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カメラマン、写真家、フォトグラファー

カメラマン写真家フォトグラファーは、いずれも写真を撮る人を言い表す言葉ですが、ニュアンスが異なり、何となく使い分けられています。
よく使用されるのはカメラマンと写真家で、フォトグラファーはあまり定着していません。「カメラ」や「写真」は世間一般に広く使われる言葉ですが、「フォトグラフ」は、あまり馴染みがない言葉だからかな。あるいは、カメラマンや写真家以外の言葉が世間から必要とされてないのかな。
そこで今回は主に、カメラマンと写真家のニュアンスの違いについて触れてみたいと思います。

まずは、写真の技術を持っている人のことをカメラマンと呼びます。
さらに、ただ写真の技術を持っているだけでなく、その人が写真で伝えようとしている中身が作家としても評価されているような人のことを、写真家と呼びます。
つまり、カメラマン=写真の技術屋さん、写真家=作家さんといった感じです。
ちょっと前にツイッターで「写真家」という言葉が取り上げられた際には、第一線で仕事をしている名のある何人かの方がそれに反応して、
「自分は、写真家を名乗る勇気はない。」
的なことを書いておられましたが、写真家は、重みがある言葉です。もちろんいろいろな意見がありますが、基本的には自分から名乗るというより、世間から与えられる称号のような側面があります。
それゆえに写真家は、自称をすると、時に突っ込まれたり炎上の原因になります。
「お前は、それだけの結果を出したのか?」
と。

僕は、もうずいぶん長いこと自然写真の仕事をしてきましたが、「自然写真家」は名乗れても、「写真家」を名乗る勇気はありません。
僕の活動は、自然業界という限定された局面では多少は認知されていますが、自然という枠を取っ払って広く世間一般には通用しないからです。
自然写真の分野で「写真家」を問題なく名乗れるのは、日本に限定すると、各ジャンル2~3人ずつくらいではないでしょうか。
写真家は、作家であるかどうかなので、必ずしも写真で飯を食っている職業写真家である必要はありません。例えば、日本の自然写真家の中では、小檜山賢二さんは、写真家と呼んでもほとんど誰からも異論はでないでしょう。
小檜山さんは企業や大学にお勤めでしたが、フィルムの時代から今で言うデジタル写真と深度合成を研究し、恐ろしくリアルな昆虫標本の写真を発表してこられました。
その後、デジタル技術が進歩し、今では僕が小檜山風の写真を撮ることは可能ですが、それは単なる真似であり、カメラマンという技術屋の世界。
それに対して小檜山さんが切り開いてこられた世界は、それまで見えなかったものを見えるようにし、それによって被写体である虫以上のことを伝えようとした作家の世界なのです。
小檜山さんの作品はこちらなど
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日本の自然写真家を語る際に、小檜山さんを知らない人はモグリと言われかねない存在なので、ご存じない方は、是非、作品をご覧ください。

フォトグラファーという言葉は、僕がまだ駆け出しの頃に、写真業界で意図的に広めようとされたことがありました。
「カメラマン」という呼び名では安っぽくて写真を買い叩かれてしまうので、「フォトグラファー」を名乗り、写真を生業にする者の地位の向上をはかるべしという動きでした。それなら「写真家」でいいんじゃないの?という気もしましたが、「写真家」は恐れ多かったのかな。
僕は当時、その運動には参加せず、むしろ反発するかのように「カメラマン」を使いました。
理由は、自分は、世間から後ろ指をさされるくらいがちょうどいいと思っているからです。僕の場合、自然写真の仕事をしている理由は世間からの逃避であり、評価をされるためではないのです。
また写真の質的にも、写真家の世界よりもカメラマンの世界の方が好み。例を挙げるなら、アラーキーや篠山紀信や古くは秋山床太郎が撮る写真作品としてのヌード写真よりも、無名のカメラマンが撮影したそこらのエロ本のヌードの方が好きなのです。
ともあれ、ついでと言っては何ですが、自然写真を撮ること以外にその歴史や周辺にも関心をお持ちの方は、この本を読んでみてください。
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本のタイトルには、「写真家」でも「カメラマン」でもない、「フォトグラファー」という言葉が使用されていますね。

他にあと1つ、「カメラマン」とか「写真家」とか「フォトグラファー」とか、そんなメンドクサイことを考えずにひたすらに楽しんで自分のために写真を撮るという究極に素敵な写真の世界があります。
それが趣味の写真です。


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