宗教も個人化し哲学となる時代を予見

テクノロジーが進化すると「個人が企業と対等に戦える」と言われています。

企業が個人の発想力や情報発信力などを欲していることやこれまでは集団がやっていたことを個人ができるようになっていることは仕事でも感じています。

私は12年くらい前からテクノロジーを意識しながら学生生活を送り、仕事作りをしてきました。

初めてテクノロジーの進化を感じたのが22歳。そこから25歳で独立し「個人のブランド力」を上げる努力を続けながら同時に宗教についても勉強をしてきました。

多くの日本人は生まれた時点で何かの宗教(多くの人は仏教)に入っています。しかし「私は無宗教です」という人も多いと思います。

テクノロジーが進化すると「どうやって死ぬか」「生きている意味は何か」「自分とは何か」という問題に必ずぶつかると考えました。しかし日本人の多くは宗教を嫌厭(けんえん)しているので、新しい宗教的な思考(自分をすぐに救ってくれる思考)が生まれ、その宗教に人が集まるのも時間の問題かと思います。

でもそれは人を幸せにするとは限りません。

だから私は経済同様に個人哲学が宗教化する、個人の考えが個人を救う時代、個人の哲学が現在の宗教と共存することが重要だと考えてきました。テクノロジーの進化はより情報社会を加速させ、個人哲学を発展させるとも考えています。

例えば私が考えた「八百万の神」という思考について。

なぜ周りの人や物を大切した方がいいのか。

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宇宙はビックバンから始まったとされています。そこから水素➡︎ヘリウムの順に物質が現れ、今の自分に至ります。でもそれを逆再生させると、自分には必ず母と父がいて、母と父にも母と父は存在します。それをずっと過去に戻っていくと緩やかにとは思いますが、人間と猿の境界線に行き着きます。猿の子が人間という境界線です。さらに戻ると今は別物とされている存在同士が親子となる境界線に行き着きます。そしてビックバンまでたどり着きます。だから「人が物と遠い遠い遠い遠い・・・・親戚」ということになります。

日本人が持つ神道の考え方と理論物理学が繋がります。

今、あなたの目の前にある物はあなたの遠い遠い・・・・・遠い親戚なのです。

そして現代の宗教は「経済」にも繋がりを持ち、お金儲けの仕方も自分を救う方法の一つとなっています。だからこれまで宗教とされてきたものも多様化していくのだと思います。

ぜひ自分自身だけが持つ哲学に目を向けてみてはいかがでしょうか。

ちなみに深津 貴之(fladdict) さんのブログの「深く考える訓練、その1」で哲学を探るのも良いと思います。

竹鼻良文

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