目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(18)

<2018年1月> 

 漸く妻に、1人の成人らしく気遣う言葉が掛けられた私は、入院前の記憶を話したりと、かなり意識のハッキリした状態になっていた。

 妻が私の記憶を呼び戻す為に、愛用のMacBookを持ってきていた。私はあの製品特有の"ボーン"という起動音に、得も言われぬ懐かしさを覚えた。家族旅行や子供達の写真を見て、「息子は、娘は、将来何になりたいだろうか」と気にかけたり、「早く仲間たちに会いたい」などと、普通のやり取りが出来る様になっていた。更には、私の目の前で食事をする妻たちを見て、「早く寿司が食べたいなぁ」そう無邪気に語った。

 この時、もっとも私が私らしさを取り戻したと思えるエピソードがあった。自分が結婚指輪をしていない事に気付いて妻に尋ねると、ちゃんと保管しているから大丈夫だと彼女は答えた。私はそれを聞いて、この様な冗談を言ってのけた。

「もう俺捨てられたのかと思った」

「誰が面倒見てくれるのかって心配したよ」

 そんな風に、妻の苦労も知らずにふざける私について彼女は、「こっちの気も知らずに、ホントしゃれにならない冗談言って腹立つ!!!」と、LINEで友人にこぼしながらも、この様に楽しげに話した時間を、"終始笑って、昔に戻った様な和やかな時間だった"と、日記に纏めていた。

 その数日後には、私は、ある事で看護師の信頼を勝ち取り、拘束ベルトを外されて車椅子で家族の待つラウンジまで行く事が出来た。

 私が信頼を勝ち取ったある出来事、それについてはよく覚えている。

 ある時、深夜に懐中電灯で顔や全身を照らされ、二人掛かりでゴロゴロ転がされ、何やら股ぐらをゴソゴソやられている事に気付いた。それに対して私は、「せっかく寝られてるのに、勘弁してくれませんか」と。だが、その行為の実態は、私の排尿、排便をチェックする為のオムツ交換の時間だったのだ。看護師たちは、「必要な事だから仕方ないんですよー」そんな風に私をいなした。私は、「ああそうですよね。じゃあせめてライトはやめてくれませんか?」

 そう至極当然な人らしい反応をした事で、私は事実上、約1ヶ月ぶりに、拘束不要という評価をされた、そうに違いないと思っている。

 こうして私は、家族とともにラウンジで談笑し、子供達に食事を勧めるなどしながら久しぶりの団欒を楽しみ、幸せを感じられた。

 だが、それと同時に、妻の中では暗雲が立ち込める様にもう一つの感情が生まれていた。

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〜次章〜ひたひたと寄せる現実

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