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"なんでもないただの道が好き"への想い


みなさん、こんばんわ。コハラタケル(@takerukohara_sono1)です。

2018年の終わりを迎える前に、これだけは話さなければいけないと思い、この文章を書いています。

今回のnoteは僕が写真を撮り続けている理由の"核"となる部分です。

少し長くなりますが、最後まで読んでいただけますと幸いです。


人間の美しさも醜さも経験した東日本大震災

今でこそフリーのフォトグラファーとして活動している僕ですが、以前は建築関係の仕事をしていました。

地震発生時は東京にいて、数日後に上司から現地(宮城県)で仕事をして欲しいと頼まれました。

当時は現地の復旧の目処などがまったくわかっておらず、一応、長期出張という体裁はとっているものの、上司からはいつ戻って来れるかわからないと告げられました。

僕は「自分が今、やっている仕事が少しでも被災地の方々の役に立つのであれば」と思い、地震発生後から約3週間後、現地に乗り込みました。


被災地で仕事と聞くと、すごく大変なイメージを持つ方もいると思うのですが、僕の仕事は直接的に地震の被害に関わるような仕事ではなかったので、想像よりも忙しくはありませんでした。

休日も確保されていたので、ボランティアにも参加していました。

僕は現地でのボランティア活動などを通して人と関わっていく過程で、人間の美しさも醜さも見てきました。

東日本大震災に関しては多くのことは語りません。地震発生後、現地で暮らしてはいるものの、僕はあくまで外部から来た人間。

小さい大きいに関わらず、地震のような天災に関して当事者以外の人間は多くを語らないほうが良いと思っています。もしも語るのであれば、圧倒的な情報量と時間が必要でしょう。

もちろん、語っている人たちを否定しているわけではありません。むしろ、すごいと思います。かなりのリスクを背負うことになりますし、発言することはすごく勇気がいることです。


結局、いつ戻って来られるかわからないと言われていたのですが、交通機関の復旧が予定よりも早く、僕の業務は必要ではなくなりました。

約10ヶ月間を宮城県で過ごし、東京に戻ることになります。


わかっていても日常を大切にするのは難しい


「結局、僕は向こうの地(東北)でなにを学んだんだろう……」


定期的に上記のことを自問自答しては、いつも返ってくる答えは同じでした。

僕が出した結論は"日常を大切にしなさい"ということ。

でも、これって昔から言われていることですよね。

とくに僕は被爆地である長崎県出身なので、日常を大切にしなさいという言葉はよく聞いていました。

でも、人間って日常を大切にしなさいって言われても、そうそうわかるものではないと思うんです。

今もこの世界のどこかで飢餓で苦しみ、命を落とす子どもがいると言われても、お腹いっぱいでもう食べれないとか言って、ご飯を食べ残したりすると思うんです。


「当たり前のことは当たり前すぎて大切にするのが難しい」


人間ってそういう生きものだと思うんです。



絶景もなんでもないただの道も、どちらも素晴らしい

ある時期、SNSでこういう発言をよく目にするようになりました。


「絶景で撮影できる人たちが羨ましい」

「東京はやっぱりいいな。地元じゃこんな良い写真撮れない」

「ロケーションが良いところは素敵ですね」


僕はこういう発言を読んでいるときにイライラしていました。

「そうじゃないだろ」って心のなかで思っていたんです。

でも、なぜイライラしているのか、自分のことにもかかわらず根本的な理由についてはわかりませんでした。


実は、なんでもないただの道が好きというハッシュタグを作ったとき、なんで自分がこのハッシュタグを作ったのかわかりませんでした。

ある写真を投稿しようと思ったとき、ただ、なんとなくポッと頭に浮かんで、このハッシュタグを付けました。

それから #なんでもないただの道が好き を使うようになり、いろいろ振り返るうちに「そうか。あのとき(東日本大震災)の経験が元になってるんだ」と気づくことができました。


当たり前すぎる日常を大切にするのは難しい。でも、写真にすれば少しは大切さに気づくことができるかもしれない。

通勤、通学路、スーパーへ買い物に行く道

僕らが当たり前のように使っている日常の道は想像以上に特別に満ち溢れていて、見る側が意識すれば絶景スポットにも負けないぐらい良い写真だって撮れる。

もちろん絶景ロケーションで撮影している人たちを否定しているわけではありません。僕だって憧れはあるし、実際、撮りにいくことはありますから。

でも、ふつうの道だって見方を変えれば決して絶景に負けていないと思うんです。

#なんでもないただの道が好き が広まれば、みんな近所の道でも写真を撮ってくれるかもしれない。

今回、僕が話しているような真意に気づかなくても、知らなくても、写真さえ残してくれれば日常が少しずつ変わっていることに気づくかもしれない。

そうすれば「なんでもないただの道 = 日常」の大切さを忘れずに生活できるかもしれない。



最後に関東でも有数の絶景スポットである葛西臨海公園の写真と、僕の家から歩いて5分くらいの道で撮った写真を見せます。


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どうでしょうか。

僕はどちらも負けないぐらい素敵な景色だと思います。

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