東長崎アップデート(案)

東長崎駅周辺の再開発が進んでいる。
南口は西友のビルがもうすぐ完成し、今年中に西友新東長崎店が開業する。
また今月(2019年3月)はトキワ荘を模した駅前交番が完成し運営が開始される。
それに付随するように南口の駅前をロータリー化するのではないかとい噂も聞こえるようになった。
他方私は北口の住人として赤子の頃から過ごしてきた。その北口も都道172号線の拡張工事の認可が下り、沿道の再開発は確定的になった。実際古い建物は壊され都に差し押さえられた緑の柵が日に日に増えている。
長年この町で生きてきて、尚且つ今後もこの町を拠点に生活をしていこうと思っている私にとって、現在の町の景観こそが守るべきものであるという基礎的な問題意識があるのだが、それは叶わぬことであるというのが自明となり私たちは次の策を練らなければいけなくなった。
そこで私は地元長崎四丁目の協議会に参加をしてきたのだが、駅を中心としたまちづくりのグランドデザインに参加できる見込みがども見えてこない事に危機感を感じている。
そこで駅前の未確定な再開発も含め直接的にグランドデザインに係わる道筋を再確保するする為にと考え、私が独自に勉強し、見て回り交流してきた事を軸に小論文を執筆した。
結果を述べればまちづくり協議会では現状賛同を(とは言っても内容についてではないが)得られず、かなり落胆してはいるのだが、6月に当計画についてのヒヤリングがあるという事で、オルタナティブな開発案として広く読んでいただきインタラクティブに議論するべきであると判断し、noteに転載する事にした。
当提案はあくまでも私の思考で構築されたものであって、アカデミズムに裏付けられたものではない。非常に穴のある議論だと自認している。
しかしまちづくりを検討するに当たって必要な事は、個々人のまちに対する思いを責任を持って無責任に言い放つことにあるのではないだろうか。
周囲への政治性で言葉を噤むのではなく、自ら学び自らイメージした新しいまちを語る中で、より複数で研究し提案をまとめていく作業が必要なのではないだろうか。
それは私たちのように足もとの生活をしている人間にとってとても不慣れな事であるのは事実である。だが不慣れであるから行政任せ、デベロッパー任せになってしまっては、私たちが長年培ってきた歴史や伝統は守る事は出来ないし、非常に不満を残す形でまちは改造されてしまうかもしれない。(もちろん優良なまちづくりになる可能性はある)
少なくとも開発案が固まる前段でオルタナティブな提案をする事は、まちづくりを計画する行政にとってもデベロッパーにとっても有益な情報として受け入れられるはずである。
広く読まれるにはもしかしたら分かりづらく恥ずかしい文章かもしれないが、この竹田克也が提示する一つの起点として以降地域のまちづくり議論が盛り上がる事を期待するところである。
前提の説明が長くなった。論文は「長崎四丁目まちづくり協議会」の役員向けの提案として書かれている。当協議会自体はクローズな存在ではないのだが実際に情報が地域に共有されているとは言えない。
現状を説明すると、種々ワークショップを重ね「まちづくり提言」という形で豊島区長に提出している。このアクションについては非常にセレモニカルであると私は評価しているが、いずれにせよ参加者で構築したテーマは「賑わいと閑静が調和したまち」というものに決まっている。これについては住宅地と商店街の同居という意味に於いてまとまったテーマだと思う。
ただそれについて何をすべきか、何を話し合うべきかについては、正直言って手詰まりになっている。
そこを開いていく一つの提案として、私としてはかなり具体的な提案として書いた。提出したそのままの文面で転載するので、以上の前提を踏まえて読んでいただけたら幸いである。

個人的・東長崎アップデート(案)

 まちづくり協議会が発足して随分経ちます。私たちは会話を通じて新しいまちづくりの町民としての提言をまとめるという作業をしてきました。
 しかし、現段階では大きな枠組みとしての「にぎわいと閑静の調和した、くらしやすいまち」という抽象的なテーマがあるにとどまり、それ以上の具体的な街の「絵」を描けないでいるのが現状だと思います。
 そもそも建築の専門家でもまちづくりの専門家でもない私たちが、大きな枠組みとしての「まちづくり」を語ったして、実際に事業に取り組むであろう業者を納得しうる提案が出来るか甚だ疑問に思うようになりました。
 せっかく地に足を付けて生活していた私たちの思いを言語化し、絵として構築する方法を私たち自身が持ちえないのは、仕方のない事だとしても今後の不利益に繋がる大きな事案だと考えます。
 そこで当テクストでは私が考えるまちの「絵」を言語化してお伝えしたいと考えています。少々長くなりますが、協議会前までのお時間ある時にご笑覧いただけたら幸いです。

