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会社を辞めてわかった、たぶん人生で大切なこと


■はじめに

1年前のこの日、人生で初めて会社を辞めた。いまや転職や独立なんて珍しいものでもないけど、自分にとっては人生での大きな決断だった。そういった大きな決断には付きまとう「変わりたいけど、怖い。」という感情、その葛藤に苦しんでいるのは、自分だけではないはず。この記事では、未来の自分のための備忘録と、過去の自分自身を含め「変化が怖い」と思っている人へのメッセージとして、この1年での気づきを残しておきたいと思う。

■「変わる」とは

「変わることは、何かを失うことであり何かを手に入れることである。」

どこかの偉人が言ってそうな言葉だが、この1年ではそのことを強く感じた。僕は、前職の会社では新卒から8年もお世話になり、不満らしい不満はなく、居心地の良さで言うとずっと勤め続ける人生があってもおかしくはなかった。でも、それ以上に見たい景色があり、1年前に「変わる」決意をした。この辺りは話すと長くなるので詳しいことは過去の記事を読んでいただきたい。でも、今でも鮮明に覚えているのは、当時は心の底から「変わる」ことがすごく怖かった。この心理は、行動経済学の世界でも「現状維持バイアス」と呼ばれ、どうやら誰にでも起こりえるらしい。人間は、手に入れたものを「失う」ことに強く抵抗するよう生来インストールされているようだ。

■会社を辞めて失ったものと手に入れたもの

当時を振り返ると、たしかに僕にも失いたくないがあった。安定した収入、社会的地位、築いてきた会社での立場や人間関係とか。実際に会社を辞めてそれらはすべて失った。わかってはいたけどこれはキツい。そして何よりもキツイのが、会社の外に出ると「何者でもない自分」を思い知らされる。想像以上に自分が無力であることに愕然とする。

でも、一方で手に入れたものもある。それは新たな「視点」。僕が欲しいのはいつもそうで、今まで知らなかった未知の世界、立場を知ることに強い興味がある。新たな「視点」を知ることで、自分の「ソト」に出る感覚がとても好きだ。

今回、会社を辞めたことで手に入れた視点で言うと、時間を持つ人の視点。例えるなら、村上春樹小説の主人公のような。恥ずかしながら高校時代からそのような生き方に憧れている。例えば、その主人公はたまに仕事しつつも、平日の昼間からプールで泳ぎ、ランチにはパスタを茹でて食べるみたいな、何にも依存せずしなやかに生きる、そんな姿にずっと憧れがあった。そんな生き方は自分の人生には縁遠いものだと思っていたが、意図せず夢が叶った(とてもハードルが低いけれど笑)。その他にも、会社員時代では得られなかったたくさんの「視点」が得られている。このあたりの詳しい話は追々書こうかと。

■この1年間での大切な気づき

前置きが長くなってしまったが、ここからが本題。タイトルにもあるが、この1年の中で、自分にとってある大切な気づきを得ることができたと思っている。その気づきとは、先ほど述べた「変化への恐怖」の原因である。僕としては、自らの経験からこういった感覚への自分なりの答えを紡ぎだす過程に意味があると思っており、自分自身なぜ変わることが怖かったのか、その原因を見出し書き残しておくで、誰かの挑戦や変化の後押しができれば嬉しいなと思う。

■「変化への恐怖」の原因

その原因はというと、自分自身も知らず知らずに陥っていた「答え探し思考」だと考えるに至った。つまり、「人生には正解があるものだ。」という心の持ちようが「変化への恐怖」を生むのだというのが自分の中ではしっくりきた。

自分自身、過去の人生を振り返ってみれば、「人生には正解がある。」という前提で生きていたことに思い至る。学校での勉強やRPGゲームなんかは「正しい」答えや道が必ずあった。選択肢の先には「正」と「誤」があって、わりとまじめに生きてきた僕は、必ず「正」を選ぼうとしてきた。知らず知らずに「正しく」生きなければならないと思い込んでいた。その思考が「間違う」ことに恐れを生み、いつも怯えながら、無意識に幾多の変化や挑戦を諦めてきたのだろう。つまり、この「答え探し思考」が「変化の恐怖」の原因だった。

■まとめ

昨今日本では、少子高齢化や様々な原因に伴い、多くのひずみが生まれている。例えば、年金2000万問題、経団連の終身雇用終焉宣言に端を発する、社会保障制度や雇用制度の崩壊の懸念などで枚挙に将来を不安視する声は枚挙に暇がない。現に、社会保障負担と租税負担の合計額の所得に対する割合である、国民所得比国民負担率は、この約50年間で25%程度から43%程度と約1.8倍になっている。つまり、所得の伸び以上に社会保障費が増えているなど、日本国民の生活は総じて年々苦しくなっているという統計もある。それでも、高度経済成長以降、日本の雇用制度自体は大きく変わっておらず、働き方改革による抜本的な変革はまだまだこれからといった様子。

そんな変化を求められている社会の状況とは裏腹に、「正解のない時代」だと多くの本などで多く言われるようになった。今、世の中の多くは、社会のひずみに違和感を感じ始めながらも、必死で「正解」を探してるように見える。その結果、「変わる」ことに不安で怯えている。今年大流行している『うっせぇわ』という楽曲が流行ったのも、そんな正解至上主義な世の中に窮屈さを感じる大人たちの共感を生んだのではないだろうか。たしかに、冒頭の「正しさとは?」のその言葉に一瞬ハッとする。でも、実際にはその「答え探し思考」がその人自身を苦しめている気がしてならない。もっと言うならば、「正しさ」はおろか、万物はその実体すらも現実にあるかは不確かなもので、存在するのは「認識」だけだと、釈迦も2500年前から言ってる。このあたりは、本筋から逸れてしまうので、ご興味ある方は『唯識の思想』(URLはコチラ)という本をぜひ読んでみていただければ。

■この1年での心境の変化

このように、僕自身も上記の気づきを得たことで心がすっと軽くなり、今は「変化の恐怖」がほとんどなくなった気がする。このことに気づけたことは、今後の自分の人生でとても意味があることだと感じている。人生はRPGのように正しい道があるとは限らないし、選ばなかった道を戻って選び直すこともできない。もともと正解なんてないのであれば、自分の思うままに生きよう、そんな風に思わせてくれた1年だった。

(参考URL)

■平成29年版 厚生労働白書 -社会保障と経済成長-(国民負担率(対国民所得比)の推移)https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/17/backdata/01-01-01-07.html

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