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『作者のひみつ(仮)』3章

   3章 《仲介者》という存在

作者中心の表現観の相対化
 前章で説明したように、著作権、特に著作者人格権によって作者と作品とは切り離すことのできない関係となりました。その結果、作品について考える際に作者を通してのみ考えることが主流となるという弊害を生んでいます。
 作品について考えるのに作者を通して考えるのは当たり前なのに、弊害というのはどういうことのなのだろう、と思った人は残念ながら作者中心の狭い表現観でしか作品をとらえることができていなかった、ということになるでしょう。そのような表現観を相対化するために様々な試みがなされていますが、その一つが1章でも紹介した《美術のコミュニケーション図式》です。再び上に引用しておきます。

 文学における作者や作品をそれだけで独立したものとして捉えるのではなく、様々な要素と関連する、コミュニケーションの中にあるものとして考えたのが『日本美術を学ぶ人のために』のこの図式です。あらためて紹介すると、この本は世界思想社の〈学ぶ人のために〉シリーズの一つで、「コミュニケーション」という観点から日本美術の研究方法を紹介する入門書です。既におわかりかと思いますが、この本で紹介されている考え方は他のジャンルにも応用が可能です。本の冒頭には「美術を見ることは好きだけれど、いざ学ぶとなると、何をどうすればよいか分からない。日本美術史の本を読みかじってはみるのだけれど、「様式」とか「流れ」とか、難しいことばかり書いてあって、私たちが抱くささいな好奇心や何げない疑問にはいっこうに応えてくれない。そんな思いを抱いている人たちのために書かれた」とあるのですが、これは「美術」を「文学」に、途中に出て来る用語例を「「文体」や「思想」に置き換えれば、そのまま文学研究のことになります。
 実際にこの《コミュニケーション図式》を近現代の小説にあてはめると、aからgの要素それぞれは、以下のようになるでしょう。

a 対象 過去・現在・未来の人間や人間のように思考する生物の活動・生活
b 発注者 出版社や小説を掲載するサイトを運営する企業、編集者
c 制作者 小説家、小説家志望の人
d 仲介者 編集者・小説家・書店員・書評家・評論家・研究者・国語教員
e 受容者 小説の読者
f 規則 登場人物の性格の一貫性やストーリーの辻褄、小説ジャンル毎のルール
g 作品 小説

《発注者》と《仲介者》について
 1章では同じ図を使って作者(この図で言う《制作者》)への思いこみについて説明しましたが、この章でまず強調したいのは《発注者》と《仲介者》の役割です。まずはそれぞれについて、『日本美術を学ぶ人のために』でどのような説明がなされているかを引用してみます。

 《発注者》の注文に応じて、《制作者》がなんらかの《対象》について、なんらかの《規則》に基づいて《作品》を生産するということを表しています。ここで重要なのは《発注者》の存在です。

 図の左半分に登場する《発注者》についてのこの説明を、近現代の小説単行本の出版に置き換えると次のようになります。《発注者》である出版社、そこで働く編集者が小説の単行本を出版しようとして、《制作者》である小説家に過去・現在・未来の人間や人間のように思考する生物の活動・生活を《対象》にした小説を依頼し、小説家は登場人物の性格の一貫性やストーリーの辻褄や、ミステリーやファンタジーなどのジャンル毎の約束事、つまり《規則》に従って小説を書く、ということになります。純文学のような《対象》の範囲が広かったり《規則》が曖昧だったりするジャンルもありますが、それでも《発注者》と《制作者》の間に明文化されていない約束事はあるものです。[注文]というのとは少し違いますが、公募の新人賞に小説家志望の人が自分の小説を応募する時には、その賞にふさわしい《対象》を描き《規則》に則った小説を投稿するでしょうし、新人賞を審査する側の編集者や選考委員はふさわしくない《対象》を描き《規則》から外れた小説を排除しているはずです。
 近現代においては、そのように制作された《制作者》の《作品》が直接《受容者》の手に渡るということはほとんどありません。大部分は《仲介者》が《受容者》と《作品》との間を取り持っています。いくらか長くなりますが、その説明も引用してみましょう。