「賑わいと閑静」とは

 「にぎわいと閑静が調和した-」というテーマは、私の記憶する限り住宅地と商店街が同居する街という意味合いで決めた事だったと思います。しかし、これは深い意味を込めてこの文言に決まったわけではありませんでした。商店街の立場と住民の立場が集まって行われた議論の中間をとるとこういう形になるのは自明ですが、よくよく検証すると賑わいと閑静というのは実は同居できない関係性にあります。
 つまり賑わいというのは人の喧騒を生み出すという事で、閑静とは人の喧騒から離れるという事です。
 何の気なしに止揚したこの議論は、実は対立するものを同居させるというアクロバティックなものであったと読み直す事が出来てしまうのです。
 ただ一点「賑わいと閑静」を同居させる方法があるとしたら、準完全な住み分けです。
 そこで私が導いた結論としては、計画道路を隔てた駅側を商業地区、反対側を住居地区という形に暫定的に設定させるという事です。しかし個人所有の場所をまちの総意だからという事だけでどいてもらう事は不可能です。しかし再開発がされるという事はその条件が整うかもしれません。

「商店街テーマパーク構想」
 東長崎は商店街のまちであるという事は自他ともに認める事だと思います。閉店店舗が増えてきたとはいえ歴史のある個人商店が同じエリアに軒を連ねるというのは、他の地域から来た人曰く「おもしろい」事だそうです。その面白さは路面対面販売や専門店、そしてそこに根を張って働く人の面白さがあるからです。
 それらは戦後昭和期に勃興した商店街文化がまだ(かろうじて)保存されている事へのあこがれの表れと言えます。
 よってこのまちの価値を見出すとしたら、それは昭和から新元号の時代への橋渡しとしてのテーマに彩られた街並みではないでしょうか。
 かつて豊島区役所の若手のワーキングチームが「まちの地域資源」について商店街青年部にインタビューに訪れた事がありました。その場に私が話させていただいたのが「まちの景観そのものが資源」という視座でした。他の地域にインタビューしていたチームの若い人たちからは「景観を資源といったのははじめて聞いた」という評価をいただきました。
 そんな私ですから本来ならそのままの街並み、拡幅しない道路のままの長崎というものを強く願ったものでしたが、道路事業が進展する事となった今出来る事はまちの再整備にあたってのテーマに関わっていく事であると考えます。
 重ねて申し上げると、開発に私たちは実際に関与する事はできません。デベロッパーが描いた絵に僕たちの知らない建築家が設計し、建築事業者が施工していく事でしょう。つまりその前段階で私たちがどれだけ具体的な「ハード」としてのまちのイメージを描けるか、そしてその描いたものを実際の建築計画にどのように影響を与えていくか、そういう事こそが提言をまとめた後の協議会の大きな仕事ではないでしょうか。

「駅前ロータリー化」批判について
 まちづくりワークショップのだんから、私が参加したグループではロータリーは不採用とした提案をしました、駅前ロータリーというアイデアは多くの人に支持されていました。理由の主はタクシーやバスなどの鉄道ではない公共交通への利便性でした。
 実際私がFacebook上で提起したロータリー化についての議論には、「介護をしてよくわかったが、高齢者はタクシーを利用したいのになかなか拾えない」という理由からロータリー化に賛成の意見もありました。確かにそういう立場に立てば頷ける部分もあります。
 しかし、まちの総合的なデザインを目先の問題解決だけに依拠してしまうのは、まちの文化性や本当の意味での機能性というものを見失わせてしまいます。
 ロータリーのあるまちというと主に浮かぶのは中央線沿線の駅ですが、駅を中心にしてまちを開発した経緯や、幹線道路が駅に近接しているなどの意味が存在します。現状狭い道路を起点に出来上がってしまった東長崎をそういう方向性で変えていくというのは、完全に一度まちを壊して作り直すという事でしか成しえません。それはまちの本意と言えるのでしょうか。
 また先ほどの高齢者対策としてのロータリーという案ですが、もはや私の両親世代がスマートフォンのアプリで様々なサービスを利用している現状があり、タクシーはそう遠くない未来に簡易に配車出来るサービスに転換する事が予測できます。特にデジタルネイティブと言われている世代が間もなく三十代を迎えようとしている現在、スマートフォンを軸としたテクノロジーは土地の負をものともしない利便性を生み出す事でしょう。
 再開発という大転換を迎えるかもしれない私たちのまちを、どのように私たちが捉え、尚且つテクノロジーの発展の未来予想を踏まえてアプローチする必要性を感じます。

