目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(6)

<社会人となった2000年代まで>

 高校時代は、SLEを気にして運動などは控えていながらも、それなりに充実した生活を送れたが、やはり多くの事を我慢していたことは確かだ。高校受験同様に、大学受験も自学自習を中心に遂行し、志望通り東京六大学の某校に合格した私は、軽音楽部でまた素晴らしい仲間たちに会い、大学生活では、好きな音楽に没頭し、深夜まで飲み歩き、さすがにタバコはSLEへの影響を考えて避けたが、充分に青春を謳歌した。
 SLEが、免疫と密接に関わる病気である以上、深酒や睡眠不足は大敵ではあるし、実際もしかしたら不摂生な生活のせいで、体調を悪くしていた日もあったかもしれないが、酷く状態を悪くするような事は無かった。
 いや、唯一ひどい思いをした事があった。深酒と嘔吐による脱水症状で、合宿の帰りに尿管結石を発症したのだ。とんでもない痛みを抱えながら、家まで何とか帰ってきたのは苦々しい思い出だ。

 この様に大して我慢する事なく、好きなことをやり続けた私だが、更に、私は社会人になり、新たなチャレンジをする事となった。2002年、日韓W杯ブームに乗って、仲間内でフットサルチームを立ち上げたのだ。当初は、久しぶりの本格的な運動に疲労困憊だったが、このチームを10年以上、リーダーとして引っ張っていく中で、体力もつき、炎天下の中で試合にフル出場出来るまでになっていった。活動のピーク時だった2004年〜2006年ぐらいだっただろうか、私は元々補体が低く上がりにくい体質の様なのだが、その頃、補体がどんどん上がっていった。本来SLEの敵である激しい運動をしたり、日光を浴びても回復していく私を見て、当時の主治医が驚いていたのは今もよく覚えている。そうして、私は、何年前かはちょっと記憶が定かではないが、プレドニンの量が1週間に5mgにまで下がり、殆ど寛解と言っても良い状態となった。

 だが、その後、転職や結婚、子供を授かり、自分中心の生活サイクルではなくなった事や、公私にわたる責任の増加、また単純に加齢により、徐々に数値は下がり、プレドニンの量は増えていった。

〜次章〜壊れゆく感覚(1)

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Takeshi Igawa

物流系企業でセンターマネージャーとして働くいちサラリーマン。14歳の時に全身性エリテマトーデス(SLE)を発病し、40歳で再燃を経験。特に再燃時の、その稀有な体験を綴ることで、誰かの役に立てるならと思い、ここに闘病手記を掲載することにした。
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