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命の恩人との再会

 何が悲しいのか、仕事を辞めてまた南米・チリに来てしまった。パタゴニアと呼ばれる、南米大陸南部の玄関口として知られる港町・Puerto Montt(プエルト・モント)を目指している。プエルト・モントまで13時間の長距離バスに揺られて、9時間が過ぎた。7時になるというのに、まだ外は真っ暗。日本の1日が長くなる中、南半球の1日は短くなっている。日本を出発してから無休憩でここまで飛ばしてきた。髪の毛は皮脂で毛束ができそうだ。

 プエルト・モントでは、サーモンの養殖会社に勤務するホルヘ・ウィルソンという人物と落ち合うことになっている。カヤックでの旅行中、遭難しかけた私を船に引き上げてくれた、命の恩人。サーモンの海面養殖の現場監督をしている。

 チリ滞在の目的は、サーモンの養殖と、それに携わる現地の人々について可能な限り多く知ること。その手段として、実際にサーモンの養殖現場を視察し、現地の人々とともに労働に従事する。ホルヘ氏と落ち合うのは、チリ滞在の計画を共有するためだ。サーモンの養殖と一口に言っても、卵を孵化させてから成魚を水揚げするまでには、いくつかの段階がある。どの現場にどの程度滞在するかは、すべてホルヘ話し合ってからはじまる。

 ホルヘが務めるのはカナダ系企業、Cooke Aquaculture Chile。チリにとってサーモンの養殖は銅の生産に次ぐ第二の産業になっている。すべての養殖会社について知ることは途方も無いが、Cooke Aquaculture Chile社を通して養殖に携わることで、その輪郭をある程度把握できると考えている。

 なぜ「人」に焦点を当てるのか。思い返せば、ホルヘという人物が私を助けたという出来事が大きな分岐点だった。それまでのカヤック旅行の行程では、サーモンだけでなくムール貝といった海産物の養殖場を嫌という程目にした。なぜ嫌かといえば、旅行の目的がパタゴニアの自然を満喫することだったからだ。視界に次々と入る人工物の数々には、しばしば落胆させられた。それら海産物の大きな輸出先の一つに、日本があることも知っていた。食料を輸入しつつも、その産業が地元の事前景観を損ねることに嫌気をさした身勝手な旅行者が、そこにいた。それががどうだろう、最後にその命を救ったのは、その海産物の一つであるサーモンを養殖する男たちを乗せた船だったのだ。

 それ以来、チリにおけるサーモンの養殖は、私にとって他人事ではなくなってしまった。チリのサーモン養殖は、海洋汚染や食品としての安全性がしばしば指摘されてきた。日本においてもそれらについて言及する記事は多く、ネットで検索すれば山ほど出てくる。もし、私を救ったのが地元の環境保護団体であれば、今回こうしてチリに足を運ぶこともなかったかもしれない。旅行を終えて「サーモンの養殖、あれは悪だね」と一括りにしていただろう。ただ、運が悪いことに、救いの手を差し伸べたのはサーモンの養殖夫たちだった。朝から何も食べてない旅行者に、自分に配給されたリンゴやサンドイッチ、炭酸飲料を分け与えた。生死を分けたかもしれない彼らについて、もっと知っておかなくてはならない。そしてその上で、消費と環境についてより深く考えていこう。その意識は、船に引き上げられ、スカスカでこの上なく美味しいりんごを食べた時に芽生えたのかもしれない。

 ホルヘ氏や、そのほかの養殖夫たちは元気だろうか。プエルト・モントに到着次第、ホルヘに連絡を入れることになっている。空が白けてきた。

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