クワバラ

「日本近代文学」を研究しているクワバラです。本業がらみで、でも「論文」にはできないもの…

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「日本近代文学」を研究しているクワバラです。本業がらみで、でも「論文」にはできないものを掲載していく予定。また、昔書いた文書を載せたりするかもしれません。

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  • 作者のひみつ(仮)

    作業中の『作者のひみつ(仮)』の下書き置き場です。

  • 『夢野久作の日記』より

  • 大江健三郎ノート

最近の記事

『作者のひみつ(仮)』改 第10章

 10章 文学の「革命」・理想としての「読者」 いつもの研究室ですが、今日はいつもと違って少ししんみりした雰囲気です。その雰囲気を生み出しているのは、一番寂しそうにしているカオルでした。 ―すみません。私から望んで教えてもらいに来ていたのに、勝手にもう来ないことにしてしまって。 ―受験ということならやむをえないですよ。でも、そんなに数学が苦手だったんですか。 ―はい、この前の模試でも数学が足を引っ張ってために判定がかなり悪くなっていて。それ以外の科目の点数は全然大丈夫なんです

    • 『作者のひみつ(仮)』改 第9章

      9章 「作者の死」について  季節も秋を迎え大学のキャンパスを歩く人たちも装いを変えてきています。いつもの木曜日の午後、いつもの研究室に三人が集まっています。あいかわらずTシャツにデニム姿の大学生ですが、なんとなく浮かれているように見えます。逆に夏の制服の上にカーディガンを羽織った高校生が浮かぬ顔をしているのですが、どうしたのでしょうか。かわりに先生に聞いてもらいましょう。 ―そうですか。教員採用試験が終ったんですか。 ―はい。まだ他県の試験もあるんですが、本命の試験は終っ

      • 『作者のひみつ(仮)』改 第8章

        8章 〈仲介者〉はいかに作者のイメージを広めるか? 2 年譜  いつもの木曜午後の研究室ですが、今日は様子が違います。先生とカオルさんはいつもどおりなのですが、もう一人が見慣れないスーツにネクタイ姿なのです。どうやら教育実習の打ち合わせから帰って来たところのようです。 ―Tシャツ姿を見慣れているので違和感あるなあ。別に似合わないわけじゃないんだけど。 ―自分が一番それを感じてるよ。どうも窮屈で居心地悪い。教育実習中はずっとこれじゃなきゃならないなんて厳しすぎる。 ―服よりも授

        • 『作者のひみつ(仮)』改 第7章

          7章 〈仲介者〉はいかに作者のイメージを広めるか? 1 評伝・伝記  一ヶ月後のいつもの月末の木曜日の午後、季節はすっかり秋に移っています。三人はまた研究室を出て、今日は広い公園の四阿に集まっています。 ―近くにこんな大きい公園があったんですね。 ―駅にとは反対方向なのであまり学生は来ないかもしれないですね。 ―前にボランティア・サークルで子供たちと遊びに来たことがありますよ。 ―そうなんだ。子供たちと遊んでいるの似合いそうだね。 ―え、そう? ―子供たちの中に自然に溶けこん

        『作者のひみつ(仮)』改 第10章

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        • 作者のひみつ(仮)
          12本
        • 『夢野久作の日記』より
          3本
        • 大江健三郎ノート
          5本

        記事

          『作者のひみつ(仮)』改 第6章

          6章 作者による自作解説 三週間後の木曜午後、今日はいつもの研究室ではなく先生に連れられて出かけた喫茶店に三人はいます。先生の出張の都合でいつもの週より一週間前倒しで集まることになったのですが、この日は先生のゼミの学生が自主ゼミで研究室を使うので、場所を変えることになったのです。そこは「喫茶店」と呼ぶのがふさわしい時間を積み重ねた建物で、テーブルやソファ、壁にかかった絵画などの家具調度も新品にはない趣を持っていました。 ―こういう喫茶店、はじめて入りました。なんとなく入りにく

          『作者のひみつ(仮)』改 第6章

          『作者のひみつ(仮)』改 第5章

             5章 作者の売り手としての自覚 一ヶ月後の木曜日五限、いつもの研究室にいつもの三人が集まっています。カオルが待ちきれないというように切り出します。 ―今日は太宰治についての話ですよね。 ―うん、太宰治は現代の作者と同じ状況、つまり作者のイメージが商品としての作品の行方を左右するという状況を当たり前のこととして受け入れ始めた世代の一人だし、その中でも典型的に作者の置かれた位置について反応した人だからわかりやすいんですよ。ただ、彼について取りあげる前に、前回話した太宰治の前

          『作者のひみつ(仮)』改 第5章

          『作者のひみつ(仮)』4章

          4章 《仲介者》はいかに作者イメージを広めるか? 1 肖像写真 作者のイメージと顔  わたしたち読者は作者をイメージする時に何を手がかりにするでしょうか。作品の内容や彼らの思想といった抽象的なものよりも、一番わかりやすいのは、作者を描いた肖像画や肖像写真ではないでしょうか。そして、作者がどのような外見をしているか、作者はどういう顔なのか、ということと作品とは関係が無さそうですが、実際は多くの受容者は外見・顔と作者をつい結びつけてしまう習慣を持つようになっています。  第一章で

          『作者のひみつ(仮)』4章

          『作者のひみつ(仮)』改 ある木曜日の午後

           小さな大学の文学部の小さな校舎、その中のある研究室でこん、こん、こんとノックの音がしました。木曜五限、もう五時も過ぎた頃です。 「はい」と答えたのは、その研究室の住人、年齢不詳・性別不詳・国籍不詳の人物です。ドアを開けて研究室に入ってきたのは、いかにも大学生風の身なりの男子と、同じ敷地にある附属高校の制服を着た高校生の二人連れでした。 -先生、おひさしぶりです。初年度セミナーではお世話になりました。 -いえいえ。君は今国語教育の研究室に所属しているんだったっけ。教育実習の準

