タピオカを並んでまで買おうとする奴は馬鹿だという話。




タピオカの人気が凄い。



僕はよく下北沢に行くのだが、ここ一年でタピオカ専門店が物凄く増えた。

そして専門店までいかずとも、タピオカを扱う店がとても増えた。




下北だけではなく東京中がそうで、
渋谷原宿なんかは当たり前。

東京都はタピオカの波に飲み込まれていると言っても過言ではないと思う。


石を投げればタピオカ屋に当たる時代になった。





連日タピオカを取り扱っているカフェは満席で、外にも長蛇の列が出来ている。

天気など関係無いのか、雨の日でもタピオカ屋の前には人だかりがある。





こういった一過性の流行りは常にあるもので、一過性の流行りだからこそそれを見て批判する人もいる。


ポケモンGOが配信された時もそうだった。




SNSでは彼ら彼女らを嘲笑うかのように「並んでまで」と呟かれる。


人の心を知らずして育った者はわざわざ写真を上げてまで批判するし、

ネットの記事や、
雑誌の記事でもタピオカに群れを成す人を見てそれを批判する記事があって
驚いてしまった。
こんな記事を書いて金が貰えるのかと。





僕はこの流行りに乗っかってタピオカを買いに長蛇の列に並ぶ人を見て、

純粋に羨ましいと思う。

思ってしまう。

思ってしまった。




流行っているから。人気があるから。

そう言った理由や好奇心でその列に並ぶその気持ちは
とても尊い事ではないだろうか。
と僕は思うのだ。





その際タピオカが美味しいとか美味しくないとか、
そう言ったことは大それた問題ではないし、
それは飲む当人が思えばいい事であって飲んだことの無い、タピオカに興味が無い人間が外野から声を上げて言う事ではないのだ。





と言うのも僕は流行とか流行りとかに乗れない性分である。
あったというべきか。

今もそうなのかと聞かれればだいぶマシになった方だと思う。




流行=悪いモノ


というイメージが昔はなんとなくあって、
流行りの音楽を聴くのも、流行りのファッションに身を包むのもダサいと思う質だった。




他人が良いと思うものは何となく認めたくなくて、
自分が良いと思うものは他人に押し付けたかった。




そうしている僕は目の前の良いモノを見逃していたし、
好きになるものはいつも以前の物ばかりで、
過去に流行ったものだった。


だから単純に時代に乗り遅れていただけだった。



それは良く言えば時代に左右されないという言葉で、
実際それに酔いしれたけど、
それはただ単に意固地になっているだけで自分の視野を狭めているだけだった。

と今は思う。




だから流行りの物に影響を受けてタピオカを買って飲む人間は、
流行りにアンチテーゼを掲げて意地で飲まない人間よりずっと経験値はあって、感性は確実に前者が磨かれているのだ。







しかしその
「並んでまで買う」
という行動がどうしても出来ないという気持ちもある。

そういう人も多いと思う。



その理由は人それぞれだ。

待つのが嫌いだからとか、流行りに乗っかっていると思われたくないからだとか。
色々あると思う。



僕の理由はシンプルに

「恥ずかしいから」

だ。



並んでいるところを見られるのが恥ずかしい。



そう言うと共感を得る人も少なからずいると思うのだが、

僕の場合学生時代イジメられていたことが原因だ。





野球部であった僕は、連日先輩にしごかれた。



理由なく自分だけグラウンドを走らされ、
少しでも遅いと尻をバットで殴られた。

急に理由無く殴られ、

イジメられている僕は、イジメられている先輩と喧嘩しろとやりたくも無い喧嘩をさせられた。

先輩に呼ばれ無理矢理教室まで連れて行かれ、
思い切り殴られ吹っ飛んだこともあった。





僕が辛かったのは暴力ではなく(暴力も勿論辛いけれど)、
暴力を受けている、イジメられている自分が周囲に見られるということの
羞恥心だった。


イジメられている、イジメられていた人間は分かってくれるのではないだろうか。





だから

「自分はイジメられていませんよ」「なんとも思ってませんよ」

と周囲に思って欲しいが為に笑い、大きなリアクションで

「ちょっとやめてくださいよー!」

と言っておどける。




そうすると相手はイジリの延長線だと更にイジメは加速する。



リアクションが薄い人間をいたぶるより、
リアクションの大きい人間をいたぶった方が楽しいし罪悪感が無い。




自分がやっていた防衛が、更にいじめを自分で助長させていたのかと気付いた時には、もう大人になってイジメてくる相手がいなくなってからだった。


幸か不幸か分からん。







その過去があるから人に見られるということを生業にしたいと思いながらも
人に見られることが恐怖である。


自分ではあまりトラウマは無いと思っていたが、こうして文章に書いて考えをまとめてみるとこれも一種のトラウマなのかと思った。






昔お付き合いしてくれていた女性と街を歩いている時、

「本当に鏡に映る自分好きだよね」

と言われた。



僕はそんなつもりが無く言われて気付いた。

だけど見ていることも意識していた。
矛盾のようだけど。




僕は洋服が好きだから、彼女は恐らくオシャレした窓に映る自分を見てウットリしていると思ったのだろう。



そうじゃない。僕は外に出ている。外に出ている僕は人に見られる。
少しでもおかしい所があったら彼女まで嗤われるんじゃないか。
ズボンの丈は合っているか襟はひっくり返ってないかタグが首元からでていないか。



すみません、なるだけ気を付けます、という心理が勝手に働いていたのに気付き、
そしてこれは彼女に上手く伝えることは出来ないなと、
少し悲しくなったのを覚えている。






だから僕は列に並べないという程ではないが、
並ぶのが苦手だ。


並んでいるところを見られるのが恥ずかしい。





だけどこういったマイナスでネガティブな出来事もお笑いは全て浄化して笑いに変えてくれる。
勿論話術があってこそだけど。




生きていく中で、生活で起きた嫌な出来事や過去は全て笑いに変えれるし、
それを笑って面白さに変えてくれる芸人という職業は本当に素敵な仕事だなと思う。



それは恐らく他の仕事では出来ない事だと思うし、
そこまで他人に赤裸々に過去を話す経験など、
他の仕事をしていたらそうは無いのではなかろうか。


辛い出来事も、笑ってくれる人がいればそれはすぐ過去になって思い出になる。






たらればで話をしても仕方ないけど、


生まれ変わったらタピオカを買う為に人目を気にせず長蛇の列に並ぶ女子校生になりたいなと、
タピオカを買う為に長蛇の列に並ぶ女子校生を見て僕はそう思った。















イジメた奴はずっと許さねぇけどな。

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タケイ ユウスケ

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