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魂を籠める

「魂を込める、魂を籠める、魂を篭める」どれが良いのか、少しばかり悩んだ。その結果、俺が選択したのは「魂を籠める」だ。魂という言葉に触れると、思い返すnoteがある。それは、これだ。

書いている内容は、タイトルその通り。圧倒的に魂が籠められている。ただ彼のミスは魂を籠めるにしなかったところじゃないかなと思ってしまう笑
三浦の容姿・性格その全てを取って考えてみても「込める」ってキャラではない。

一個人に対しての批評はさておき。今回の文章で皆々に伝えたいのは「魂を籠めているか?」ということだ。これは、全くもって自分のための文章でもある。

魂を籠めにくいケースの話をしよう。例えば、誰かからメッセンジャーやツイッターを通して連絡が来たとしよう。それも仕事の話だ。
たくさんの人が即レス・即対応を評価するので、その人に対して即レス・即対応をするのは当然。しかしここに大きな落とし穴がある。即レス・即対応をしたものは「考えていない」場合が多い。考えずにその場の勢いで決断をすると、魂が本当に籠りにくい。これはまじで、ダメだ。勢いでやるのも大切だけど、ダメなんだ。
「飲みに行こう」「遊ぼう」「映画観よう」など点の約束事はその場のノリで決めても魂を籠めた時間を過ごすことができる。

しかし、仕事は点では終わらない。魂を灯し続けなければならないのだ。そこを忘れてしまっていた自分がいる。それは多大なる反省である。

魂を籠めるために必要なのは「 熟慮・熟考・省察」だ。いまの俺に必要なのは、「捨てること」だ。捨てなければ魂を籠められない。魂を籠らないものを生み出し続けると、自ずと低評価が続く。そして自己嫌悪に陥る。そんな負のスパイラルなんて食らいたくない。

だからこそ、今今肝要な決断をするために不可欠なのは「捨てること」その次に「魂を籠めて生きることだ」

「人と話す・文章を書く・人に伝える」この全てに魂を籠めてみようじゃないか。

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