目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(13)

<2017年12月>

 最後の砦とも言えるX大病院での治療が始まり、それと同時に、妻にとっては長いトンネルの中に入ったかの様な生活が始まった。

 私の意識に障害が出てから約一週間が経過し、私の携帯には、友人たちからの励ましのメッセージが貯まっていた。妻はこの時、私の状況を周りに話せずに非常に苦しい想いを抱えていた。しかし、私の特に近しい友人へ、第三者には容易には想像し難い目の前の状況を報告する事から返信を始め、徐々に周囲へ自分自身の気持ちを打ち明けていく事で、何とかその精神を保っていけた様だった。
 後に見せて貰った其れ等の会話の内容から、妻や友人たち皆の心の機微を、私はリアルに知る事が出来、人と人の絆の強さやその繋がりの持ついざという時の力を、より一層感じ入る事が出来たのだった。

 「ありがとうございます。今日も健の病院に来ています。実は病状が悪化して転院しています。面会が可能か確認しておきますね。現状だと見た時にショックを受けるかもしれませんが、今日も少し反応が良くなっていました。子供達もいるし、悲しみに浸って悩んでいる余裕がないです。考えたくないけど、もしかしたら元には戻らないかもしれません」(原文まま)

 「大変な時にありがとうございます。少しでも元気づけられればと思っているので、何かできる事があればやらせてください。いつも回復を願っています。無理をし過ぎないように、自分の事も大事にしてください」(原文まま)

 転院して二日後、私の熱は中々下がらず、パルス療法という大量のステロイドを点滴で投入する治療法が始められた。早いペースで様々な選択肢を採用していく主治医の判断力に、家族は期待を持ち始めていた。

ステロイドパルス療法
副腎皮質ステロイドを、点滴で大量に使用する方法です。口から飲むよりより早く、かつ効果も高いとされており、重症度のかなり高い患者さんに使われます。一般的には3日間の使用ですので、この間の副作用も比較的少ないとされています。その後は口からの服用に切り替えます。

出展:難病情報センター/全身性エリテマトーデス
軽症のSLEでは、NSAIDsが効かなかった場合に、ステロイド外用薬や少量の内服薬から始めることがあります。
中等症や重症のSLEでは、ステロイドは高用量(1日あたり体重1kgに対して0.5~1mg※1の飲み薬)から開始して、症状や臓器障害をできるだけ早く改善することを目指します。症状や臓器障害が落ち着き、検査の結果で疾患活動性が抑えられていることが確認されれば、ステロイドを少しずつ減量していきます。
とくに重症のループス腎炎や精神・神経症状などを伴う一部のSLEでは、最初に短期間(3日間)で大量のステロイドを点滴投与(ステロイドパルス療法)することもあります。

出展:SLE.jp/全身性エリテマトーデスの薬物療法

 その同日には、私の兄が、赴任している海外から帰国して見舞いに来ていたらしく、私にどこから来たか聞くと、ちゃんと国名を正しく答える事が出来ていたらしい。(らしいとここで語るのは、私自身がいつその様な出来事があったかハッキリと思い出せないからだ。)

  更には、看護師の話では、夜の間に歩けない筈の私が、勝手に廊下を歩いていたと言うのだ。それについても、翌日私に問いかけると、自分ではなく弟が歩いてたんだと豪語する始末で、どうも認知出来ている事と妄想している事がごちゃ混ぜになっていて、言わばムラが有ると言う状況に近かった様だ。

 実は、この夜中の徘徊には、後日談があり、私の意識がかなり回復してきた時に、母にその時の事情をこう説明したのだ。

 「母さん、俺が勝手に歩いてたって話。俺、犬の散歩に行かないといけないとって思って必死だったんだよ。多分その時だ」

 私はこの年、不幸にも捨てられてしまった保護犬を、里親として迎えようと本気で考えていた。その為、迎えたばかりなのに、病院で寝てばかりいては約束を反故にしたことになると焦っていたのだ。この話を聞いた母は、大笑いしてくれた。

 更には、今も私の母が最も印象的だったと言っている、こんな事があった。私の記憶を呼び起こすために、これまで、節目節目に買ってきたコレクションを持っていくと、全く身に覚えが無いと言った雰囲気で、自分の物ではないと言い張ったという。しかし、父が「じゃぁ父さんがこれ貰おうかな」なんてふざけてみると、しっかりと「僕が貰います」と必死に確保したのだった。その光景は、私自身も動画で確認する事が出来たが、その時の私の行動は、それまで、ただ漠とした様相で横たわっていたものが必死に腕を伸ばして手に取ろうとして、明らかに関心を持っている印象で、母は私のその姿に一筋の光明を見たという。
 また、そのコレクションの中でも一部のものについては、既に自分で買ったものだと正しく理解出来ていたようだ。だが、それが好き嫌いの度合いで、左右されるという訳でもなかったようで、むしろ、妻はそう想いたいと日記に綴っていた。何故なら、妻自身、自分の事を私にハッキリ認識してもらっているか自信が持てていなかったからだ。

 翌日も、パルス治療を追加されていて、尿道に菌が入った為に抗生物質を追加されてはいたものの、徐々に体調も良くなっていった様だ。

見舞いに行くと、私が「おはよう」と笑顔で挨拶できた事、手の震えも少し落ち着き、グーパー出来るようになっていた事、その小さな幸せを感じられた気持ちが書かれていた。更に、予定通り、妻が連絡を取った私の親友が、早速様子を窺いに来てくれて、特に友人に対しては意識がしっかりしていた様で、久し振りに和やかな時間を過ごせた事などが記されていた。

〜次章〜見えない出口


 

ありがとうございます!この様な情報を真に必要とされている方に届けて頂ければ幸いです。