変わりゆく伝承という「体験の質」


今日、朝ツイッターを開くとnoteとcakesのディレクターのKotomi Miharaさんがこんなツイートをされていた。


僕は以前こんな記事を書いたことがある。


紙が良いのかアプリ良いのか、僕にはどちらが良いとは言えない。どちらにも「良さ」があると思っているからだ。

アプリは誰もが便利と感じるだろうし、逆に危険な部分もあるかもしれない。

紙は書くのに時間がかかるし、かさばるけれど、将来子どもが読んだ時に、親が書いた文字を見て何かを感じてくれるかもしれない。


僕は過去の記事に書いた通り、連絡帳は子どもへのお手紙だと思って書いている。決して「作業」ではない。連絡帳がアプリに変わってもその気持ちは変わらないと思う。ただ、そこにある「体験の質」は大きく変わるだろうとも考えている。

子どもが将来もし連絡帳を見ることがあったら、パソコンに書かれた自分のことや写真を見るのか、紙に手書きで書かれた文字を見るのかによって全く違う体験や印象を持つと思う。どちらが良いのかは本当に分からないけれど、個人的には紙に僕が手書きで書いた文字を読んでほしいような気もする。


そして子どもに宛てた手紙だから、子どもにとって必要がなくなったらこの世から無くなってほしいと思っている。

これが達成できるのは紙の方が信用性が高い。


これから私たちは合理的という名の便利さをドンドン手に入れていくだろう。だからこそ僕は合理性と非合理性の楽しさの共存も大切にしておきたいと考えている。


父 竹鼻良文

セレクトショップSHELF


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