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読書感想文 #1


『人は、なぜ他人を許せないのか?/中野信子』

を読んで 

1 正義の制裁


 著者 中野信子さんによれば、学校のいじめ、職場の愚痴、SNSの暴言には共通する事柄があるという。
 それが「正義の制裁」である。
 「正義の制裁」とは何か。

自分や自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく、当事者と関係があるわけではないのに、強い怒りや憎しみの感情が湧き、知りもしない相手に非常に攻撃的な言葉を浴びせ、完膚なきまでに叩きのめさずにいられなくなってしまう(省略)「許せない」が暴走してしまった状態です。
本書p5より


 本書は、そのことを脳科学の視点から解明していくものとなっている。
 著者はいう。

 他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになるのです。
本書p5より

 冒頭に列挙した「学校のいじめ、職場の愚痴、SNSの暴言」これらはすべて、学校の先生や親から「よくないこと」として教えられる。子どもが生まれたら、もちろんそう教える。
 私たちは、「よくないこと」と知っている。
 それなのにどうして、全国各地どこでも、いつの時代でも、「制裁」してしまうのだろう。

 著者の説明で合点がいった。
 私たちにとって「学校のいじめ、職場の愚痴、SNSの暴言」は、

 快楽なんだ。

2 こんなとき制裁してしまう


 これをもとに、筆者自身の過去を考えてみる。
「タバコや酒でもないのに、こんな●●依存みたいなの、ボクの人生にあっただろうか。」と思う。

 さらに読み進め、著者の例をもとに自分の過去の経験をよ〜く振り返ると、意外と出てくる。
 メディア、ビジネス、政治など、身近なところで出てくるではないか。

 例えば、本書120〜121ページで、「児童虐待のニュース」の例を出し、

「ひどいやつだ、許せない!こんなやつはひどい目に遭うべきだ、社会から排除されるべきだ」と心の内でつぶやきながら、テレビやニュースを見て、自分には直接の関係はないのに、さらなる情報を求めたり、ネットや SNSに過激な意見を書き込んだりする行為。これこそ正義中毒と言えるものです。
本書p 122より


 という。

 筆者にとって最も身近な「正義の制裁」は、これだと思う。
 テレビ・スマホ・PCでニュースを見ている時、著者の例と全く同じことをしているではないか。

 前述したp5の引用「自分や自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく、当事者と関係があるわけではないのに〜〜〜」に当たる部分が、正にコレである。

 筆者の場合、例えば「児童虐待」「貧困格差」「芸能人の不倫」こんなニュースをみると、ネガティブな感情が湧いてくる。それが一瞬で怒りに変わる。

 「うわ💦まじで。。」→「💢ふざけんな!」
 この間、ものの1秒である。



 そして、その言論をすかさずSNSで呟きたくなる。


3 わたしの制裁 


例えばこんなこと。
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 最近、コロナ渦で、学校教育のICT環境整備が急速に進んだ。
 筆者は、休校直後(2020年5月頃)にオンラインの研究会で、ZoomやGoogleソフトを使っていた。
 今も続けているので、学校でもコロナ明けにガンガン使えると思った。
 しかし、現場の動きはやはり鈍かった。全国的にも中々整備は進まない。
 すると、「整備が進まない」というニュースがたくさん流れてくる。これを見て、「あーだこーだ言ってないで、オンラインを取り入れろよ。こっちは準備万端だぞ。」
 なんてSNSで呟いたのである。
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 なぜ、衝撃的な「児童虐待」「貧困格差」「芸能人の不倫」より「教育」なのか、と考えると

 シンプルに「教育」のことをよく知っているから。

 それだけだ。
 ちょっぴり人より知っているからこそ、教育の「理想の在り方」というものが確立されてしまう。
 知っているから、知らない人より意見しやすい(と勝手に思っている)。
 本当は、投稿したって、呟いたって、どうにもならない。
 せいぜい筆者の友達100人程度がチラッと見て、
 「何言ってんだコイツ笑意識高っ。」
 と思うだけだろう。


 今、その時の心境を思い出すと、こんな比率になる。
「学校環境が整備されなくて悲しい」という感情10%
「学校環境の整備が進むように願っている」という感情20%
「学校環境〜願っているという感情を発信したい」という感情70%
だったように思う。

 つまり、悩み、願い、悲しみの「吐き出し」(30%)は二の次である
発信したい=意見を述べたい(70%)が一番多い。

 無意識レベルで、快楽を感じていたのだろう。
 そもそも、筆者はふだん、「本当に悩んでいること(弱み)」をSNSでは発信しない。信頼のおける人でも、LINEでさえ相談しない。
 リアルで会うか、オンラインでつながる。
 言わずもがな、「感情を吐き出したい」のが目的ではないのだ。

 筆者の無意識レベルでの真の目的は、多分こうだ。

 「みんな見て!このニュース、ひどいでしょ。排除しようよこんなの。」
 と叫んで、気持ちよくなること。


4 じゃあどうする?

 本書では、その対処のためのノウハウ・概念が記載されている。本が売れなくなるから、あまりネタバレは書かないようにしよう。

 筆者はそのノウハウを使いこなせていなかった。というのが正直な感想だ。そのノウハウに近い概念、「リフレクション(振り返り)」の実践家だというのに。
確かに、若かりし頃よりは明らかに人生は好転している。リフレクションによって「自分の傾向やクセを知り、生活に落とし込む意義」は捉えているつもりだ。

 しかし、「正義の制裁」は、ワケが違う。
傾向やクセなんて生易しいものではなく、人間の遺伝子に刻み込まれたシステムなんだと思う。

 だから、本書の対処方法を読んで、「態度そのものを組み替える」か「脳を鍛える」しかない。

 とても良い気づきを得た本だった。





#人は 、なぜ他人を許せないのか?
#中野信子さん
#読書の秋2021


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