文体で影響を受けた『偸盗』のこと

こちら(https://note.mu/takekawa_yu/n/n3685c7e13d70)で、文体の話をちょっぴりしました。

誰しも、文体で影響を受けた作家・作品というのはあると思います。作品の世界観などとは違ってスキル的な側面があり、小説の「かたち」を決める、そういうものではないでしょうか。自分にとってそれは、芥川龍之介『偸盗』です。青空文庫で全文読めますので、ぜひ。

解説にも書かれているとおり、芥川自身はこの作品を「通俗的でたいしたことない」とぼろくそに語っており、筋書きはメロドラマ。平安時代の都で盗賊をしている兄弟が、仲間の美しい女盗賊に惚れて兄弟殺し合いそうになり――みたいな筋です。ここからは私見になりますが、ストーリー自体がたいしたことがない代わりに、芥川は自身の描写のスキルを作品にこれでもかと注ぎこんでいる、と自分には思えるのです。美しい、といって差し支えない。

冒頭はこうです。(※テクニックの解説をするわけではないので、小説執筆ハウツー的なものは期待しないでください)

「おばば、猪熊のおばば。」
 朱雀綾小路の辻で、じみな紺の水干に揉烏帽子をかけた、二十ばかりの、醜い、片目の侍が、平骨の扇を上げて、通りかかりの老婆を呼びとめた。――(『偸盗』冒頭)

すげえ~~~~~!! これ書けます? ドストエフスキー『罪と罰』の冒頭に匹敵するのではと個人的には思います。ここでたぶん自分は「平骨の扇を上げて、」を入れられないと思うのです。

七月のはじめ、めっぽう暑いさかりのある日ぐれどき、ひとりの青年が、S横町のせまくるしい間借り部屋からおもてに出て、のろくさと、どこかためらいがちに、K橋のほうへ歩きだした。(『罪と罰』冒頭)

続いて物思いから現在の視点へ戻るときのカットイン調の描写。

「はい、はい」と馬をしかる声がする。太郎は、あわてて、道をよけた。
 米俵を二俵ずつ、左右へ積んだ馬をひいて、汗衫一つの下衆が、三条坊門の辻を曲がりながら、汗もふかずに、炎天の大路を南へ下って来る。その馬の影が、黒く地面に焼きついた上を、燕が一羽、ひらり羽根を光らせて、すじかいに、空へ舞い上がった。と思うと、それがまた礫を投げるように、落として来て、太郎の鼻の先を一文字に、向こうの板庇の下へはいる。
 太郎は、歩きながら、思い出したように、はたはたと、黄紙の扇を使った。――(『偸盗』)

まず音から入る。冒頭もそうでしたね。下衆の声とともに、ガラガラという曳き車が太郎の目の前を通り過ぎる。太郎に寄ったカメラが引いて、三条坊門の辻を映しだす。地面に焼きつく牛の影から燕を追って、板庇の下へ入る。その燕に太郎の鼻先を通らせて、太郎にまたカメラを自然に戻している。なにそれ超絶技巧。これを地の文、クライマックスでもない導入部でやるのがすごい。

あと戦闘描写も手がこんでいます。結構な手数を長文の中に織り込んで冗長にさせない。

――と思うと、沙金の手に弓返の音がして、まっさきに進んだ白犬が一頭、たかうすびょうの矢に腹を縫われて、苦鳴と共に、横に倒れる。見る間に、黒血がその腹から、斑々として砂にたれた。が、犬に続いた一人の男は、それにもおじず、太刀をふりかざして、横あいから次郎に切ってかかる。その太刀が、ほとんど無意識に受けとめた、次郎の太刀の刃を打って、鏘然とした響きと共に、またたく間、火花を散らした。(『偸盗』)

芥川が軍記物を書いたらどんなものになっていただろうかと、思わずにはいられません。戦闘描写はかなり紙幅を割いて書かれていて、芥川もちょっと楽しかったのではないかな、と考えてしまいます。自分は『虎の牙』を書く前、書くとき、このシーンを何度も読み返しました。かなり影響を受けていると思います。こんど「影響を受けた作品は?」と聞かれたら「文体は『偸盗』に影響を受けました」と答えようと思います。芥川自身が気に入っていない作品を好きというのも気がひけますし、芥川に馬鹿にされそうな気がしますが。

ラスト一文も良いです。ここにはもちろん書きませんが、ぜひご堪能ください。


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