 《仲介者》が媒介した《作品》を、《受容者》がなんらかの《規則》に基づいて消費するということを表しています。ここで重要なのは《仲介者》の存在です。私たちは、《受容者》すなわち「鑑賞者」とか「観者」とか呼ばれる人たちは、いつでも直接かつ先入観なしに《作品》を消費していると思いがちです。しかし、それは単なる思い込みにすぎません。なぜなら、例えば、私たちが《作品》を購入しようとするときには、画商や古美術商たちによって操作されている美術マーケットの存在を忘れることはできませんし、私たちが美術館の展示ケースや、歴史や美術の教科書の中で《作品》を見るときにも、学芸員や編集者の眼や、美術館や美術教育といった制度が担っているフィルターとしての機能―情報を操作する働き―を無視することはできないからです。美術館や美術教育は、画商や古美術商と同じように、《仲介者》として、《作品》を流通させ、《作品》と《受容者》との間の関係をコントロールしているのです。

 先程と同じようにこの説明を近現代の小説に置き換えてみるとどうなるでしょうか。
 完成した小説は、まず出版社の編集者に手渡され、編集者が出版すれば売れると判断すれば小説の内容に合った単行本のデザイン・装丁を出版デザイナーに発注し、単行本は印刷・製本され出版されます。また、編集者は出版社の営業にかかわる部署や小説家と相談して小説の売り方・宣伝の仕方を決めます。小説家はその方針に従ってエッセイを書いたりインタビューに答えたりして自作を解説することもあります。
 出版された小説の単行本は、書店に配本され、書店員は小説を分類し配架したり、宣伝POPを作って小説を読者の候補である客に薦めたりします。また、客は書店に来る前に雑誌や新聞に載った広告や批評家が書いた紹介文・書評を読んで小説を買いに書店に来たり、書店に貼られているそれらを見て買う小説を決めたりします。もちろん、出版される小説は新たに書かれた小説だけではなく、既に亡くなってしまった小説家の小説も同じように書店に並んで読者に手に取られるのを待っています。
 それらの小説へと読者を導くのは、たとえば新聞・雑誌、ネットのサイトなどに小説レビューを書く書評家や批評家です。批評家はもっと詳しく小説や小説家についての評論を発表し、どのような小説を読んだらいいか、どのような小説は読む必要はないか、という情報を小説を読もうと思っている読者(候補)に与えてくれます。
 また文学について研究している研究者は、小説が書かれた時代や小説家の生涯について調査したり、新たな読み方を見つけ出したりし、それを論文として発表します。もちろん、直接専門的な論文を読む読者は少ないでしょうが、研究の成果は小・中・高校で使われる国語の教科書や国語便覧などに反映されます。研究者自身がそれらの出版物の編者を務めることも少なくありません。
 それらの教材を国語の授業を担当する教員もまた児童・生徒と作品を結ぶ《仲介者》です。彼らは授業を通して小説の読み方を教え、また小説を生徒に薦めることもあります。
 この他の《仲介者》の役割としては、小説が取りあげる《対象》や《規則》をある方向に誘導するということがあります。それぞれ前者については「過去・現在・未来の人間や人間のように思考する生物の活動・生活」、後者については「登場人物の性格の一貫性やストーリーの辻褄、小説ジャンル毎のルール」と説明しましたが、これは明文化されたものではなく、またずっと変わらずにあるものではありません。その時期毎の有力な、発言力を持った《仲介者》たちが自身の小説観に従って決めている「空気」のようなものです。
 なので、影響力を持った《仲介者》たちの小説観にはうまくあてはまらない小説は不遇な扱いを受けるということもありますし、一方で同じ小説が他の《仲介者》には評価されてマニアックな人気を得るということもあります。
 それら全てに関わるのが《仲介者》であり、また《発注者》や《制作者》もまた《仲介者》の役割を担うことがあるというのがこの章でわかってほしかったことです。
 では、次章からは作者が《制作者》兼《仲介者》として、他の《仲介者》とどのような共犯関係を持つか、ということを説明していきましょう。

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