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良い批判と悪い批判を選別する目がいる時代


※今回の記事は「批判なんか根本からいらない!」「楽しければそれで良い!」という方は読む必要性のない記事かと思います...。

さらに今回の記事には答えがありません。問いで終わります。



noteを使っている多くの人が感じているであろう感覚。それは

noteは治安が良い


これは僕自身も感じていることで、フォロワーが1万人を超えても嫌な書き込みや心を削られるような体験をしたことがあまりありません。noteを介して出会った方々も本当に素晴らしい人が多く、note酒場などのイベントの成功もnoteの治安の良さが良い影響を与えていると思います。性善説でイベントが開催できる数少ないSNSプラットフォームだと思います。

しかしこのnoteの世界観が生まれる前、例えばツイッターでいえばくそリプと呼ばれる批判や誹謗中傷はSNSとは切っても切り離せない関係でした。始まりは2chかもしれません。

最近では誹謗中傷の酷さからツイッターやSNS自体をやめようかと考えている有名人も出てきています。

多くの人がSNS疲れを感じているのではないでしょうか。そんな中で現れた治安の良いnoteに人気が集まるのもよく理解できます。まさにブルーオーシャン的SNSなのです。


しかし、少しだけ不安感というのか、このままで良いのかという問いが頭をよぎることがあります。しっかりと言葉になっているわけではありませんが、ちょっと書いてみようと思います。



良い批判と悪い批判

僕は建築という分野で学び、25歳で独立してからも建築やデザイン領域で10年以上仕事をしてきました。特に建築分野では「批判」が日常的に存在します。このことが本当に良いことなのかは今回は置いておきますが、僕には良い批判と悪い批判が存在すると考えてきました。

このnote記事では「僕にとっての」良い批判と悪い批判とその必要性について書いていこうと思います。


良い批判

僕にとっての良い批判とは、相手のことを本当の意味で理解し、さらにお互いに信頼関係のある人同士が批評性のある議論を交わす状態です。例えば、僕の妻が僕のnoteに対して意見をくれるのは僕にとって基本的には良い批判になります。それは僕のことを心から思ってくれて発言していることが分かるからです。さらに批判的な言葉だけなく、代案となる意見があることも重要だと思います。

最近でいえば「note酒場」を一緒に運営しているメンバーとのやりとりは本当に良い批判が存在します。それはみんなが「本当に良いイベントにしたい!」という同じ方向を向いている状態なので、僕のことを理解したり思っていなかったとしても良い批判が成立すると考えています。

あとはヤマシタマサトシさんなど、お互いが近い分野で仕事をしてきたこと、noteを同じ時期に始めたこと、育児も大切にしていることなど、同じ境遇の方ともかなり良い議論をします。


悪い批判

悪い批判とはまさにツイッターなどで見られるくそリプなどの誹謗中傷や相手のことをしっかり知りもしないのに意見する状態のことです。これはどんなに優しい言葉であっても、信頼関係のない意見や同じ方向を向いていない人の言葉はこれに当たると考えています。

先ほど妻の言葉を良い批判としましたが、妻であっても僕のやろうとしていることに対して真意を調べようともせず批判するとそれは悪い批判になってしまうこともあると思います(実際のところ妻は僕の仕事領域にはあえて入りません)。

僕が体験した悪い批判は、信頼関係のない人から「語彙力がない」と言われたことがあります。今はその言葉も全く気にならなくなりましたが、当時は少しの期間記事が書けなくなる日が続きました。


良い批判も悪い批判も一緒にされている?

僕が感じている不安感やこのままで良いのかという問いは、良い批判も悪い批判もどちらも同じように捕らえられているのではないか、ということです。

この問いは僕が誰かを批判したいという意味ではなく、個人的に良い批判であれば聞きたいというところから問いが始まっています。

noteには悪い批判と感じる言葉が本当に少なく、多くの人が「noteは治安が良い」と発言します。piece of cake CXOの深津貴之さんも「スパムには無慈悲な鉄槌がくだされるので注意してください」という記事を書かれています。スパムと批判は違うものですが、治安を良くしようと努力されていることが分かります。

これは僕も大賛成でnoteが大好きな要因になっています。

しかし、本当に相手のことを理解し、もっとこうすれば良くなるのではないか、という批判すら「言ってはいけない」雰囲気を感じることがあります。僕自身良い批判に出会った時には、自分では想像もできないほど成長できた体験がたくさんありました。

独立したての時、師匠から多くの痛烈な良い批判を受けましたが、あの言葉たちが今の自分を作っていることは間違いありません。デザイン領域や建築領域でも良い批判は僕の成長の糧になってきました。


みんなで楽しく、はとても重要ですしツイッターなど旧来のSNSに疲れている世代であることは重々承知していますが、このままでは本当の成長は生まれにくいのではないか、という疑問が常に頭の中にあります。

最初に書いた通り、「批判なんか根本からいらない!」「楽しければそれで良い!」という方には意味のない問いですが、少しでも成長したい、もっとnoteを読んでもらいたい、などさらに自分自身を鼓舞したいと考えている人にとっては考えるべき問題だと思います。

みなさんはどのように「批判」というものをお考えでしょうか。


今日は答えのない問いとなる記事でした。


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竹鼻良文/TAKEHANAKE

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