takekawakaori

見えるものは半径3メートル程、持てる力はただ歩くこと。自分のことが自分で一番わからない…

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見えるものは半径3メートル程、持てる力はただ歩くこと。自分のことが自分で一番わからない。今日も自分を知る旅を続けています。amebloもやってます。 https://ameblo.jp/takekawakaori/

マガジン

  • 頭の中は自由

    自伝的なものを書き綴ってまいりましたが、なんとなく時系列でと勝手に思い込んだルールが、苦しくなってしまいました(笑)もっと自由に書きたいので、マガジンを更新しますのです。

  • 自伝的なもの

    地球に降り立ち、早54年 健忘著しい今日この頃 自伝的なものを書いておこうと思う これはただの物語 とあるお話に過ぎない、けれど、私しか知らない物語

最近の記事

中途半端な午後のこと

確か、非二元だとか覚醒だとか、そんな本を斜め読みしていた時である。 Amazon Kindleに入会したことから、気軽にいろんな本に手を出すのは良いのだが、無料というのは良くないなぁとも思う。その本に対する姿勢がやっぱり違ってきてしまう。舐めるように大事に読むという、気が削がれてしまう。 それでなくとも、非二元だとか覚醒だとか、しかも翻訳となればどうしても、文章をそのままに消化するわけにもいかず、つい、斜め読みしてしまう。それがいいのか悪いのかはわからない。 この身体が

    • 自転車に乗ると、なんで瞑想状態になるのか 最近わかったことがある。 風の音だ 瞑想アプリを探していて、音楽以外に雨音などがあるのは知っていたが、扇風機の音や、風の音、嵐の音などがあるのを見つけた。 そういえば、なにかの瞑想の本にも書いてあった。うるさい場所、工事現場や高速道路の側などのほうが、雑念が湧きにくいそうだ。 人間は静寂に耐えられない生き物なのだろうか。 耳を塞げば、静かになる様な気がするが、あまりにも静かだと、自分の呼吸音や脈打つ鼓動が気になってくる。その

      • 家族ゲーム

        家族カーストの中で、私は最下位だった。 単に2人兄妹の末っ子だから、ということなのかもしれない。 年子の兄は出来が良く、妹のほうは女だし、虚弱だし(確かに乳幼児の頃に命の火が危ういことがあったらしい。らしいって、自分では覚えていないもの。)  空想癖のあるボーッとした子だった。 「自伝的なもの」の中でも書いたように思うが、出生の頃の私の入院騒ぎで、家族が散々だったということを聞かされて育った。 産後の母は倒れてしまい、その心身の負担がトラウマとなって、後年なにかと私に当た

        • シュラバラバンバ

          大島ケンスケさんのマガジンを購読させていただいている。 もともとblogの方をフォローさせていただいていた。 その頃、壇珠さんの存在をケンスケさんから知り、noteの存在も知った。 壇珠さんの自伝を読んで、面白いなぁ、と思った頃に、ケンスケさんもnoteをメインに活動の場を移された。 そうして、私もnoteに書くようになったのだ。マガジン・自伝的なものは、もちろん、壇珠さんの影響である。 そうですね、まんまテーマのパクリです。 ハイ、認めますです。 ただ、当然ながら、私が

        中途半端な午後のこと

        マガジン

        • 頭の中は自由
          16本
        • 自伝的なもの
          37本

        記事

          灯台下暗し

          アトリエと先生というnoteにも書いたのだが、小学高学年から高校にかけて、アトリエに通っていた。 アトリエの先生の奥様が、易学に造詣が深く、それは先生の子供たちへの指導にも活かされていた。美大受験の頃になると、進路相談にも乗ってくださり、そこにもその情報は活かされているのである。 美術系といっても、絵画、デザイン、造形、陶芸、金工などなど、多岐にわたる。 純粋に芸術家を目指すのか、デザイン、パタンナーや建築などのように、技術系を目指すのかでも大きく違う。 その子の個性を踏ま

          灯台下暗し

          掘り下げて肉じゃが

          大泉洋さんと吉田羊さんのドラマを観た。 ドラマはあまり観ないのだが(そもそもテレビを観ない)、水曜どうでしょうファンとしては、大泉洋さん、安田顕さんのドラマや映画はチェックする。 で、ドラマの中の元夫婦のやりとりを観ていて、自分に重なる所があって、なんともウームとなってしまった。 優しくて優柔不断なモトオさん(大泉洋さん)、世界の元夫と、負けず嫌いで勝気な元妻、ユキコさん(吉田羊さん)に揶揄される。 自分を出さずに相手に合わせることが優しさだと、争いを避けすぐに自分を

          掘り下げて肉じゃが

          creative life

          職人の仕事を始めてから、3軒目の工房だった。 一番最初に職人として働いたのは、シルバー加工のアトリエだった。 銀は他の貴金属と比べて、融点も低く、なませば女性の力でも曲げ伸ばし出来て、加工しやすい素材である。 7年携わったので、一通りの加工技術は身についた。 その後、突然その職を失うこととなった。 金やプラチナを扱う仕事をすすめられたりしたのだが、なんとなく合わないような気がして敬遠した。 シルバーアクセサリーなら自分もつけたりするし、顧客も同じ若い人たちなので、何と

          creative life

          今朝は詩をうたおう

          あさおきて ましろなままで あなたに会いに行こう ましろなままで おはようといって笑うから おはようといって笑ってほしい その日はわたしのこと 好きでいて 次の日には わたしのことも何もかも すっかり忘れてかまわないから あさおきて ましろなままで ー・ー・ー・ー 二十代の頃に書いた詩を なぜか急に思い出したので 書いてみた その時好きだった人に書いたのだろうけど わたしは 悲しいような 切ないような それでいて美しい 刹那的なナニカを 他者へ

