことは
私にはどうしようもなかった

なにか意見が違えば
祖父母の思うような人生を
歩めなければ
お金を出したのに
完全に無駄金だと言われた

お金のことを言われる度に
自分の弱い部分を
つつかれているようで
いつもやるせない気持ちになる

心の底から
感謝できたらどれだけよかったろう
感謝して
心の底から
祖父母の心配ができて
常に体調を気遣って
「できることない?」って
声が掛けれたら


本当はもっとできるんだろう
もっと優しくするべきなんだろう

でもしたくない
正直言えば
声をかわしたくない
マイナスなエネルギーを
もらいたくない



他人のことを理解しようとするとき

生きるために必死だったんだろうね
必死で養ってくれたんだろうね
ずっと私たちの心配してくれてるんだろうね
全て私たちにつぎ込んでくれたんだろうね
自分を犠牲にしてくれたんだろうね

想像力を膨らませて
自分の今までの人生経験から
ひねり出して理解しようとする

でも実際
私は昔に生きてないから
どれだけ自分を犠牲にして
死に物狂いで働かないといけなかったかも
わからないし
家族を持ったこともないから
それがどれだけ苦しくて
大変なことかも
正直分かってないよ

ごめん

経験してないことは
どれだけ想像力を働かしても
分かったとは言えないと思う

理解してるなんて
言ったらそれは
大嘘だし

ごめん

私には一生
気持ちは理解できないでしょう


だからこそ
違う考えを持っていることを認めて
できるだけ
幸せに生きてもらえるか
それしかないと思ってるんだけど

それも十分じゃなくて
ごめん


受け入れて
幸せにできるように




多分おばあちゃんに
心の底からありがとうは
一生
言えないんだろう

多分死ぬまで
言えないんだろう


だから私は
できるだけおばあちゃんを
不幸にしないように頑張るだけ

真心は
あげられないけど
ごめんね

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