          『作者のひみつ(仮)』改 ある木曜日の午後

          『作者のひみつ(仮)』3章

             3章 《仲介者》という存在 作者中心の表現観の相対化  前章で説明したように、著作権、特に著作者人格権によって作者と作品とは切り離すことのできない関係となりました。その結果、作品について考える際に作者を通してのみ考えることが主流となるという弊害を生んでいます。  作品について考えるのに作者を通して考えるのは当たり前なのに、弊害というのはどういうことのなのだろう、と思った人は残念ながら作者中心の狭い表現観でしか作品をとらえることができていなかった、ということになるでしょ

          『作者のひみつ(仮)』3章

          『作者のひみつ(仮)』2章

             2章 著作権と作者 著作権の歴史  産業資本主義が出版を産業化する中で、作者に関わる新しい権利が主張され、認められるようになっていきました。それは、今では当たり前となっている著作権です。著作権という発想が広く社会に普及したのは近代(十九世紀以降)でした。つまり、産業資本主義の発生・発達と重なる訳です。  背景としては、文学商品の売り手としての作者や出版社を脅かす利益の入らない海賊版の横行があります。手書きで写す書写本が中心だった時代には本を複製するのは困難でしたが、出

          『作者のひみつ(仮)』2章

          『作者のひみつ(仮)』1章

             1章 わたしたちが生きている時代産業資本主義が確立する前の芸術・文学  序章で述べた、作者の特別な地位が形成されたのは、いつなのか、そしてどのようになのか、まずはそこから始めようと思います。  いつなのか、という問いの答えを最初に示してしまいますが、それは十九世紀以降(近現代)に成立した産業資本主義経済の社会が確立した時です。産業資本主義とは、簡単に言うと大量生産・大量流通・大量消費の時代です。つまり、機械化された工場で同じ製品が大量に作られ、それが鉄道・自動車などの機

          『作者のひみつ(仮)』1章

          『作者のひみつ(仮)』序章

             序章 作者のなにが問題なのか?作品と作者の特別な関係  文学に限らず、絵画・音楽・映画・マンガなど、表現されたものについて考える際に、作者について思考する誘惑からは逃れがたいものです。  たとえば、このような作品を作る作者とはどのような人なのだろう。この作品は気にいったけれどもこの作者は他にどんな作品を作っているのだろう。同じ作者の作品をまた読んで(見て・聞いて)みたい。このように、作品からそれを表現した作者へと意識が向かうということはよくあることでしょう。  さらに、

          『作者のひみつ(仮)』序章

          『夢野久作の日記』より(3)

          (2)から少し日にちが経って、同じ1926年の後半、あらためて「狂人の解放治療」という原稿の話題が出て来る。精神病棟という閉ざされた空間を舞台とした「ドグラ・マグラ」だが、その執筆は閉ざされたものではなく、家族や友人に読ませて感想を聞くという過程を踏んでいたのがこの時期の日記の記述からうかがえる。 「七月十日 土曜  天気よし。妻に、狂人の解放治療(17)の話をきかす。  七月二十六日 日曜  終日、物書き。頭重くなる。  龍丸、鉄児の処へ蚊屋釣ることならぬと云ふ故、叱

          『夢野久作の日記』より(3)

          『夢野久作の日記』より(2)

          「ドグラ・マグラ」について『夢野久作の日記』で言及している箇所の続き(引用に際して表記しにくい踊り字を文字に起している)。 今回は最初の草稿を書き上げて清書を終えるまでの1926年5月22日から6月13日までを抜粋。家族で経営している杉山農園の管理についての記述も多く、多忙な日々の中毎日毎日原稿を執筆している。 本当にまじめな生活であることだよ。 「五月二十二日 土曜  朝、川口君と礼子同伴川端に到り、豚を買ひ二ケ月ぶりにて社に到り、ワクを取り、二時二十五分の新博多発に

          『夢野久作の日記』より(2)

          『夢野久作の日記』より(1)

          大学院の講義で「ドグラマグラ」を講読したので、参考に杉山龍丸編『夢野久作の日記』(葦書房、1976年)も読んだ(近畿大学産業理工学部図書館所蔵のものを貸借)。 夢野久作は1936年に亡くなっていて既に著作権は切れている(青空文庫には複数の作品が掲載されている)。また『夢野久作の日記』自体、現在では入手が難しくなっているので、「ドグラマグラ」に関連する部分だけここで紹介してみようと思う。 なお、本書に収録されているのは、息子で編者の杉山龍丸が所蔵していた1910(明治43)

          『夢野久作の日記』より(1)

          何を選んだのか、何を選ばなかったのか。

          岩波文庫から8月に出た『大江健三郎自選短篇』の収録内容を遅ればせに確認しました。 各短篇が元々収録されていた単行本名と共に並べるとこのようになります。 I 初期短篇  奇妙な仕事『死者の奢り』  死者の奢り 同  他人の足 同  飼育 同  人間の羊 同  不意の唖『見るまえに跳べ』  セヴンティーン『性的人間』  空の怪物アグイー『空の怪物アグイー』 II 中期短篇  頭のいい「雨の木」『「雨の木」を聴く女たち』  「雨の木」を聴く女たち 同  さかさまに立つ「雨の木」

          何を選んだのか、何を選ばなかったのか。