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「一平二太郎より上の世代の……」

 都心の雑居ビルの屋上で煙草をふかしているとき、ふと今村翔吾(https://twitter.com/zusyu_kki)さんが紫煙を吐き、例のばりばりの関西弁で言った。

「武川さんの文章は、読んでるといわゆる『一平二太郎』より上の世代のにおいがしますね」

自分は実はマンガから歴史時代小説の世界に入ったので(あ、このことは今度書こう)、体系的に歴史時代小説を読み漁ったり、研究したことがない。恥ずべきことであるが、実際そうなのだから仕方がない。

実際一平二太郎、すなわち藤沢周平、司馬遼太郎、池波正太郎(敬称略)は読んだことはありこそすれ、耽溺したり、思慕したり、といった行為には遠い存在だ。歴史時代小説の申し子みたいな今村さんは、きっとそのこともお見通しだろう。

続いて今村さんはある人の名前をあげた。なるほど、いくつかの短編は読んだことがある。本屋に走って一冊の文庫本を買い求めた。

井上靖『敦煌』。https://www.shinchosha.co.jp/book/106304/

読んでみて、今村さんの言わんとしたことがなんとなくわかる。好きな文章だ。無駄がなく、文体が端正で、カメラが主人公にとても近い。映像的である。

いわゆる河西四郡――武威(涼州)、張掖(甘州)、酒泉(粛州)、敦煌(瓜州)に吹く荒涼とした砂塵の砂の一粒から、顔を上げれば頂きに白い雪を輝かせる祁連山脈の峰々までが、鮮明に浮かんでくる。筆は人物の心情に余計に踏みこまず、主人公である趙行徳の茫洋とした表情、朱王礼の赤らんだ凶暴な面差し、そして尉遅光の荒々しい若さを活写する。そこには自然に対する宗教心ににた畏怖があり、人間に対する根本的な信頼感がある。人間に対し若干ロマンチシズムに筆を留めるのが、好みである。

同著者の作品、耽溺するまで読み進めてみようと決めた。


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