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一般noteユーザーが集めるnoteマガジン

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2018年に本マガジンを立ち上げて以降、noteや書くこと、読むことなどに関する記事を集め出来ました...が、noteも日々成長しているので、はじめまして記事からnoteの有用性… もっと読む
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#書くこと

一気に10本とか書けたら良いのに

筆がノルではないですが、思い浮かぶだけの量を、思考に近いスピードでどんどん書ければ良いなと思うことがあります。思考に近い速度で言えばやはり会話でしょうか。音声や動画で残していくことも良いのですが、やはり「残す」となると文章が良いと感じるんですよね。 やはりその辺は歴史学科だからでしょうか。古の情報の保管方法としては文章が一番、史料として残っているので。時代が変わり、いろんなツールが生まれてきたのでもしかしたら未来に音声や動画も残るのかもしれません。それでも文章、文字の方が残

何事も試せるものは、試してみるのが大事

noteでも多く見掛ける図解の話題。見るだけで満足感のあるものですが、見るだけに止まっていては自分のスキルが上がる訳でもなく、ただ「知ってる」だけになりそうな気がしてきました。 上手な人の図解を見ると非常に整理されているし、それだけで知識を得たような、何かを掴めたような気分になることもあります。練習を兼ねて作り、公開されている方々も非常に上手で、センスが最初から備わっているのではないか?と思ってしまいます。これはプレゼンや企画書にも言えることですね。 noteで多くの文章

途中まで書いておくことの是非

思い付いたアイディアや途中経過をnoteに書いておくと便利ですよね。そこを基点に続けたり、再開する指標が出来ます。noteには下書き機能もあるので、いつでもどこでも思い浮かんだ時に、隙間時間に取り掛かることが出来ます。 一方で、一旦はメモした内容も、少しの時間が経つだけで何を書きたかったのかを忘れてしまうこともあります。情熱がどうこう関係なく、ある瞬間に湧き出たものが、ある瞬間には見事に消失してしまう不思議な現象もあるんですよね。 このnoteだって、この瞬間に一気書きし

書いて、今の自分を定義する

仕事柄、言葉の定義を重視することが多い。多いというか、定義がすべてである場面がほとんどだ。書くことは定義付けの連続のように思える。 言葉の定義は、文脈によって範囲が変化する。一般的な定義は辞書に載っているが、会話の中で使われる言葉の定義がお互いにピタリと合致していることは少ない。すれ違いが基本。だからぼくらは、慎重に言葉を重ねながらピントを合わせるようにして会話を進めていく。非言語コミュニケーションが排されたテキストのやり取りにおいては尚更のこと。 契約書は、そうしたすれ

改めてなぜ「書くこと」を重視するのか、オススメするのかを考えましょう

最近は「書くこと」に強い関心を持って活動しています。11月7日に大会開催をしましたが、多くの方々にどのようにイメージを伝えるか、頭の中から抽出して相互に理解するかなどを続けました。既に第2回大会もエントリー開始していますが、事業も含めて地域やそのサービスを必要とする人にどう届けるかをアップデートし続けたいと思います。 宣伝やお知らせという面だけでなく、ストーリーを形にしたり、今までのある程度は互いに理解と了解がある世界観でのコミュニケーション(例えば競技現場

自分が幸せになるための発信でいい

妻のフェイスブックの発信がいい感じだ。 肩に力が入ってなくて 等身大な自分を書いているのが伝わってくる。 そんなニュアンスのことを、それこそ最近SNSでオーダーを受けたチーズケーキを作っている最中、彼女に話してみることにしました。 すると、、、 その答えを聞いてる僕にまで、幸せな雰囲気というか、あったかい感じが伝わってきたので、シェアしたいと思います^^ と言ってもですね、 最初から順調だったわけではなく 「できれば発信はしたい、  なんとなく発信した方がい

noteという街をどう楽しみ、自分たちが活動をしていくかを考える

学びでも同じだと思いますが、仕事の効率アップや成績向上を求めてインプットをしていくのは大切ですし、限りあるリソースを有効に使う為に最適化していくのも必要なことではあります。 ただ、そうした部分が前面に出てきたとしても、全てがそれ一色で染まりきるとは限りませんし、むしろ最適化した状態で継続するのは辛さも感じるものだと思います。 脱線の余地と言いますか、それこそ言葉通りの「遊び」部分を取っておかないと続かないと思います。 事業でもトレーニングでもそうですが、

