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おおいなる和の国の道のり

ひまわりの向きは東を向いている。実に見事だ。

地球の東の外れにある日本。日の本、おおいなる和の国。
東を分解すると日と一をつけ付け加えると日本。一つの東の国。
日本人が進むべき道の願いは国名に隠されているかもしれない。

大きな和の国 Okinawa? ヒントが隠されているのかも知れない。

おおいなる和の国では内戦というものがサムライという身分がなくなった時に起こらなくなった。国の内側での戦争はなくなった。

共生を主とする縄文時代から始まったが弥生になた時人を殺める武器が持ち込まれた。それでも17条の憲法には和をもって貴としとなすを目指したが内戦は豊臣秀吉の時代まで続き、刀狩りでまず武士以外の身分では武器が持てなくなった。次に明治になり武器を持っていたサムライという特別な階級の人たちが武器を捨て内戦がほぼ終了した。代わりに国民徴兵による軍隊ができた。

さらにどんな理由にせよ海外の国々と戦争をして敗戦して武器を捨てた。

そして不具合や一部の地域では犠牲もあったが戦後80年どのような形にせよ他国との戦争も無くなった。

日本人の心は少なくとも国の内外でもう武器を持っては戦わないという選択をしたのだ。その心の進化。武器を持たないという選択は日本人の心をとらえたのではと思う。

人類は国を守るためには武器を取らなければいけないが普通の考え方である。母国のためひいては家族のために脅かされるものと戦う。

平和を80年享受した日本人にはその心を持たない。人を殺めることがもう心の中ではできない人がほとんどなのだ。国防を任されている人たちでさえそうではないだろうか。

そのヒントはOkinawaにあるかも知れない。かつての日本人である縄文時代を1万年続けることができた色濃い子孫たち。小さい島にも同じ顔の人が住んでる。

その上で今取り沙汰されている改正では日本が少し先行しているスタイルを推し進める新しい世界秩序のルールづくりがやってきているのかもしれない。しかし今現在は理想から離れた方向へ進み始めている。先の戦争はやむ終えずで始まった。でもやむ終えずにしたのは日本人のデメリットなところからだ。何かことが起こると煽られ国民全体が一つの方向に流されてしまうことだ。

大きな犠牲を払って二度とという意識を持っていたのに。。。ことが起こると煽られ流されようとしている。しかも他のことで冷静になれない状態が上乗せされた状態で。

今の現代にはそぐわないかも知れない理想。武器も核もいらない世界。おおいなる和が世界を覆う共に生きる世界へ捨てるという新しい選択。戦わないことすなわち武器を捨てるという選択。

兵法を突き詰めていくと極意は戦わないで共生することに至ったのではないかと思う。それができる時代がやってきた。そしてその最終手段は武器を捨てること。日本人しかできないかも知れない。

なんとか均衡を保って最小限の武力で維持ができているが現実的ではない。対抗できるほどのものが増強されるルール作りの方が現実的である。でも少なくとも日本人の大半の心の中は武器を持たない平和を望んでいると思う。考えれば考えるほどそうなってほしいと願う今日この頃である。きっとその想いは世界の平和を愛する人たちに届くのではと思う。


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