変わりそうにない、体罰という体育会系の指導癖

 広島の緒方監督が叩いてた、と聞いてため息が出ましたね。ヤッパリ、指導を受けた側の体験から思わず手が出てしまったんだろう、と。

 でも、私自身も部活などでやめる原因になってますが体罰は恐怖でしかありません。確かに、そうした恐怖心からそうしないと怖いな、そうせざるを得ないな、といったやらせることには成功するかもしれない。でも、そこには自主性はない。仮にそのあとで正しかったと分ったとしても、です。

 そもそも、こうした体罰が横行してきた本当の原因を考えた方が良い。教育する側の人材が足りてない状況から、キチンとしたライセンス制度による質の安定的供給、といった環境が整備されずに現場の工夫、という名のもとに見逃されてきた。それだけのことでしょう。

 実際、こうした状況をやめさせるためにサッカーではカテゴリ別のライセンス制度が西欧に倣って導入されている。本来なら、もっと競技人口が多いところであれば、先行者として整備されてきても良かった。それができなかったのは

過去の貢献から、現状が既得権化したから

じゃないかと思っています。

 だから、現在高校野球界での変化というものも

野球以外のスポーツからの圧力

が背景にあることは間違いない。これは良い傾向で、悪いことではない。人の変化や改善のきっかけは、危機感からのモノが多いので。

 ただし、大事なのはこれが各地方でバラバラに展開されないことが大事。高野連は地方で危機感の差がある動きに対して単純に統一しようとしている、という感じに見受けられますがそれは間違っています。矛盾するようですが、全体の統一に固執するあまり、それが組織内の権力維持とすり替わりかねないからです。

 私自身も部活において見てますが、いわゆる体育会系というのはメンタル重視の根性論であることは間違いないです。そこに理論の根拠がないことが多かったので、私の様に理由がシッカリ明示されれば納得し、頑張ろうと思えるタイプからすれば混乱し、失望し、やる気を失う。やらないと単純に

根性なし

で片づけられる。なぜそうなったのか?への検証が全くないまま。だから、こりてやめてしまいましたし。

 こうした形で心ならずも嫌になって辞めた子、決して少なくないと思います。最近は義務感でやらせよう、という事は減りつつあるかもしれません。だが、かといって

楽しむ=楽(ラク)をする

という意味ではない、といった真意の理解を深める努力は必要です。じゃないと、単に楽するでは全力でトレーニングや試合に取り組む、という前提が崩れますからね。ただ、これまではこうした全力姿勢が

当たり前

の名のもとで根拠が示されてこなかったか、動機づけが薄かった。こういう部分はどのスポーツ界でも今後、必要なことじゃないかな?とは思っています。

 最後にプロ野球の体罰の話に戻しますが、緒方監督の行為は言い訳無用の重大な行為です。なぜなら、

プロの監督でさえ体罰ヤッパリするんだな

と思われたら、それ以下の指導者たちの根拠として悪用される。私がオーナーなら即刻処罰してますよ。謹慎くらいはさせると思う。それくらい、やっちゃいけないことなんですよね。ホント、心から反省してほしい。そして二度と、やらないで。緒方さん、頼むよ?

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