宮若のまったり温泉プチ旅行③<石炭記念館編>(2000文字)
プチ旅行の2日目は、予報通り朝から雨。
その雨の中を、ナビに従って石炭記念館に向かって進んでいきました。
しばらく交通量の多い道路を走っていましたが、
やがて周りは住宅街になりました。
「こんなところにあるのかな?」
と思いながら、なおもナビの通りに進んでいくと、
周りは古い団地になりました。
ますます不安・・・。
「あった!」
宮若市石炭記念館は、2階建ての古い団地に囲まれて
ひっそりと建っています。
「大丈夫だろうか?」
と思いつつもせっかく来たので中に入ると、
館長さんが出迎えてくださいました。
「どちらからいらしたんですか?」
「大分です」
「なんでわざわざここに来られたんですか?」
昨夜脇田温泉に泊まったことを伝えると、
そういうお客さんが多いということをおっしゃっていました。
平日と言うこともあり、ここも他にお客さんはいません(^_^;)
来たのは失敗だったのかも・・・と不安になりかけていたところ、
館長さんがおっしゃいました。
「石炭記念館は他にも何カ所かありますが、
ここは資料がとても充実しているんですよ(^_^)」
「そうなんですか!ありがたいです!」
来て良かった・・・(^_^)
「あの、おトイレお借りできますか?」
「一緒に行きましょう。カギを開けなくてはならないので」
トイレにカギ?
不思議に思っていると説明してくださいました。
「ここは、廃校になった校舎なんです。
そのためトイレが外にあるので、ふだんカギをかけているんです」
なるほど、言われてみると校舎っぽい作りです。
館長さんに案内されたトイレは、いったん校舎から出て外にありました。
ただ、屋根はつながっているのでぬれることはありません。
トイレの後、館長さんが校舎の中を案内してくださいました。
おかげでいろいろなことが分かり、とても勉強になりました。
説明を聞きながら私の方からもあれこれ質問していたところ、
「熱心ですね」
とほめられ?ました。
知らないことを知るのは好きですし、
石炭は日本の産業を支えてきたものなので興味深い・・・。
宮若トレッジも廃校になった校舎を利用していたので聞いてみると、
炭鉱のあったときは5万人くらい?あった人口が今は2万人くらいで、
かなり減ったのだそうです。
確かに炭鉱のあった時代は、子どもの数も多かったことでしょう。
炭鉱がなくなって子ども達の数が減ったため、
廃校になった校舎があちこちあることが分かりました。
この記念館が団地に囲まれている訳も分かりました。
もともとは学校の敷地だったところに、団地ができたということでした。
校舎の一部しか残っておらず、そこがこの記念館になったようです。
館長さんのお父様も炭鉱で働いていらっしゃったということで、
この炭鉱の歴史を知って欲しい、と言う熱をすごく感じました。
30分くらいの予定でしたが、気がつくと1時間以上・・・。
たくさんの資料に圧倒されました。
館長さんにお礼を言って記念館を出ると、
福津に回ってショッピングモールで買いものをし、帰宅しました。
今回、宮若市の中をあちこち回りましたが、
どこも無料でした!
払ったのは、お賽銭くらい。
何だか申し訳ないような気がしました(-_- )
一泊二日のプチ旅行でしたが、おかげでゆったりまったり過ごせて、
リフレッシュできたように感じています。
宮若市、ありがとうございました!!
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