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久保田翠が考えるシリーズ

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NPO法人クリエイティブサポートレッツ代表であり、くぼたたけしの母でもある久保田翠が考えるシリーズ。「家族」や「自立」、「生活」について日々の想いを綴ります。
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記事一覧

たけしと生活研究会 ヒアリングを終えて

2017年夏、夫が体調を崩したけしの介護ができなくなった。家族介護の崩壊である。 もともと、夫と私だけの介護は脆弱だった。なかなか入ることができないシショートステイ、使うことができないヘルパー。月曜日から土曜日の日中通える「アルス・ノヴァ」だけが頼りだった。(それも自分が立ち上げた事業所!) その後、支援会議が開かれ、何とかヘルパーさんに入っていただき、どうにかこうにか生活が回るようになった。しかしやはり苦しい。毎日綱渡りのような生活だった。 2018年11月に完成した「

たけしの自立7~日曜日。ま、これが日常

今日は日曜日。 たけしがいる。 朝からお菓子の要求が激しい。 シェアハウスではお菓子はない。 家はお菓子がふんだんにもらえて、それを食べるでなく、おもちゃにして遊べる場所。 食べ物で遊んじゃいけないと親から教わったし、姉にはそう言ってきた。 しかし、こ奴は、お菓子で遊ぶ。 家というところはそれができると思っているようだ。 この習慣は変えられない。それなりにやめさせようとしてきたが無理だった。 石、入れ物、お菓子はある意味セット。 石がせんべいやグミに代わっても、入れ物に

たけしの自立6 たけしの食事と介助と文化的生活

1週間のたけしの肉の量。その一部は廃棄!もったいない! 7月30日、19時半から支援会議が行われた。こういうご時世なので相談支援さんや、ヘルパー事業所責任者はリモートで。 この日はたけしの支援がある日だったので、ヘルパーさんも入ることができるように3階のシェアハウスで行われた。 メインで入ってくれているヘルパー事業所さんの責任者とヘルパーさんが2名も参加してくれた。 この日は、たけしの他に、Mさん、Rさんも泊りの日だったので、それぞれにヘルパーさんがいて、にぎやかった。

たけしの自立5 ~コロナと自立の姿~

2020年7月30日 3月からたけしは自宅に戻っている。 昨年10月から始まった、たけし文化センター連尺町のシェアハウスでの自立生活(常時ヘルパーに支えられながら自立生活を送る)は、新型コロナウイルスや、様々な課題が露出したため、今年3月でとりあえず中止し、仕切り直しとなった。 3月下旬からは、前からお願いしていたヘルパー事業所がまず人材を補強してくれて、その人たちの研修からスタート。自宅にヘルパーさんがやってきて、たけしの食事介助、トイレ介助、外出などから改めて研修から

たけしの自立生活4 「新しい地平」は開かれるのか

壮(たけし)の自立性生活を始める2019年10月、私はある決意をした。 「ここからたけしの自立生活が始まる。彼の新しい人生が始まるのだから、私は手出ししない!」と。 結構きつめに決断したはずだった。 しかし、6か月を終えた2020年3月。 たけしは家に帰ってきてしまった。 6か月。まあ、いろいろな理由はあるのだが、結果的に、たけし自身が「家にいる。家族とも暮らす」という選択肢を手放さなかったのだと思う。  先日、あるシンポジウムに参加した。障害者(知的障害者も含めて)自己

6か月がたって、振出に戻った! たけしの自立生活

[2020年04月19日のブログより] 2019年10月から始まったたけしの自立生活。6か月を過ぎて、奇しくも新型コロナウイルスの猛威が始まったことを理由に、たけしは4月から自宅にいる。なんとまさかの振出しに戻ったたけしの自立生活。 3階に住む前の生活に戻してみて、本人的には毎日、楽しそうに過ごしている。そしてそろそろ1か月。本人は徐々に飽きだし、家族は疲弊感が募る。これもいつものパターンといえばそれまでだが、1か月でもいろいろな事件が起こっている(それはまたの機会に) 本

たけしと自立生活②~母親の揺れ~

2020年1月19日 ブログから たけし文化センター連尺町3階での様子 この日は賑やか~ 帰宅途中の車内で。あきれるほどうれしそう(そんな?) 2019年10月から久保田壮の自立生活がたけし文化センター連尺町3階のシェアハウス+ゲストハウスで始まった。 それから早4か月が経とうとしている。 さまざまなすったもんだの末、ようやく落ち着いてきたかな。 感じていることを書き記すことにした。    たけしがこの生活をスタートした時に私は自分に言い聞かせた。 「たけしの自立を

