Takeshi Igawa

妻子持ちいちサラリーマン。14歳の時に全身性エリテマトーデス(SLE)を発病し、40歳…

Takeshi Igawa

妻子持ちいちサラリーマン。14歳の時に全身性エリテマトーデス(SLE)を発病し、40歳で再燃を経験。特に再燃時の、その稀有な体験を綴ることで誰かの役に立てるならと思い、ここに闘病手記を掲載することにした。

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  • SLEである毎日

    SLE人生も31年を過ぎ、色々あったその経験が様々な人の参考にでもなればと思い、書いていきます。

  • 目醒め

    難病であるSLE(全身性エリテマトーデス)とともに生きてきた若年時代、責任も増した壮年時代に、しかも最悪な形で訪れた再燃。そして、自分を取り巻く人間愛、人生についての気づき。

最近の記事

SLEと眠り

お仲間さんたちの悩みに多い「不眠」 私は、多分悩まされるほどの不眠は、再燃前のボロボロの時以外感じたことはない。 夜中まで脳が覚醒状態で、眠りについても尿意で起きてしまったり、そもそも眠りが浅くて、夢の中で仕事を片付ける計算をしていたり、そんな経験をしたのは、人生を通しても再燃前だけ。 眠剤はその時期と入院中に使ったが、それっきり。 (この時の状態としては、不安症、興奮状態、過労、発熱、唾液減少、舌荒れ、頻尿、プレドニン12mg程度) 再燃の治療後、自宅療養の間は、夜1

    • SLEと仕事

      このテーマはSLEなどの難病患者にとって、とても大きなものであると思ってる。 ひと口に仕事と言っても、そこに求めるものは色々で、世に言う成功例が誰にとっても正解ではないのは確か。だから、日々過ごしながら、どんな事を書こうかと時々思い出しては考えていた。 そして、面接での一コマである事に気付いたので、この事を書こうと思う。 「難病であることを伝える」 生活を左右する採用面接で、自分に慢性疾患があること、つまり弱み、ハンデ、痛い所を自ら白状するのには勇気がいる。普通に考え

      • 朝起きられないなってこととか

        SLEになってから、寝起きの背中がバキバキに固くて起きるのも一苦労だった時期がある。 病気になる前からそんな事あったのかは最早覚えてない。 伸びをすると気持ち悪いぐらい、本来と意味は異なるけど文字通り神経を逆撫でする感覚。 動き出すと何とかなるし、楽しい時は忘れるんだけど、寝ると固まる。 この感覚、最近はご無沙汰。 朝は5:30には毎日起きて、すぐ犬のご飯をあげて、散歩に行くのが日課。 つまり軽い運動を毎日欠かしていない。 最近は始業が遅くなった事もあり軽めの筋

        • SLE人生相談

          タイトルの通り、SLEのまま社会に出てまあまあ時間が経ってるので、なったばかりで不安な方や落ち着いてるけど将来に悩む若い方の質問に答える事も出来るのでは、と思って書いてみました。 質問のある方は、コメント欄、DM、Twitter@IgawaTakeshiにどうぞ。 気長にいつでもお待ちします。 難病以外のことに答えるのは私は不適切だと思うので、お受け取り出来ません。 以下、私の略歴です。 SLE30年越え。 病気になりたての思春期は棒に振ったようなもんだった。 でも2

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        • SLEである毎日
          7本
        • 目醒め
          34本

        記事

          わすれる

           ふと思った  許すことと 忘れることは 似ている  違うけど似ている  14歳でSLEを発症した時、自分の身の回りに起きた大きな変化、それはギターに触れた事だけではなく我が家に犬が来た事だった。  ラブラドールレトリーバーの子犬をブリーダーから買ったのだ。私が他の人のように好きに外で行動できない為、両親の計らいもあったかもしれない。単に何となくそういう機運が高まっただけだったかもしれない。何れにせよ、うちに犬が来た。  幼少期、シドニーでそこら中に放し飼いされ

          自己免疫疾患と腸

           こんな研究成果が2012年に理研から出ていたらしい。  何故私の出会った医師たちは、積極的にこの話を取り上げなかったのだろう?治療法に取り入れてみたりしないのだろうか?腸内改善なんていくら試してみても、本命の化学療法に対する害悪も無いだろうし。今までにも整体院で、「それは腸です、サプリがあります」とか眉唾な事を言われたり、ネット上で素性のよく分からない方が断言しているのを見ることはあった。でもこうして、かの理研ですら出していたとは、知らない自分も勉強不足だったと言わざるを

          自己免疫疾患と腸

          「過去の自分や自分の周囲の人々に教えることが出来たら」

           毎日の通勤中、そんな考えがふと頭に浮かぶことがあります。しかも、一度ならず何度も。それは突然やってきます。  色んなことを考えます。このSLEという病気と出会わずに済ませてあげられるアドバイスを。  と言っても、原因が一つ特定出来るものでもないから難病なので、そのアドバイスが解決策になるのかどうかは分かりません。  でも考えます。  そして、いつも同じ結論に辿り着きます。  「もし、あの時SLEにならずに健康に暮らしていたら。きっと違う趣味を持って、違う学校に行っ

