目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(15)

<2017年12月>

   娘の三歳の誕生日だった。妻や家族の皆が私の見舞いに行くと、私はミトンの手袋に続いて腹のあたりに拘束ベルトをされていたという。 前日の夜から誕生日プレゼントを買いに行かないとと、落ち着かなかった為だと説明されたらしい。更に、大部屋に移されて環境が変わった事で少し混乱もしていた様で、”今は絶食しているから食べられない”、”天井にパンダ”等と、意味不明な事を連発して、看護師たちも困惑している事を伝えられたという。私にも、この辺りの記憶は何となくあり、まず、絶食については、何とかして検査をやり直してもらわねば、つまり検査を正しく受けられなかった、そんな挫折感に似た気持ちで、私の頭の中は一杯だった事を覚えている。何故だか仕切られたカーテンの柄を数えて、予定されていない検査までのカウントダウンをしていた。

その検査とは、ガンと思い込んだ時の胃カメラであったり、神経内科に行って治療してもらう事であったりと漠然としたもので、そのもの何という具体性は無かったのだが、その為には絶食しておかなければいけないという連想イメージが、脳の中に深く刻まれていたのだろう。だが、私は何度もそのプロセスを失敗してしまっているかの様な、そういう危機感?妄想?を何故か持っていた。要は、ここまで悪化するまでの自分の取ってきた過程に対して、後悔の念がとてつもなく強大だったのだろう。
 そして、パンダについては、きっと私は天井にあった空調の排気口かスピーカーだかが三つ穴の形をしていた為に、パンダと思い込んだのではないかと思っている。しかも、その妄想には、きっと当時テレビのニュースでひたすら流れていたであろうパンダの子供、シャンシャンのニュースが大きく影響していたであろう事も想像できる。

 ただその日は、しっか りと私が妻の名前を言う事が出来て、小さな娘もプレゼントとして貰ったぬいぐるみを私に触らせて嬉しそうで、少し和やかな時間を楽しめたと、妻の日記に記録されていた。更には、リハビリ担当者の支えがありながらも皆の目の前で立ち上がって歩く姿を見せる事が出来た様だ。二週間ぶりにベッドから出て立った私は、まるで棒の様に手も何もかも真下にピンと伸ばして、硬直して立っていた。私はこの時、自分が地に足を着けているという感覚は無く、リハビリ担当者に、足がついていないからやっても意味が無い、そんな事を話した(つもりだった)。いくら立つ動作が見られたとはいえ、きっと妻を始め家族は、私の言動その姿から、一層不安な気持ちにかられたのもまた事実だろう。

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 案の定、その数日後に妻が私を見舞いに病室に入ると、私のパジャマもシーツも何もかもビショ濡れで異臭を放っていたという事だった。私に尿が漏れている事を伝えると、「え?汗じゃないの?唾液の薬飲むと異常に汗かくから」と、暢気な事を言っていたのだと。
 大部屋に移ってからは、尿を取る管を既に外されていたのでオムツをつけられていたが、自分の尿意を感じることが出来ず、溢れた事を看護師に伝える事も出来ていなかったのだ。ましてや、唾液を誘発する薬を飲んでいたその記憶は前のかかりつけ病院でのものだったのに、事実関係をデタラメに繋げてしまっていた。妻がその時、その後の介護生活での苦労を想像して、またも不安という暗闇のドン底に落とされたのは言うまでもない。

〜次章〜史上最悪のホリデー


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