たけしの自立生活①~たけし発熱放置事件~

2019年10月7日から本格的にたけしの自立生活が始まった。 たけしは「たけし文化センター連尺」3階のシェアハウスに、重度訪問介護というサービスを使って住む。 ここにはゲストハウスも併設していて、ときどきお客さんが泊まりに来たり、アーティストや学生が滞在していたり、最近障害のある人たちが自立の練習としても使っている。 たけしとの23年間の人生を振り返って、3日以上離れたことがない。そして、私が彼の一番の介護者であった。それが私がほとんど介護に入らない生活となった。 常識的に

2カ月が経ってみて

2019年11月24日 たけしがたけし文化センター連尺町の3階に住み始めてもうすぐ2か月。 毎日いる生活からいない生活に。 そのせいか出張や講演が自然に入ってくる。 2か月で、福島、松山、東京、京都・・。 行ける身になったことに感謝。 いままで、会いたくても会えなかった人や行きたくても行けなかったところに行けるようになったのは本当にうれしい。 22日は友人の授賞式に出席し、会ってみたかった方々や、10年来会っていなかった方々と酒を酌み交わした。(ものすごい強行スケジュー

たけしの自立はわたしの自立

2019年10月4日、京都市立芸大の赤松学長と対談した。 テーマは「問題行動と表現未満、」。その報告は、レッツのHP内にある、「表現未満、」にアップしています。 赤松学長は46歳で出産し、中学1年生のダウン症のお子さんがいる。どの親もが通るように支援級の先生、福祉関係者との関わり合いをとても良好に作られているようだった。さすが京都市立芸大初の女性学長になる方だから物腰が柔らかく、さまざまな課題もしなやかに対処されてこられてきたことがよくわかる。またパートナーが外国籍の方らし

親なき後をぶっ壊せ~たけしの新しい生活が始まる~

10月から久保田壮は重度訪問介護で、たけし文化センター連尺町の3階で生活を始まる。 重度知的障害者では浜松第1号だそうだ。 たけしは重度障害者で強度行動障害もあり24時間見守りが必要な人だ。 1日だいたい、障害福祉施設アルス・ノヴァが8時間、ヘルパーが3時間、計11時間はフォーマルなサービスを利用している。そして残り16時間は親(わたし)が介護する生活だった。 そのうち寝る時間はあるとはいえ、いつ起きるかわからない、起きて何をしだすかわからない。となると親である私は残り16

たけしと生活研究会2~正解を求めないいいとこどりの暮らし方

2019年07月27日02:59  久保田翠ブログ「あなたのありのままがいい」から 7月22日 1回目は東京の風雷社中の中村さん。風雷社中が運営するトランジットヤードには重度の知的障害ある自閉症のゲンちゃんが、ヘルパーさんと一緒に生活している。その問題や、課題、日常風景を切り取ったドキュメンタリー上映から始まった。 とても刺激的だった。たくさんの示唆にあふれる言葉や矜持があった。  レッツが障害福祉施設アルス・ノヴァを立ち上げる少し前、障害者の法律が大きく変わった。「措置

たけしと生活研究会

2019年07月26日18:24 久保田翠ブログ「あなたのありのままがいい」から 「親なき後をぶっ壊せ」というブログ文章を書いたのはもう1年ほど前になる。 20歳を過ぎた重度障害者の我が息子、たけしとの生活で感じてきたことを綴っている。 二十歳を過ぎた青年が親と生活したいだろうか(多分したくはないだろう。私だっていやだ) 家族は「自分に代わる支援者」を望む。しかし、そもそも家族に代わる支援者なんているのだろうか。それよりも「ともだち」でいいじゃないか。 介護も、子育ても、障

たけしの自立~家族~

2019年05月31日 久保田翠ブログ「あなたのありのままがいい」から 3月17日、彼岸初日のうららかな春の日に、夫が亡くなった。 2年ほど浜松を離れ、親族のいる静岡で療養していたが、急に体調を崩し(心不全)帰らぬ人となってしまった。 夫は、2000年にレッツを設立してから、陰になり、日向になり支えてくれた。 今のレッツがあるのも、2017年に私が芸術選奨文部科学大臣賞といった大きな賞を受けることができたのも、夫の支えがあったからだ。 そして戦友だった。 夫は常にたけし