見出し画像

Arigato. Michael Peoples. #武

こんにちは、Baraです。
1月25日、昨シーズンまでDeNAに在籍したマイケル・ピープルズ選手のマリナーズ傘下AAのArkansas Travelers 投手コーチ就任が球団公式からリリースされました。それに伴い11年間の選手生活のユニフォームを脱ぐこととなりました。

勝手ではありますが、彼のこれまでのキャリアの簡単な振り返りや個人的な思いを書き留めておこうと思います。

1.Clevelandでの8年間、横浜での3年間

2012年、ドラフト14巡目でCleveland Indians(現 Guardians)から指名されました。

166試合 48勝 44敗 4.16 779.2回 577奪三振 (通算8年)

特筆すべきは2019年です。25試合に投げ、144.2回、10勝を記録し、チームの優勝に貢献しました。そうした実績を評価され活躍の舞台を日本に移すことになります。

DeNAには2019年のオフに入団し、3シーズンを過ごしました。

31試合(先発15試合 中継ぎ16試合)
5勝 8敗 88回 4.91 78奪三振(通算3年)

入団当初は先発想定でしたがチーム事情に応じて中継ぎをこなしたりとラミレス、三浦両監督の采配に応えてくれました。
特に2021年シーズンの後半はぎっくり腰から復帰すると、11試合に投げ、16回 1.13 16奪三振 3四球 WHIP0.56 とBクラスが濃厚となり、ブルペン事情の苦しいチームにおいて完璧な仕事を果たしたと言ってよいと思います。話が飛躍しすぎかもしれませんが、今年のDeNAの躍進の象徴となったブルペン陣も昨年モップアップに徹した彼の存在があったからこそ過度な肩肘の消費をせず今年の活躍に繋がったと言えるかもしれません。

個人的に思い出深いのが2021年オフの出来事です。
当時、DeNAがクリスキー選手との契約合意を発表すると同日にNPBから発表された保留者名簿にピープルズ選手の名前はありませんでした。つまり自由契約となってしまいました。
しかし年が明けてもなお、急速な感染拡大を見せる新型コロナウイルスの影響で政府の水際対策が2月末まで延長されると外国人の新規入国が制限されてしまいます。つまり新規入国のビザ申請の対象である新外国人選手補強に暗雲が立ち込めます。
そこで白羽の矢が立ったのがピープルズ選手でした。1月21日にDeNAとの再契約がリリースされると2日後には来日、春季キャンプにもスタートから合流するなど3年間に渡って彼が見せたチームへの献身性は素晴らしいものでありました。


2.彼への感謝

ピープルズ選手のファンになったきっかけは様々あるのですが1つ印象的なエピソードを挙げます。

テキサス州生まれで、地元のレンジャーズを愛してやまない祖父の影響で白球を握った。父は米プロフットボール、NFLの元選手で、けがのため一度も公式戦に出場せず引退。その夢を引き継ぐ形で、17歳までは野球の投手とアメフトのQBとして活躍した。ただ、体重70キロと線が細く、NFL入りは困難だった。メジャー通算で最多5714奪三振を誇る地元の英雄、ノーラン・ライアン氏のような豪腕になることも諦めた。「いくら練習しても力強さは身に付けられない。投球術を学ぶ必要があると気付いた」。生きる道を探り続けてきた。
(中略)8シーズン過ごしたマイナー時代はメジャーに昇格できなかった。だが、日本への移籍を大リーグ再挑戦へのステップとは考えていない。「先を見据えて考えるタイプだけど、ベストを尽くせばおのずと未来は開ける。メジャーに行けないまま野球人生が終わってもいい」

突然ですが僕って全然大したことない人間なんです。顔はかっこよくない、身長は低い、どんなに頑張っても第一志望には合格できない。そんな人間です。野球をやってても高身長のチームメイトが速い球を投げたり、遠くまで飛ばしたり、そんな姿を見て自身に対して劣等感を抱き続けたティーンエイジャーでした。
だから彼の生き方がとても素敵に思えました。もしかしたら彼もこれまでの人生の過程で思い描いた未来と現実の乖離に悩んだ時期があるかもしれません。それでも自分自身が出来ることを地道にこなし、Michael Peoplesという1人のアイデンティティを確立した。そんな生き方にとても惹かれました。
アシュリー夫人と寿司を手作りしたり、家では靴を脱いだりと日本の文化に適応しようとする真面目さ、SNSで積極的にファンと繋がり、時には誕生日を祝う親切さ、そして先程からも述べてきたチームへの献身性。それら全てが彼らしい「武士道」を体現した3年間だったと思います。
そんな彼の「武士道」は僕が将来教員を目指す1つの動機にもなっています。必ずしも成功ばかりではなかった人間の立場であるからこそ、現代の変化の激しい社会において問題を抱えがちな子どもたちに寄り添い、アイデンティティの確立に貢献したいと思っています。


3.最後に

先程の神奈川新聞の記事(来日1年目)ではこんなエピソードも紹介されています。

将来、指導者になることを視野に入れ、異国の野球観を学ぶことに強い関心もあった。

Clevelandでの9年間、横浜での3年間の選手生活を経て指導者になるという目標を彼は果たしたのです。退団してから今日までどのような日々を過ごしたのかは僕には分かりません。ですが引退し、指導者になるという彼の決断をリスペクトしています。きっと彼のこれまでの豊富な経験が未来のMLBプレイヤーを手助けしてくれるはずです。

満員のハマスタで直接「Arigato」を伝える機会は無くなってしまいましたが、ピープルズ選手を3年間応援できて僕はとても幸せでしたし、そのおかげで自分のことも少し好きになれました。
日本を愛してくれたピープルズ選手、アシュリー夫人のこれからの成功を心から願っています。
長くなりましたが最後までお読み頂き、ありがとうございました。Twitterのアカウント(@Peeps45_bay)の方もフォローして頂けたら嬉しいです。

Arigato.

・出典


・ヘッダー画像
以下の動画より引用

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?