          今朝は詩をうたおう

          貴女へ

          私の母の更年期は、大荒れに荒れた嵐のようだった。 夫である父親は、仕事だなんだと逃げてゆき、どこかの安全な港で、ただただ嵐が過ぎてゆくのを待つのみだった。 兄は、母のお気に入りで、兄にはその片鱗も見せず、結局、雨風をまともに受けたのは私だけだった。 その役が嫌で堪らなかった私は、二十歳を過ぎると逃げるように家を出た。 親にしてみれば、だらしなく頼りない娘が、自立してやっていける訳がない、何かと頼ってくるだろうと、タカを括っていたようだ。 ところが私は、家を出るとまるで水を得

          ミミズとダンゴムシ

          そこは、マンションとマンションに挟まれた、トイレも水場も砂場もない小さな公園である。 雨が降ると、水捌けが悪く真ん中辺りは大きな水溜りになる。 小さな子供を持つお母さんは、その水溜りを嫌がって、雨上がりには遊ばせにこない。 小学生も水溜りがある時はサッカーもできないので来ない。 水場もトイレもないので、汚れても洗えない。 人が来ないので、草ボウボウである。 ただ、我が家からは近かったので、人気のないその公園は好都合だった。 何かの育児書で見たわけでもなく、意識高い系でもなく

          ミミズとダンゴムシ

          なぜ登るのかと問われれば

          初めての山登りは、小学1年生の頃、家族で行った六甲山であると記憶している。 西宮辺りに住んでいたので、そこからほど近い初心者向けのコースだったのだろう。 母親は大の運動嫌いで、晩年、リハビリをするのが嫌だからという理由で、膝の手術をずっと拒否していた。 それならば体重を落とすべしと軽い運動を勧められたが、その事にも苦心をした。 その晩年の印象が強いので、今考えると山登りなんてよく行ったなぁと、驚いてしまうのだ。 若草山にも行った記憶があるので、当時は今ほどレジャーが豊富で

          なぜ登るのかと問われれば

          自転車と不思議

          自転車を漕ぐと瞑想スイッチが入ってしまうという、希有な体質になってしまったのだが、その初期の頃の事である。 またまだ思考と瞑想状態が入り混じっていた。 ちょっとした隙間に思考が入ってくる。 問題を解決しなくては、と思っていた。 その頃は特に大きな問題はなく、小さな小競り合いのような問題が、チラチラある程度だった。 それらを一掃するにはどうしたら、と考えていた時だった。 そこは登録している事業所のすぐ近くの橋の上だった。 事業所を基点に自転車で行ける範囲が訪問先となるので

          自転車と不思議

          自転車瞑想

          訪問介護の仕事をしている。 自転車で、利用者さん宅を訪問し、生活支援や介護のサービスを1時間前後行い、また自転車に乗って次のお宅へ向かう。 聞くと大変そうだろうが、意外と良い面もある。 一ヶ所でじっとしているのが苦手な私には合っている。 自転車で何度も外に出るのもいい。 季節を感じたり、朝の空気は清々しいし、宵闇と夕焼けの混じり合った空も美しい。 家庭で良くないことがあって、どうにも抜け出せなかった私は、そうだ、仕事をしよう!と仕事を始めた。 前職が活かせて、まだ小学

          自転車瞑想

          シャープペンシル

          子どもの頃は、特に母親は、スーパーウーマンか魔法使いだと思っていた。 何でもできるし何でも知っている。 そういえば幼稚園の頃の私は、大根とジャガイモの区別がつかなかった。美味しいホクホク大根とあんま美味しくないシャクシャク大根があるのだと思っていた。大根をジャガイモに置き換えてもいい。見た目では分からず、食べてからラッキーとか、うげハズレとか思っていたのだ。 ちなみにバターとチーズについても同様である。 そんな子どもである。どちらかといえばボーっとした子だった。いつ、バタ

          シャープペンシル

          年の初めに

          自分が書いた文章が、活字になることがたまらなく好きだった。 今、頭から流れ落ちたものは、指先をチョイチョイ動かすだけで、活字になる。 修正も編集も簡単だ。 夢のような世界だ。 小学生の頃は、まだ絵を描くことが勝っていて、それは漫画として表現されていた。 ただ、よし本格的に描いてみよう!と思うと、何をテーマに描いていいのかわからなくなる。特に伝えたいストーリーもテーマもないのだ。 何度も転校したが、いつも新聞係を志願していた。なにか書いたものがガリガリとガリ版刷りにして、

          年の初めに

          オッサン天使

          小さいオッサンに憧れた時期がある。 とある女優さんが、とあるスピリチュアルブームの先をいった番組で、語った話である。 小さいオッサンが見えるのだと。 ジャージ姿で、落ち込んでいるときには励ますように、悲しい時には癒すように、現れるのだそうだ。 私は、残念ながら出会ったことはない。 だが、この話を聞く前から、なんとなくその存在を知っていたような気がする。すんなりとその存在を受け入れ、出会ってみたいものだと思ったのだ。 ジェイコブスラダーという映画が好きだった。 ベトナム

          オッサン天使