「東長崎アップデート(案)」
 さて、より具体的な街の形を私の案として提示してみたいと思います。
 基本的なコンセプトは前段で申したように「商業地と住宅地の住み分け」です。計画道路を境に駅側を商業地、千早方面を住宅地と暫定的に設定します。
 大まかな人の流れのイメージですが、駅前周辺に人を集める機能性を持たせ駅前に集めて方々に人を散らす導線づくりを念頭に置いています。
 駅前ロータリーは作らず公共交通を通すとしたら停留所は計画道路に設置すれば良いでしょう。
 駅前再開発で噂されているのは共同化による大きな建造物です。その形式について論じる必要があるでしょう。現在の道路を生かした形を考えています。どういう事かというと、行った事がある人は分かると思いますが自由が丘の名店街のイメージです。どういう事かというと、一つのビルの中を一本の通路が貫通していてその両サイドに小さな店舗が軒を連ねている形式です。ビルの中を抜けるアーケード街と言った方が分かりやすいかもしれません。
 割と古臭い形式のビルの在り方だとは思いますが、そこを一つの導線として持つことで駅と道路の間に商業施設がある意味が生まれます。どういうことか。駅前広場から道路までの区間を「駅ナカ」のショッピングモールと位置付けたイメージです。駅ナカはここ20年のトレンドではありますが、改札内に商店街を作り鉄道利用者の需要を取り込んだショッピングモール的な思考の商店街構想です。つまり私の提案としては駅前は駅の続きであり、そこから次の交通(バスやタクシー)への接続の間に商店街を設けるというものです。
 駅前ロータリーを作りそこに交通の接続があった場合、一定数がそこで街との接続が終わります。商店街が求めるのはそういう人たちも含め商店の前を通過してもらう事、そしてお店との接点の可能性を消さない事にあると言えます。
 またこの構想の肝は駅を中心とした経済圏の再考にあります。どういうことかというと駅前に人を集めてそこから東長崎の商店街エリアを徒歩で回遊してもらう構想です。予想される東長崎の新しい商店エリアはそう広いものではありません。徒歩回遊で半日を過ごせる街というのがちょうどよいでしょう。
 そういう意味において「いかに駅前に人を集めるか」という問題意識に集約できます。ではどのような方法があるか。駅前広場でのイベントなどがイメージしやすいですが、日常の事として問題設定した場合、駅前に一般的なカフェ(ドトール、ヴェローチェのような)やファーストフードなどの出店が分かりやすく人を集めると予想します。
 つまりこういう事です。午前中10:00にカフェで友達と待ち合わせ、1時間お茶を楽しみ、友達と一緒に東長崎のまちを散歩、ついでにお買い物をして帰る、という物語です。よって東長崎駅周辺を自動車が入らなくてよい極力徒歩圏内として整備するという方向性を見出せます。
 そこに私はショッピングモール的な思想を導入したいと思います。駅前を徒歩の街にするという事は駅を中心としたエリアを「内部」とし、新しいに設置した方をショッピングモールのバックヤードとします。配送の荷捌きなどをバックヤードに一元化しなるべく駅前に自動車が侵入しないような作りで歩行者の安全を図ります。
 その内部は「商店街テーマパーク」というテーマの元、昭和っぽい街並みにシミュレートしノスタルジックな雰囲気を作ります。東長崎が長年培ってきた「商店街のまち」というブランド価値を再現しながら文化を保存するという意味がそこにはあります。

東長崎が目指すべきは「東長崎」
 「新しいまちづくり」と銘打つと、ついつい盛り上がっている他の街を参照してしまいがちです。中央線沿線や下北沢のように文化と経済が一体化して魅力ある街に見えますし、戸越銀座や砂町商店街など一般的に成功している商店街へのあこがれもあります。
 しかしそれらはその土地の特徴や住人の傾向など、その街ごとの特色を反映したものでしかありません。
 東長崎が目指すところは東長崎であって他の街ではない。その基本的な部分を忘れてデベロッパー任せのまちづくりを進めると、結局どこにでもあるような駅前になり、特色無く競争も生まれず、つまらないものになるのではないでしょうか。
 歴史部会を作ってまちの歴史を調査するのは、この町が持つ意味や思想を見出すという事です。それを踏まえてどのような環境を整備し商圏を作っていくのかという議論を深めて、来るべき再開発の前段で具体的な提案に繋げられるかが最も重要な事です。
 現在、その手法を見失い、町会や商店街の議論を協議会の中で話すしかない状況になっています。協議会で何を議論すべきかを明確にする対話に切り替え、建築の専門家などを交えた東長崎の「絵」を描く段に今後移行していかなければいけないです。
 現状当協議会と駅前再整備の会議は別に行われています。それぞれの立ち位置が分断されている状況は必ずしも良くないですが、当事者という事の内部性と外部性を行き来する良い機会ともいえます。
 開発を伴うまちづくりというのは、50年後、100年後を考える大きな事業です。当然現在参加している私たちが生きている可能性は限りなくゼロに近い。その位の長い視座を持って、そんな果てしない未来に私たちが本当に何を残したいのかを考える契機だと思います。
 本案はあくまでも筆者個人の提案ではありますが、一つの方向性の軸になる議論になればと思っております。ここに示した事と違った具体案が複数出て良き議論が展開する事を期待しつつ、文を締めたいと思います。

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