言葉の個性を磨いて並べて飾る

自分が伝えたいことを言葉にすると安っぽくなってしまうと感じるこの頃。 頭の中からアウトプットすると、なんだか陳腐だし嘘くさく思えることもある。難しいなぁと思うけど、言葉って奥深くて面白い。 熱量やニュアンス、頭の中で考えていることをそのまま言葉に変換してスラスラと話したり文章で伝えられるようになるにはどのくらいの修行が必要なんだろう。ブログ、ツイッター、映画の感想、初対面の人との会話、就活や転職の面接、送別会の寄せ書き、自分の言葉で伝えるあらゆる場面で、秀逸なコメントや粋な

noteを再開して変わったこと

本格的にnoteを再開して、この記事で初めて10日連続投稿を達成しました。 連続投稿した日数によってバッジがもらえるひとつの節目が、10日です。 大きなきっかけをくれた「書く習慣」を読んでから、10日連続投稿を続けてみて以前と変わったことを振り返ってみます。 その1.本音を書く以前取り組んでいたWebライターの仕事をストップしたことによる後ろめたさと、新たな方向性が見出せなかったため、しばらくnoteを再開できずにいました。 「書く習慣」では、本音を書く、つまり本当の

noteな日々を走り続けた365日。(動画つくってもらいました!)

わたしがnoteの駅に降り立ったのは 限りなく6月1日にちかい5月31日でした。 はじめから、腰が引けていたかな。 クリエイターってなんだろうって。 実はその呼ばれ方に、すこしものおじ していて。 もういっぱしの一線の人が、書く場所だと 思っていたから、しり込みずるずるして いたのです。 そしてやってきたはいいけど。 何を書けばいいのかわからなくて。 さ迷いました。 そもそもSNSに触れたことのないわたしが なにか書きたいことってあるんだろうかって。

いいねの数にとらわれてしまう人へ

朝からこの記事を読みまして。 そうだよ!ちょっとでもいいねがついたらすごいんだぞ!!という気持ちになったわけなんだけど。 ここで、わたしが生まれて初めて書いたnoteを見てみましょう。どん。 まぁ、そんなもんだと思うよ。 何者でもなく、何かを成し遂げているわけでもなく、文章がものすごいうまいわけでもなく。 そんな人がいきなりnoteを書いてシンデレラのように王子様に見染められるなんてことはないのが世の常です。 でも、そんなときにやってみてほしいことがあるんです。

100日続けてわかった「書く」の効用

ちょっと正確にはわかりませんが、だいたい100日書きました。「ははーん」とわかったことがあるんで、今日はその共有です。

文字を書くのもモノづくりになるのかな。

椅子の本を読んでいる。 誰がどんな目的で作ったのかを知ると物に対する見方が変わる。お洒落インテリアショップに置いてあるのを見たことがある程度の椅子が今では憧れの商品になってしまった。 前回の続きです(読まなくても大丈夫だよ) 椅子について興味を持つと家具や建築にも興味が湧いてきた。今日は図書館で家具屋さんの本を読んでいた。 椅子や棚を作る工程を紹介してくれている。図面を書いてパーツを作って組み立てる。ノコギリや金槌、電動式の道具も使って作られていく様子は見ているだけで

書いたって何になるのだろう?

人に嫌われたくない。家で脱毛をした。友達がいないなどと、私の頭の中を文字にしてネットに垂れ流して、一体何になるんだろう? 有名人でも何でもない、田舎に住む平凡な主婦の日記を世界に公開したところで、誰が読むんだろう? ライターになってバリバリ稼ぎたい!というわけでもない。この世に私という人間が生きた証を!ベストセラー作家に俺はなる!とかいう野望を持ってるわけでもない。 なのに、書いてる。昔からずっと書いている。 1人1ページずつ毎日!と取り決め、更新が遅いとしつこく取り