          「過去の自分や自分の周囲の人々に教えることが出来たら」

          難病的サバイバル人生

          〜はじめに〜 手記を書き終えてから、もう1年半程。 中枢神経ループスから立ち直って退院してからは、3年ちょっと。 再燃入院から3年半。 SLEと診断された所まで遡ると30年が経過した。 手記では、思春期の頃にSLEを宣告されてから必死に生きて、その結果、死の一歩手前の悲劇に見舞われたが奇跡の生還をして、穏やかな日常を取り戻した、そんな男の人生について書いた。 この一連の物語は紛れもなく貴重な体験談だが、同じ患者にはもっとリアルな何かを見てもらった方が良い、そんな事を日々

          難病的サバイバル人生

          「だから」を「でも」に変えてみる

           このnoteを書き始めた動機は、再燃時の記録、その経験のシェアだったので、それ以外のことを書き続けるつもりは無かった。だが、このnoteの公開をきっかけにTwitterでシェアする事を考えて、そこで多くのSLE患者、難病患者の方々と交流することが出来るようになった。  日常的なやり取りや沢山の方の日々の呟きを見るにつれ、自分自身、生き抜く中で自然と出来上がってきた独自の思考法があることに気がついたので、ここに書いてみることにした。(Twitterではtoo much!)

          「だから」を「でも」に変えてみる

          目醒め(Appendix)ー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とストレスについて

           目醒めを書き終えた後は、基本的にnoteで発信することは無くなるだろうと考えていた。だが、ふとSLEとストレスの関係について考えた時、自分では納得のいくロジックに到達したので書くことにした。  そもそも、私は14歳で発病してから40歳になるまで、SLEについて敢えて調べる事も無かったし、SNSが世に出た後も同じ病を抱える人々と繋がろうとも思わなかった。何故ならば、この難病と向き合って、わざわざ自分が難病患者である事を強く認識する事が嫌だったからだ。そこから距離を置きたかっ

          目醒め(Appendix)ー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とストレスについて

          目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(33)

          <2018年5月>  再燃によって13kg痩せてしまった身体を自宅療養の3ヶ月弱の間に元通り以上に戻した私は、クローゼットからお気に入りの極細のスーツを取り出した。ステロイドの副作用という言い訳だけでは済まされない位にたっぷり贅肉を蓄えてしまったので、何とか手足を通したがボタンを留めることは最早不可能だった。  職場に復帰する前日、本社で直属の上司と面談を行った。半年近くも離れていた会社を前にした時、目頭が熱くなった。  上司と会う直前までは、脳炎にまで発展して記憶障害

          目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(33)

          目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(32)

          <2018年4月>  いよいよ運転の実技を審査される段階となり、まずはシミュレータを受けた。若い頃の記憶が呼び起こされた。この試験はいわゆる危険回避がテーマで、有り得ないバイクの横入りや歩行者の無茶な横断を予測して、事故を回避する訳だ。その記憶がきちんとあった私は、まず難なくこの課題をクリア出来た。あの平面的な絵を見ながら運転し続けるので、多少胃酸が込み上げる様な感覚はあったが、ただそれだけの事だった。  予想通り結果は問題なく、次は1、2週間程の間に教習所での実地試験を指

          目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(32)

          目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(31)

          <2018年4月> 「ちょっと時間がかかり過ぎている様です」  とても面食らった。いよいよリハビリが終了するに違いないと、高をくくっていたからだ。  総体的に私の正答率は悪くなく、元々の能力を評価される様な結果だったのだが、唯一回答に時間が掛かり過ぎていた所が見られて、その点で通常の平均値より劣っていたと説明された。特に後半になるとパフォーマンスが落ちるという事だった。  対して私は、自分が負けず嫌いで、本当は分かっている筈なのだから、簡単には投げ出しくなかったと説明し

          目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(31)

          目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(30)

          <2018年3月>  待ちに待ったリハビリが、本格的に始まった。これまでソーシャルワーカーとの面談、主治医の初診とあった二度の通所では殆ど何の進展もなかったが、いよいよ本当のリハビリのステージに入ったのだ。  まず最初に受けたのは心理の検査だった。心理と言っても、TVや映画で観たり、心理テストでイメージする様な性格行動パターンを探る様なものではない。脳に損傷を受けている場合、理解力、判断力、記憶力、注意力、集中力などの低下が起こる事があるため、知的な刺激を与えて、それに対

          目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(30)

          目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(29)

           妻たち一行が自宅に到着して、一番にドアを開けたのは義母だった。私の車が既にあるのを見て驚きながら、私の母がもう戻ったのかと聞いてきた。  私自身で取りに行って運転して帰ってきた事を話すと、何してるのかと私の行動を否定した。続いて入ってきた妻も義父も、驚きとも呆然とも取れる様相で、溜息をつきながら私を見据えていた。 「何がダメなんですか」 「別に俺、免許剥奪された訳じゃないんだよ?」 「別に違法でも何で もないし!」  私は、苛立ちを隠せずに反論した。  呆れ顔の妻

          目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(29)

          目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(28)

          <2018年3月>   ついに待ちかねていたリハビリセンターでの初診の日となった。簡単に入院の経緯と現状を確認する質問を医師から幾つかされ、意思疎通などは問題無いが、文字の書き取りや暗算などが即座に出来ない状態になっていた事、とは言え、ドリルを続けており、徐々に記憶が蘇っていく感覚がある事などを伝えた。また、傷病手当の支給が遅れていることからも、早く復職したい意向を伝えると、流れとしては、数回に渡って心理テストや知能テストの様な事が行われ、運転のリハビリの許可を与えられるか

          目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(28)